今回ご登場下さるのはピアニストの金子三勇士さん。6歳で単身ハンガリーに渡りピアノと音楽の勉強に打ち込み、11歳にして飛び級でハンガリー国立リスト音楽院大学に入学。16歳で日本に帰国し、現在では人気ピアニストとして多彩な活躍。コロナ禍であっても立ち止まることなく音楽の力を発信し続けていらっしゃいます。
そんな金子さんに、日本デビュー10周年を迎えて思うこと、力を入れているアウトリーチ活動と地域の活性化活動、そして意外なプライベートについてもお伺いしました。
また、コロナ禍が長引きなかなか会うことの出来ないファンの皆さん、Cheer Up!読者の皆さんに向けて動画でメッセージをいただきました。
今回は日本デビュー10周年を記念して、動画とディスコグラフィーで10年の歩みを振り返るコンテンツも制作しました。
金子さんのアイディアも取り入れて楽しい内容になっています。盛りだくさんの特集を、ぜひごゆっくりお楽しみください。(2021年9月)

インタビュー 日本デビュー10年のあゆみ 


---日本デビュー10周年を迎え、デビューの頃に思い描いていたプロ生活と比べて、この10年はいかがでしたか?

金子:デビュー前に、これからの10年、20年、30年、音楽家/ピアニスト、それから、いち社会人としてどういうことをやっていこうかと、具体的なプランを立てていました。
今振り返ると、そのプランや目標に向けて一歩一歩進んでこれた10年だったと思います。
ただしクラシックの音楽家のキャリアは長いので、ようやくスタートラインに立てたという感覚がすごく強く、ここから急加速して色々なことができるようになるのかな?と期待を膨らませています。

---デビューアルバム『プレイズ・リスト』が2010年10月リリースで、その時点がデビューなのかと思っていたのですが、他媒体インタビューで、「リストの生誕200周年を待って2011年にデビューした」と知りました。正式なデビュー年月というのはいつになりますか?

金子:音楽家の場合、どこをもってデビューとするかというのがなかなか難しいのです。人によっては初めてお客さんの前で演奏した瞬間をデビューという方もいますし、ファースト・アルバムのリリースを「ここがデビューです」と宣言される方もいます。

僕の場合は、2010年の段階では日本に限らず、それまでずっと住んでいたハンガリーやなどで演奏の機会自体は頂いていましたし、アルバムも自主制作で作った名刺代わりのCDもありました。
人前で演奏することをデビューとも言えなくなっていましたし、アルバムデビューというのも言い切れない。すると、どの時点を正式なデビューにしたいかは、ある程度自分で決めていいものだと言われました。それであれば、あと半年ちょっと待てばリストの生誕200周年という2011年が始まるので、その年でデビューとさせて下さいと所属事務所にお願いをし、本格的なデビューリサイタルを計画しました。

2011年7月23日に東京オペラシティ コンサートホールというそれまで挑戦したことなかったサイズ感の大きなコンサートホールで演奏して、ここで日本の音楽界に向けて「自分はプロとしてやっていきます」ということを意思表示できたリサイタルだったかと思います。

---そういうことだったのですね。デビューされてからは数多くのコンサートやアルバムリリースのみならず、幅広い活動をされていますが、「ジャパンピアノコンペティション(JPC)」という事業にも関わっていらっしゃいますね。これはどのような経緯なのか伺えますか?

金子: 何事もそうなのですが、いきなりドーン!と大きな事はなかなか生まれない世の中です。一歩一歩色々なことが重なってひとつの形になっていくものだと思いますが、この事業も同じです。
デビュー当初、滋賀県のある団体からお声がけをいただきまして、地元の小さなホール主催で、その町でピアノを弾く子供たちにコンクール企画を作ってあげたいという思いから始まりました。
そのピアノコンクールの審査員長を依頼されて、毎年審査させて頂くようになりました。
このコンクールの特色が、順位をつけて賞金が与えられるようなものではなく、全体を通して優秀な演奏をした子供達をピックアップして、同じホールで開催される僕自身のピアノリサイタルに一緒に出演していただくという、その地域とホールならではの企画でした。

