2014年の初登場から折にふれCheer Up!にご登場下さっているキーボーディストのDIEさん(Ra:IN、hide with spread beaver)。
いつかお会いしてじっくりお話を伺ってみたかった念願の対面インタビューがついに実現。最新アルバム『memento』に込めた思い、hideさんの思い出、DIEさんがhideさんやGLAYに出会うまでの詳細な音楽キャリアなど、読み応えあるインタビューをお楽しみ下さい。(2024年11月)

---まずは今年リリースなさったアルバム『memento』についてお伺いします。
制作はどのように進めたのですか?


DIE:10曲のうち3曲はうちのバンドのRa:INのメンバーにお願いして、残りは自分のピアノ曲やライブでためた曲ですね。
最近は思いついたらパソコン開いて音楽ソフト開いてメモして、という感じでやってるので、曲がたまってきて「そろそろアルバムにしよう」と思った時に4〜5曲足りなくて。だったらちょっとバンドっぽいサウンドでやりたいなと思って。
で、Ra:INのメンバーに「こういうことやってみたい」と話してたんです。

---メメントというタイトルが気になります。「memento mori」のことですよね。

DIE:はい。「メメント」っていう映画もありますね。「死を忘れないで生きろ」っていうことです。

自分が還暦になってあと何年できるのかなとか、あとライブ何本できるのかなとか、そういうのをちょっと考えたりするんですよ。
やっぱり、ねえ。去年もひーちゃん(HEATH)がいなくなって、BUCK-TICKの櫻井敦司君もいなくなって。
夏には、友達の白田一秀(gt,ex-GRAND SLAM)とか、僕が若い頃やってたDER ZIBETってバンドのVocalのISSAYさんとか立て続けにね。突然逝く人も多かったんで。

だからやれることやり尽くして、やりたいことをやり切って死んでいかなきゃなっていう思いがあって。
でも今はね、それに向かってやってるんで、すごくいい感じです。
アルバム聴いたら分かると思うけど、HAPPYも結構あります。猫と暮らして幸せ、みたいな。

---アルバムジャケットの羊の写真。とてもインパクトがありました。
どなたの写真なのでしょうか?また今回こういうジャケットにしたいきさつについて伺えますか。


DIE:このジャケットはfacebookでフレンドで繋がってるイギリスのFANの方の写真です。SNSで見かけた時、『わぁ、カッチョいいっ!!』ってなりまして、お願いして今回のジャケットに使用させていただきました。
 なんだろう、色とかアングルとかバランスが絶妙で、CHILLな雰囲気もあるし、なんか羊たちが動物の代表として、人間に物申してる感じもあって良いなぁ、と(笑)。

---ここからは収録曲について1曲ずつお伺いします。

◆1.THE NEWEST CELL
---Liveで盛り上がりそうな元気の出る曲からスタート。
今回はRa:INのメンバー(PATAさん、michiakiさん、西田竜一さん)が3曲に参加。その経緯について伺えますか?


DIE:今まで自分のソロアルバムは色んな素晴らしいミュージシャンに参加してもらってきたんですが、やっぱり一番ツーカーで伝わる人たち、自分が一番信頼おける人たち、ってつまるところ同じバンドのメンバーだったりするんです。
一番間違いない人たち。やっぱり録ってみたら最高でした。

---ヘビーなニュースも多くダウナーな気持ちになりがちな中、やっぱりDIEさんのアルバムはいつでも元気がもらえる。歌詞がストレートに入ってくると感じます。

DIE:時代の閉塞感にやられ気味な世の中をなんとか元気にしたい、それは何の力だろう?やっぱり愛なんだろうな、と。愛が最新の細胞の形なら、人間はもっと優しくなれるはず。誰がやるのか?とにかくまずは僕がひとりぼっちで今ここにある絶望に虹をかけるよ、って。

---途中からのベースラインがかっこいいですね。こういうリフは指定なさるのですか?

DIE:はい、このリフからこの曲は生まれました。ナイン・インチ・ネイルズとかにあるような半音上がりなリフが大好きで。
ま、ベースに関しては細かいフレーズはもうおまかせです。世界一カッコいいロックベーシストですから(笑)。
言うとしたら、『そこ、もっと遊んでください』とかでした。

◆2.Alright Ever Love
---hideさんとの出会いを詞にした歌。やはりhideさんのファンにとって嬉しいですよね。ギターにPATAさんが参加されてるというのも嬉しいポイントの一つですね。


DIE:アーティストDIEとして世の中で活動できてるのはhideちゃんのおかげです。『D.I.E.ちゃん、俺をどんどん利用して、アーティスト活動ガンガンやってきなよ』と背中を押してくれたDIEの産みの親。
そして「ナチュラルボーンオナニスト」をライブで演ってくれ、「FRAGILE」ではギターも弾いてくれた育ての親でもある。
そんなhideちゃんとの出会いを歌にしてもいいのかな、と。

---ミュージシャンでなければ美容師になろうとしていたhideさんがいきなりブリーチなんて、DIEさんもさぞ驚いたでしょうね。その前はどんなヘアスタイルだったんですか?