そういった企画を5年間ご一緒させていただいたのですが、公共の施設でしたので、"一つの事業を継続できるのが5年"という行政の区切りがありました。
この事業も終わってしまうのか…と、ちょっと下向きになっていた時期に、ある出来事が。
僕がずっとお世話になっていたリスト音楽院の恩師とハンガリーでご飯を食べる機会があったのです。
恩師に「最近どんな活動をしているの?」と聞かれ、「通常のコンサート活動の他に、子供たちのコンクールをこういった形で応援する事業もやってるんですよ」と話をしました。すると、恩師は恩師でちょうどハンガリーで同じような子供向けのコンクール事業の音楽監督兼審査員長をやっていて、一歩一歩積み重ねている最中だった事がわかったのです!
「いっそのこと、この二つの事業をつなげちゃいましょうかね!」と、師匠と弟子との間でコンクールの主催側に何の確認もせずに、二人で勝手に盛り上がりました(笑)。

その後、それぞれが持ち帰ってハンガリー側でも日本側でも「すごくいいですね!」と主催側に言っていただけました。
そこからは、滋賀県で生まれた事業であることを忘れることなく、滋賀県という枠から外に出て、今度はハンガリーと日本という規模で企画が進みました。地域でピアノを弾く子供たちを、ちょっと先輩であるお兄さん的な立場で応援し、アドバイスしたり、いろいろなことを教えていく教育的なプロジェクトに発展できないかなぁ、と一歩一歩チャレンジを重ねています。

現在は正式に「ハンガリー子供のためのバルトーク国際ピアノコンクール」と提携を結び、日本側の様々な関連事業を取りまとめる組織としてこのJPC実行委員会が立ち上がり、 多くの方のサポートをいただきながら今は音楽監督を務めさせていただいています。
今後は時代に合わせて、その都度地域の方々と協議をしながら進めていければと思っています。

---こういったことを20代で始められて、お若いうちから後進のことを考えていらっしゃるのが素晴らしいですよね。ハンガリーにいらっしゃる頃から、こういうことも考えていらしたのでしょうか?

金子: 僕の場合、どの世代の人たちが自分の後輩にあたるのか、判断が難しかった時代があったのです。
何故かと言いますと、11歳からリスト音楽院という大学組織の中で勉強していたのですが、自分より年上でも学年が下の生徒が入学してきたり、かなり年の離れた同学年の仲間がいたりと、上下関係が持ちにくい環境だった訳です。

幸いなことにこのリスト音楽院は年齢の上下や学年の上下はあまり関係ない、ひとつの家族のような学校でした。
お互いに言いたいことがあればその都度言う。助けを求めたい時は助けを求める。逆に助けを求められたら手を差し伸べる。同じ道を目指している、同じ世界にいる人同士であればお互いを助け合うのは当たり前だよね!という共通認識があったように思います。

この事業も、後進育成や後輩たちをサポートしようということからではなく、同じ道を目指してる人であれば必要な時には出来る限り助けてあげよう、という思いから始まっているのです。

実際ハンガリーでは、自分があるピアノ作品を試験やコンクールに向けて準備していく時に、同じ作品を過去に勉強したことがある生徒からアドバイスをもらったり、練習するコツをちょっと聞いてみたりするシーンもありました。
逆に自分が先に勉強する機会があった作品については、仲間に「こういう風に練習すると割とうまく行くよ」「演奏会で弾く時にこういうところに気を付けた方がいいよ」「ここはミスタッチしやすいよ」「ここをしっかり練習しとくといいよ」など、とアドバイスする事も。

実際そういう何気ない学生同士の会話の中で励まされたり、勇気をもらったり、色々な発見があったりしますからね。実際、苦戦しているようなところで「大丈夫、それはみんな苦労する箇所だから」と一言言われると、僕だけじゃないんだ!と何度もホッとしました。

だからこそ、日本に帰ってきた時に、同じ道を歩んでいる者同士みんなで助け合い、アドバイスし合ったりお互いを励まし合ったりする空気感と言いますか、そういったコミュニティーを確立していけたらいいなと思うようになりました。
自分はどういうことが日本のピアノ界や音楽業界に対してできるのかな?と考えていく中で、日本には地域でピアノを学んでいる子供たちが本当にたくさんいる。でも中学生ぐらいになって、受験で忙しくなってやめてしまう子もたくさんいる。中にはすごく恵まれた才能を持ち、本人さえその意思があれば、プロのピアニストになれたかもしれない子供もいるのではないかなと。ただ、それに気づくきっかけがなかったり、見つけてあげることが出来なかったためにやめてしまって、なんてすごくもったいない結果ですよね。そういう現実があるのではないか?という気がしているのです…。
細々ですけど、そういう才能を持った各地の子供たちを見つけてあげて、気付かせてあげて、「もしピアニストを目指す気持ちがあるなら応援するから頑張っていこうね」と声をかけてあげる。そういう事業が一つでも多く生まれるといいなという願いもこのコンクール企画に込めているんですよ。

---「後進の指導」という言葉をいつも何気なく使っていましたが、もっと奥深いものを感じますね。

金子::ハンガリーで育った環境のおかげだと思うのですが、「やっているもの同士であればみんな仲間なんだ」という意識をずっと大切にしていこうと思います。

---金子さんは6歳にして自らハンガリーで音楽やピアノを勉強したいとご両親に相談され、その結果、単身ハンガリーに留学したとのこと。
その頃の記憶って鮮明にあるのでしょうか?私など、6歳といえば幼稚園での行事の記憶がちょこちょこある程度で、あとは本当に断片的な記憶しか残っていないのですが…。


金子: 僕の場合2歳〜3歳ぐらいからの記憶がずっとある感じでして、その理由を僕なりに考えて見たのですが、まとめてみますとこんな感じです:

まず、日本で生まれて、6歳まで日本に住んでいました。きっと皆さんも同じで、6歳ぐらいまでは2歳〜5歳の記憶はだいたい残っているはずです。
僕はこの6歳で時が止まったような感じで、ハンガリーに移ってそこから新たな人生が始まり、それまでの記憶がいったん全て保存されたような感覚です。
ハンガリーでは6歳から16歳まで10年間過ごし、再び日本に戻ってきました。この日本に戻ってきた時には過去の10年間のハンガリーの記憶がまたしっかり保存されました。今度は日本で新たな人生が始まるという、この繰り返しですね(笑)。

節目節目があるので、それまでの出来事が無意識に大切な思い出として保管されるという、不思議な感覚ですね。 おかげで6歳の頃の思い出は、一日一日どこで何が起きたかを語れるぐらい鮮明に残っています。

---この上なく濃密で充実した日々だったのでしょうね。16歳で日本に戻られて、戸惑ったことはありましたか?

金子: たくさんありましたね(笑)。まず言葉の面で言いますと、一応6歳まで住んでいましたので日本語で会話をしたり、日本語で話しかけられる分には全然不自由はなかったのですが…問題は読み書きですね。
日本の学校に全く通っていなかった訳ですから、読んだり書いたりというのが全然できませんでした…。
当時、東京音楽大学付属高校に編入し、事情を国語の先生に説明しましたら、「とりあえず書けるだけ字を書いてみよう。まずひらがな五十音から!」と言われて。
感覚としてはひらがな五十音なんて全く問題ない!と思って書き始めたのですが、13音ぐらいで手が止まってしまう、次が出てこないという現実に直面しまして…。衝撃を受けましたね。
漢字なんて、、、とんでもない状況でした(笑)。

特に苦労したのは、銀行、郵便局、病院や区役所の窓口に行くと、当たり前のように「これを記入してください」と書類を渡されるのですが、全く読めないですし書けない訳です。それを何度説明してもなかなか信じてもらえないんですよね。
髪の毛も黒っぽいですし、見た目も「ハーフなのかな?」と言われることはありますが、それほど西洋的なルックスでもないと思うんですね。それで日本語が喋れるので、「すみません、読めないんです」と言っても、からかわれていると思われたり、「そんなはずないでしょう」と言われてしまうことが自分としてはとても辛かったことの一つですね。
これはいち早く自分で克服しなくては!ということで、公文に入り小学校1年の教材から国語だけを学べる教室を探し、しばらくのあいだ子供達に混じって通っていました。

---そんなことがあったなんて現在からは想像できないお話です。本当に努力家ですよね…。

金子:いやもう、生きるために必死でしたよ(笑)。

---金子さんは、最近アウトリーチ活動と地域の活性化活動にも力を入れていらっしゃるとのこと。アウトリーチと地域活性化というのは別の活動になるのでしょうか?