DIE:この2番の歌詞についてはPATAから異論が出てます(爆)。
『リハの初日じゃなかったと思う』と発売記念ライブの時に言われました(笑)。その前はもちろん金髪もモヒカンもやってたんだけど、ちょうどhideリハ前は黒髪だったんです。それ見て、なんかイメージと違ったのかもね(笑)。

---DIEさんがこういう曲を作るのには年月が必要だったのかな、と思ったりもしました。hideさんと出会わなかったら現在のDIEさんはなかったのかと。ストーリーを曲に仕上げるのは難しかったのでは?とも思いました。

DIE:そうですね、今年で還暦を迎えて自分の人生を振り返った時にいろんな想いがありましたね。hideちゃんと出会わなければ、って想像はしたことはないけど、あのまま、hideちゃんが死なずに世界に羽ばたいていたらバンドも凄い展開になってたのかな、とかね、でも今の自分は良いこと悲しい事、全てあったから今があるわけなんで、ね。

◆3.WHEREVER
---2019年のアルバム『CHILL OUT PIANO』にも収録されていました。
この曲に対する想いはいつもライブでやる前にMCで話していらっしゃるとのこと。DIEさんの代表曲の一つなのでは。グッとくる壮大な曲。前回とはサウンドを変えているのでしょうか。


DIE:はい、代表曲のひとつです。
アルバムに収録された、というよりは配信限定に公開されてた曲だったので、今回めでたくCDに収録いたしました。実はアレンジはイントロをなくして、SEからいきなりサビに入るって展開以外変えてません。歌もオリジナルテイク。ただ、ミックスをプロの方にお願いしました。流石すぎる素晴らしいミックスにぶっ飛びました!!

◆4.Crazy For You
---インスト曲。JAZZYでリラックスできますね。今回のアルバムは、チル・アウトな部分とDIEさんの歌とRockの両方を堪能できる贅沢なアルバム。
ピアノ以外は打ち込みなのでしょうか。ウッドベースの音色がまたいいですよね。


DIE:ピアノも含めて全部打ち込みです。
途中からの展開とか古い映画音楽みたいにしたいな、とか思って作りました。ピアノ曲って歌ものと違って本当に自由に展開できるのでクリエイター冥利に尽きます。なので、Bパートは一回だけ、戻ったあとはDパート入れて終わり。歌ものにはできない構成ですね。

◆5.BABY,I LOVE YOU
---サウンドがちょっと80年代風なのでしょうか?懐かしさを感じさせるポップなラブソング。
歌詞がまたいいんですよね!アルバムタイトルが「memento」だということと合わせると、かなりグッときます。凹んだ時に聴きたいですし、DIEさんの歌声も良くて。DIEさんが励ましてくれてるような歌。


DIE:80年代より前の60年代あたりのドゥワップや中村八大さんあたりを意識してます。メロディはポップで歌謡曲なのにジャズっぽいテンションコードを随所にちりばめられてる曲。
そう、歌詞では幸せに生きる術を身につける+嘘をつかない、というテーマもあって、FANの方もお気に入りの方多いです。

◆6.Sunny In The Park
---まさに陽射しを感じるような、気持ちが明るくなるピアノの音色に癒されます。
弦楽器の音色はウクレレの打ち込みでしょうか。ピアノにマッチしてますね。
DIEさんの愛猫・BIBIちゃんとDIEさんとの会話が最高。最後に驚きのエンディングでした。


DIE:たぶんナイロン弦のアコギのループがあって、それに合わせてピアノを乗せて作りました。
BIBIと散歩してるイメージの曲です。最後はガーシュウィンのループに繋げてみました(笑)。

◆7.UNDERWORLD
---Ra:INのメンバーとのレコーディング曲。さすがRockの大御所たちによるハードで壮大なサウンド。
今回、歌モノは全部広い意味でのラブソングかと思うのですが、そこがDIEさんらしくていいなと思いました。途中高速になるところがたまらなくかっこいいんですよね!ミュートトランペット入ってたりして。ほんとジャンルレスだな!と思うのですが、思えばhideさんだってジャンルにとらわれていなかったですものね。


DIE:このアルバムの中でも一番の意欲作になるのかな、自分的にも点数高いです(笑)。イントロとかはRa:INメンバーでRECする事を意識して作ってます。ちょっとキング・クリムゾンみたいな変態な重厚感。地下世界から見た地上の終末感、でもそれを切り崩して未来を明るくしていくのは貴方(僕自身、若い世代etc)ですよ、って歌 。
ただ今Ra:INのツアーでも演らせてもらってるんですが歌が難しい(笑)。

◆8.MERRY
---おもちゃ箱みたいな可愛い曲。美しいメロディー。
コード的に切なさもあって、楽しいけどどこか哀しみも感じます。


DIE:ロックと別にダニー・エルフマンとかハンス・ツィマーとかティム・バートンの映画に出てきそうな曲とか憧れます。この曲はなんだろう、言うとおりおもちゃ箱みたいなイメージで作りました。