金子: 本来であれば別々の活動になるのですが、結果的に繋がっていく、という風に理解していただきたいです。
それぞれを少しお話しますと、まず、アウトリーチ活動について。
日本の中でこの「アウトリーチ」という言葉自体がまだあまり認知されていないような気がします。
元々は外に手を伸ばす"アウトリーチ(Outreach)"という意味なのですが、音楽家の場合、コンサートホールにお客さんをお迎えするのではなく、こちらからいろいろな場所や施設、主にコンサートが普段楽しめないような、あるいはコンサート会場になかなか来れないような人々の所へ出向くという、言ってしまえば出張のコンサートや音楽教室を実施する事を意味します。

保育園、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学といった教育現場はもちろんですが、コンサートに行きたくてもなかなか行けないような方々が待つ病院、介護施設、児童保護施設、特別支援学校と言った場所にも積極的に伺います。
ピアノ一台あれば、そこでお話をしながらコンサートをして、限られた時間の中で本物の音楽に触れていただく。また音楽家というプロフェッショナルな仕事をしている人間が何かを語ることによって、入院している方々に希望を届けたり、将来どういう人生を送っていこうかなと、様々な夢や目標をこれから描いていくであろう子供達に向けて何かを発信し、少しでも勇気づける材料になったり、発見や将来の夢に繋がる出来事になれば嬉しいですからね!

---大のクラシックファンだった父も、晩年は自由に歩けず老人介護施設で近くの大学が開いてくれるコンサートを楽しみにしていました。金子さんの演奏を聴く機会があればどんなに喜んだか!素晴らしい取り組みに涙が出そうです。

金子: なぜここまでアウトリーチ活動に力を入れようと思ったかと言いますと、実はヨーロッパではプロの音楽家がアウトリーチするのが当たり前で、いちいちアウトリーチと名前を付けていないぐらい広まっているからなのです。
音楽家であれば、コンサートホールでの演奏活動と並行して、たとえボランティアでも子供達や病気を抱えている方々のところに出向いてコンサートを開く。こでは「音楽家である以上、社会に対して貢献しないと!」という当たり前の感覚がみんなの中にあるからだと思います。

僕がピアノを習っていた恩師達も、またピアノ以外の科目を教えて下さった先生方もそういう意識がすごく強かったんです。僕もそこで習ってきたので、当たり前のように自分の中の感覚としてありましたし、学生の頃から先生に連れられて施設訪問や学校訪問をしていたぐらいです。音楽家をやる=社会の中での活動もやって行く。すごく自然な流れですよね。

でも日本に帰ってきて、プロになって活動していると、しばらくして自分の中で何かが足りないという感覚があり、何だろう?と考えた時に「そうだ!アウトリーチ活動が全くできていないんだ!」と気づきました。この国では子供たちの前で演奏する機会はないし、施設を訪問するような公演も訪れないし、これは自分から機会を作っていかないとダメなんだ!とはっきり見えました。
そこで、ある日、お世話になっている方から、日本にも国のサポートを受けながら地域に向けたアウトリーチ活動を行っている団体があると紹介されました。一般財団法人 地域創造というところなのですが、早速僕もここに登録をし、最初の一歩を踏み出せたのです。

ここではアウトリーチ活動と、日本全国にある公共音楽ホールにも元気を届けよう、というハイブリッドな事業があります。実は多くの地域に、普段あまり使用されていない音楽ホールがあります。
まずそこの地域を訪れて子供達にアウトリーチを行い、せっかくその地域にアーティストが出向くので、同時に公共のホールでコンサートを行う。地域全体の音楽文化の活性化に繋がるというコンセプトです。
ここで、最初にお話をしました、アウトリーチと地域活性化が繋がるんですよ!

普段あまり元気のない公共の施設にも音楽の企画を吹き込むことによって、地域の芸術文化の発展につながっていけばいいなという風に思いますし、ある意味、今の日本には必要な活動だと思っています。
僕の周りの音楽家仲間にもこういう事業をもっと積極的にやっていこうよ!と声をかけていまして、みんなで盛り上げていけばきっとすごくいい流れができてくるのでは?と期待をしているところです。
この事業にも、できるだけの時間とエネルギーを費やして行きたいと思っているところなんです。

---コロナ禍がおさまったら、海外でのアウトリーチ活動もされるご予定ですか?

金子:もちろんですね。実はコロナの直前まではヨーロッパでもアウトリーチ企画をやっていました。
今はとにかくコロナが終息してくれないと、なかなか…。現時点では違う国からアーティストがやってくること自体すごく懸念されますし、この活動の大前提としてあるのが、「みんながハッピーになる企画じゃないといけない」ということなので、落ち着くのをおとなしく待つつもりです。

---金子さんはコロナ禍でも積極的に動画で発信されたり、今できることをやろう!とポジティブに動いていらっしゃる印象です。その原動力は何でしょうか?

金子: 実は、どんな時も僕にポジティブなエネルギーをくれる人物がいまして。
それは誰かと言いますと、あの偉大なる作曲家・ピアニスト、フランツ・リストですね。
もちろん200年も前の時代を生きていたので直接ではなく(笑)リストの生き方や考え方です。

彼はまず、社会のため、世界のために音楽家として、ピアニストとして何をするべきか、いち社会人として人々にどのような事ができるのか、一生涯かけて悩んで、もがいて、考えていました。その結果色々なことを思いついては生み出し、それを形にして最後まで実行し、多くのことを遺してくれたのです。

それが結局、後の時代の社会でもしっかり生き続けていますし、音楽界、ピアノの世界の中でも多くのことが彼から始まり、ずっと受け継がれています。
そういう彼が生きていた時代にも色んなことがあったんですよね。
戦争、革命、それこそ伝染病の流行や自然災害まで。あらゆる困難を乗り越えながらも彼は常に前向きに走り続けて、世の為人の為にやってきた素晴らしい文化人でした。

そういう彼の生き方を僕はハンガリーで知ることになるんですけど、それを知ってしまうと、現代の私たちが生きているこの時代、この社会の中でもリンクするんですよね…。
フランツ・リストの時代にもそういえばこんなことがあったなとか、そういうとき彼はどうしていたのだろう?とか。
コロナ禍の今、もしリストが生きていたらどんな風にこの時代を乗り越えたんだろう?何を一番大事にしただろう?人々のためにどういうことをやっていったのかな?というのを考えると、不思議と自分自身すごくポジティブな気持ちになれます。

リストだったらきっとこうしただろうなあと考えるのは面白いですよね。
リストがもしスマートフォンを片手にインターネットを自由自在に使える、そういう時代に生まれたとしたらどういうことを人々に届けただろう?そう考えるだけでもすごく楽しいですし、そういう彼の教えや生き方に惚れ込んでいる自分としては、彼の音楽家としての魂を引き継ぐ一人として、今の時代に何か残していけるのではないかな、とすごくポジティブな気持ちになれるんですよね。

ある意味、フランツ・リストの一生涯が今の自分の原動力にもなるのかなと。彼の生き方を見ると、自然と自分のエネルギー源になっていくような気がします。

---フランツ・リストの生涯については、私も先日金子さんのオンライン講座で学び、初めて知るエピソードばかりでしたがリストを大好きになりました。金子さんはコンサートやカルチャー講座などで折に触れリストのことを話されているので、ぜひもっと多くの方に届くといいなあと思っております。
さて、金子さんは本当にエネルギッシュにパワフルに動いていらっしゃいますが、体力作りのためのルーティンなどあれば伺えますか?


金子: 人々に何かを発信する、社会へ向けて何かを伝えていくためには当たり前の事ですけどまず自分が心身ともに元気でいなきゃいけないですし、それだけのパワーがなかったら話にならない世界です。
食生活や運動に今まで以上に気をつけようと、コロナ禍になって改めて自分の中で意識しました。
もう気づいてくださっている方もいらっしゃると思いますが、この2年で14kgぐらい減量して10年ぶりぐらいにすごく健康的な生活を取り戻せたような(笑)。
そういう意味でも、いま心も体もハッピーな毎日が送れていると思います。

心と体というのはリンクしてるものですので、いくら心がハッピーでも身体に何か不調があるとネガティブな方に転んで行くと思いますし、体がいくら元気でも心に何か心配事を抱えていると、やはりネガティブな方に転んでしまう。
心身ともに健康であるために、すごく特別なことをやるのではなく、ちょっとしたことの積み重ねを…食事、運動のほか、睡眠、心のリフレッシュ、すなわち元気を保つためにはどういうことをすればよいのか。ちょっとずつ意識してアンテナを張ることで全体のポジティブな生き方というんですかね。そういうところに自分がたどりつけるのかな?と。

---金子さんは映画「蜜蜂と遠雷」のマサル・カルロス・レヴィ・アナトール役の演奏を担当されましたが、映画パンフレットによるとマサルと同じくランニングなさっているそうですね。原作小説の中でもマサルのことが気になっていたとか。

金子: そうなんです!このご縁は本当に不思議で「蜜蜂と遠雷」のマサル役を音楽で担当することになったのですが、そのマサル君との共通点が偶然にも多くて。彼も僕もランニングをしますし、カレーライスが大好きですし、さらにはマサルが音楽家として社会に向けてやっていきたい事に対しても強く共感できるものがありました。
自分に近いイメージのピアニストがそこに描かれていたので、そのマサルを現実の世界に誕生させるお手伝いができてとても嬉しかったです。






---「蜜蜂と遠雷」では、どのような流れで演奏を録音なさったのですか?

金子: 実は録音が先だったんですよ!これは僕自身も結構衝撃でした。
いろいろなドラマや映画に音楽を提供される方々のお話を聞きますと、割と撮影が先に行われて、もう決まったシーンに合わせて音楽を演奏するアプローチが多かったので。
今回もそういうことになるのかなと思いきや、監督さんが音楽重視と言いますか、音楽ありきで作りたい映画だとおっしゃられて。
私たち奏者は原作の本は読んでいても、まだ映画として何もイメージがない、映像作品としてどういうものになっていくのか?と想像しかできないまま、まずは演奏の録音をしていくという不思議なものでした。

限られた短期間でたくさんの作品を録音して、それがどのように映画の中で、どういうシーンでどの部分が使われるのか、全くわからないまま公開日を待っていました(笑)。

---劇中唯一のオリジナル作品「春と修羅」についても短期間での録音だったのでしょうか。

金子: 「春と修羅」も楽譜をいただいて録音まですごく短い期間でしたし、プロコフィエフの協奏曲も3番を弾く予定が急遽2番に変わって、録音まで2週間しかなかったり。録音現場としてはなかなか過酷なものがあったのですが、それがまた良かったように思います。
日々増していく緊張感と、限られた時間でたくさんの曲を用意しなくてはならない大変さは、久しぶりに国際コンクールを受けているような気持ちでしたので。

---ここからはプライベートなお話もお伺いします。
音大時代は、よく近くの中華店で麻婆豆腐を食べてたいらしたそうですが、今もお好きなんですか?


金子: はい(笑)。一時期よりはちょっと回数は減ってきていますけど。基本的には先ほどのカレーなど、スパイシーなものがすごく好きです。これはハンガリー料理が割といろんなスパイス、ハーブを使ったものが多いからだと思います。
僕自身料理がすごく好きで、よく作ります。まさにこのコロナ禍では外出・外食ができなくなりましたので、おうち時間も増えた中で、いろんな料理に挑戦しました。普段お気に入りのお店でいただくようなものを頑張って自分で研究し、再現してみよう!と一つの楽しみが生まれたり。回を重ねるごとにだんだんいい感じに仕上がっていくんですよ!

---甘いものもお好きだそうですね。

金子:24時間365日受け付けております(笑)。ただ、最近はたくさん食べるというよりは、一口でもいいので美味しいものを。練習後の疲れた時とかデザート代わりに、本当に美味しいチョコレートを一粒、大事にいただく。

高校生、大学生のころはバイキングに行って好きなだけ!というほうが嬉しかったのですが(笑)。今は自分が選んだものをちょっとだけ味わう楽しさ。こういうのってきっと年齢的なものですよね。

---ハンガリーのスイーツには、どんなものがあるのですか?

金子: ひとつ面白いものをご紹介しますと、日本ではあまり食材として認知されていないケシの実を使ったケーキがあります。時々アンパンの上にちょこっとのっている黒ゴマの小さい版ですね。これを、ヨーロッパではよく使います。

主にクリスマスの時期に、ケシの実とお砂糖のペーストにシナモンやクローブ、レーズン、レモンピールを入れて、牛乳で煮るんです。そのペーストをフワフワなパン生地にグルグル巻いて、ロールケーキみたいな形にして一本まるごと焼き、スライスして食べるお菓子。
昨年のクリスマスには日本で焼くことに挑戦し、3回目ぐらいでようやく形にもなって久しぶりに食べました。

他にもハンガリーでは、簡単にスライスして、お茶と共に手でつまんで食べられるような素朴なお菓子が多いですね。基本的に歴史と伝統あるレシピが多いので、SNS映えはしないかもですが、どれも美味しいですよ! 笑

---最近読んで良かった本、おすすめの映画などを教えて頂けますか?

金子:これは関わったからではなくて、本当に"いちピアニスト"として皆さんにオススメしたいのが、「蜜蜂と遠雷」の原作です。
作家の恩田陸先生が長年かけて取材を続けられだけに、とてもリアルに描かれたピアニストたちとピアノコンクールの世界。文章や描写がまた素晴らしく、まだの方は是非一度読んでいただきたいです。

そして、読んでいただい後はやはり、映画「蜜蜂と遠雷」もご覧いただきたいです!これも関わったからではなくてですね(笑)、いち音楽家、いちピアニストとして、映画でここまで真の姿でピアニストが描かれる作品は、世界中で見てもそうは無いので。本当に有難いきっかけだと思っていますし、まだまだ多くの方に知っていただきたい作品です。

---クラシック以外ではどのような音楽を聴かれますか?

金子: 自ら割と好んで聴くのは、クラシックに比較的近いと言われているジャズですかね。僕は食べ物もそうなのですが、音楽も、何でも受け付けるタイプの人間です。今の世の中、BGMとしても色々な音楽が流れてきますが、どんなジャンルでも普通に聴けてしまい、拒否はしません。
共通するのは、世界の一流アーティストであればどんなジャンルでも感動します。

---ジャズでは、どのようなアーティストを聴かれているのですか?

金子:ベニー・グッドマンのような一昔前の大御所から、最近ではピアニストの上原ひろみさんまで。時代によって変化するジャズもまた面白いですよね。

---そうですね。クラシックでも同じですね。

金子: もう一人、すごく好きなアーティストがいます。アンドレア・ボチェッリさんです。ジャンルはクラシック寄りなのでしょうか。もはやジャンルを超えて、アンドレア・ボチェッリというアーティストのファンです。彼が何を歌っても感動をいただくのですが、やはりお人柄が素晴らしいと思うんですね。それが歌声にも音楽にも出て。いつも尊敬しながら見たり聴いたりしています。

---このWEBマガジンの恒例の質問なのですが、「あなたのCheer Up!ミュージックを教えてください!」と、毎回ご登場いただく方にお伺いしています。Cheer Up!の解釈は「元気が出る」「落ち込んだ時に聴きたい」「パワーをもらえる」など自由にお願いしております。
そうしますと、金子さんのCheer Up!ミュージックは、アンドレア・ボチェッリさんとなりますでしょうか?


金子: もし2つお答えできるなら、一つはアンドレア・ボチェッリの「Conte Partiro」です。
もう一つはリストのピアノとオーケストラのための作品「死の舞踏」です。どちらも、いつ聴いても自分が元気になれる音楽なのです。
「死の舞踏」は僕も弾くのですが、他の人の演奏で聴いてもテンションが上がります。
残念なことに、日本ではあまり演奏されません。やはり題名に「死」という言葉が入っているからでしょうか…なんとなく縁起が悪いイメージになるのですかね?
作品としては本当にパワフルでエネルギッシュで、もっと有名になって欲しい一曲です。

---ありがとうございます。これはぜひ聴いてみます。
2021年度の大きなイベントについて教えて頂けますか?


金子:11月3日のNHK音楽祭に出演します。私が担当する公演は熊本で開催されます。

NHK音楽祭2021
https://www.nhk-p.co.jp/event/detail.php?id=1676

今年2021年は熊本震災からちょうど5年の年にも重なりますし、リストの生誕210周年でもあり、僕自身のデビュー10周年でもあります。また結果的に東京オリンピックの年にもなり、社会、歴史の中でいろいろなことが起きる一年。この年にこの音楽祭に出れること、そして全国放送を通しても沢山の方に音楽が届く事に期待を寄せています。
曲目はリストのピアノ協奏曲第一番です。

もう一つ。
実は5年前から計画しているデビュー10周年リサイタルがあります。コロナで延期している状況ですが、現段階では来年3月頭にサントリーホールで開催したいと思っています。日程重視ではなく、社会の流れでタイミング的に可能な時にしっかり行いたいリサイタルだと思っています。来年の3月が開催可能な時期であれば盛大に行いたいですし、再び厳しい時期に入っているとすれば、良い時期を待つ。無理をせず、その時できる形で皆様に音楽を発信していきたいと考えています。きっと、リストも今生きていれば、そうしているはずですよね。

---最後に今後の夢や展望をお聞かせ頂けますか?

金子:デビュー当初は「世界でフランツ・リストを弾くピアニストの名前をあげてください」って言われた時に5本の指に入ること、としていました。その後、5本の指よりももっと真剣にやらなきゃだめだなと思い、3本の指に入るピアニストになろうとプラン変更しました(笑)。

これから10年、20年その目標を持ちながらも、今の時代を生きる、フランツ・リストの魂と教えを受け継ぐ一人のピアニストとして一歩一歩前へ進んでいく思いです。

人生の中で、社会の中で、地球の上でどんなことがあっても、リストだったらどういう風に乗り越えるだろう?何をいま挑戦するだろう?と新鮮な気持ちを持ち続けながら、ピアニストとして音楽家として、そして何よりも社会人として地球のため人のため社会のために一つでも多くのことを残せていければ。
それを常に心がけて、毎日毎日を送っていきたいなと思っています。

---なんだか胸がいっぱいになってしまいました。今日は素晴らしいお話を長時間伺えて幸せな時間でした。本当にありがとうございました。


今回、金子三勇士さんからCheer Up!読者やファンの皆さまにメッセージをいただきました。ぜひご覧ください。






◆プロフィール
金子 三勇士 (MIYUJI KANEKO)

1989年、日本人の父とハンガリー人の母のもとに生まれる。
6歳で単身ハンガリーに渡りバルトーク音楽小学校にてハンガリーのピアノ教育第一人者 チェ・ナジュ・タマーシュネー に師事。1997年と2000年に全国連弾コンクール優勝、2001年には全国ピアノコンクール9〜11歳の部で優勝。2001年、飛び級(11歳)でハンガリー国立リスト音楽院大学(特別才能育成コース)に入学、エックハルト・ガーボル、ケヴェハージ・ジュンジ 、ワグナー・リタ に師事。
2006年全課程取得とともに日本に帰国、東京音楽大学付属高等学校に編入し、清水和音、迫昭嘉、三浦捷子に師事。
2010年10月にリリースされたデビューアルバム「プレイズ・リスト」はレコード芸術誌の特選盤に選ばれた。2011年第12回ホテルオークラ音楽賞を受賞。2012年第22回出光音楽賞を受賞。2012年第4回C.I.V.C.ジョワドヴィーヴル賞を受賞。2013年、平成24年度上毛賞「第10回上毛芸術文化賞 音楽部門」を受賞。これまでに、準・メルクル指揮/読売日本交響楽団、ゾルタン・コチシュ指揮/ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団、ジョナサン・ノット指揮/東京交響楽団、小林研一郎指揮/読売日本交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、大阪センチュリー交響楽団(現日本センチュリー交響楽団)、下野竜也指揮/京都市交響楽団などと共演。海外ではハンガリー、アメリカ、フランス、ドイツ、オーストリア、スイス、ギリシャ、ルーマニア、チェコ、ポーランド、中国などで演奏活動を行なう。東京音楽大学ピアノ演奏家コースを首席で卒業し、同大学大学院器楽専攻鍵盤楽器研究領域修了。
近年ライフワークの一環としてアウトリーチ活動にも積極的に取り組んでいる。 またNHK-FM「リサイタル・パッシオ」の司会を担当、毎週若手アーティストを紹介している。2019年5月には新譜CD「リスト・リサイタル」をリリース、また同年10月公開の映画『蜜蜂と遠雷』では、主人公の一人「マサル」のピアノ演奏を担当、9月には映画サウンドトラックCD「金子三勇士plays マサル」もリリースされた。
コロナ禍でも、オンラインを活用したさまざまな企画を発信中。2021年は日本デビュー10周年を迎える。

キシュマロシュ名誉市民。スタインウェイ・アーティスト。オフィシャルHP http://miyuji.jp/

Japan Arts
https://www.japanarts.co.jp/artist/MiyujiKANEKO/
公式レーベルサイト(ユニバーサルミュージック)
https://www.universal-music.co.jp/kaneko-miyuji/
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「リサイタル・パッシオ」(NHK FM)
https://www4.nhk.or.jp/r-passio/


◆最新コンサート情報
金子さんのオフィシャルサイト/コンサートのページにてご確認いただけます。


日本デビュー10周年記念 金子三勇士 ピアノ・リサイタルの記事を書かせて頂きました。

edy classicにて、最新アルバム「フロイデ」の記事を書かせて頂きました。
https://edyclassic.com/12877/



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