◆9.ABSOLUTELY
---バンドで録音したのかと思う迫力のサウンドですが、キーボード以外は打ち込みなのでしょうか。
艶っぽい歌詞にドキッとしつつも、よくよく聴くと、これもまた「memento」のタイトルとシンクロを感じるなあと思いました。


DIE:ピアノも含め歌以外は打ち込みです。ま、本当はこの曲もRa:INメンバーに頼みたかったんですが、3曲って約束だったので(笑)。
DAVID BOWIE みたいな曲にしたかったんだけど、そうならない(笑)。でもボウイが歌ってるって想像したらなくもないでしょ?(笑)。

◆10.Matsuri
---ソロピアノから始まり、ストリングスが入り、途中からリズムも入りサウンドの重なっていく美しさを堪能しました。とてもきれいな曲で大好きです。


DIE:ありがとうございます♪
この曲はFANの方から、『子供が生まれたのでその子の為に曲を作ってくれないか』とオファーされて作りました。『その子が大人になっても自分の為にDIEさんにお願いして作ってもらった曲で気に入ってもらいたい』と言われ、、頑張って作りました。若い赤ん坊の誕生でこのmementoというアルバムが終わる、ってイイなぁ、と思い、ラストに持ってきました。



---今回のアルバムを引っさげての「memento tour」も各地で好評だとか。そしてRa:INのライブもあり大忙しですね。
DIEさんはいろんなバンド、ユニットに参加されているイメージですが、現在はRa:INの他には?


DIE:いや、今はそんなにいっぱいやっていないんですよ。Ra:INぐらいですかね、ちゃんとバンドって今言えるのは。
ソロプロジェクトみたいなやつを、俺の代わりに歌ってもらったりして、ちょっとバンドっぽくなったときがあったんですけれども、それはもう5年前ぐらいにあまり動かなくなっちゃって。
あとはちょこちょこセッション的な、例えばクイーンを中心とした70年代ロックのカバーバンドをやったり。でもそれもやめちゃいましたね。

---そうだったんですね。今回初めてお会いして、何からお話したらいいかと思うほど伺ってみたいことが沢山あるんです。ここ数年で印象的だったのは2022年公開の映画『TELL ME 〜hideと見た景色〜』。
hideさんの実弟でパーソナルマネージャーを務めた松本裕士さんを今井翼さんが演じ、hideさんが突然いなくなった後の話がメインでしたね。
hideさんが遺した音楽を世に届けるためにどうすればいいのか?どんなことがあったのかが詳細に描かれています。
1998年に開催されたツアー「hide with Spread Beaver appear!!“1998 TRIBAL Ja,zoo”」のライブシーンが圧巻でした。DIEさんを演じた方も特徴をとらえてましたよね!




DIE:俺らが噛んでいるわけではないので詳しくは分からないけど、役者さんたちは動き専門の人に「DIEはこんな動きだから、モヒカンでこうやって頭振って!」みたいなのを重点的に教わっていたらしいです(笑)。

---映画で誰かがご自身を演じるなんてなかなか無いことでしょうし、不思議な気持ちだったでしょうね。

DIE:面白いですね。大体は「これ違うだろ!全然俺じゃないだろ!」っていうことが多いと思うんですけど、動きもライブのシーンも含めて「なんか俺っぽいな」と(笑)。
そんな経験ができたのがちょっと嬉しかったですね。自分が映画の中の役としてあるみたいなイメージ。

---hide with Spread Beaverの皆さん、裕士さん、ほかのスタッフの方々の想いがそれぞれにあって噛み合わなかったり煮詰まったり…観ていて辛くなるシーンもたくさんありました。

DIE:あんなつかみ合いで喧嘩するようなことはあまりなかったですね(苦笑)。でも、hideちゃんが生きてる時には殴り合いとかはありました。だから話は全部が本当じゃないかもしれないけど、大体はあんな感じですね。

---本人がいないライブをああいう形で決行するまでに、去っていく人がいたりわだかまりがあったり。でも結局ライブは開催された。そして、現在に至るまで数多く開催されたhideさんのイベントに繋がっていくんだなと…。

DIE:もう25年前ですよね。それからしばらくは俺らも結構ちょっと目立ってて、いろんな事務所に行ったり、いろんな活動したりと頑張ってますけど…。
ちょうどその頃生まれたぐらいの子がhideちゃんを好きになったりして、それは映画のおかげもありますよね。
若い人たちが食いついてくれるっていうのは、やっぱり音楽とかビジュアルがそんなに古くないっていうことで、そこは凄いなと思いますね。

---私がhideさんを気になりだしたのは、Corneliusのアルバム『96/69 (地球あやうし!)』(1996)にhideさんがリミックスで参加したあたりからですね。

DIE:2ndアルバム『PSYENCE』の頃、レーベル・LEMONed(レモネード)を作り始めるぐらいの時期ですね。
じゃあX(現 X JAPAN)は全然聴いてこなかったんですか?

---当時はほとんど聴いていなかったですね。

DIE:俺も全然(笑)。Xは悪い噂ばっかり流れてきていやだなぁって思ってたもん。
hideちゃんの話を振ってくれた人が「いや、hideさんは全然そういう暴力とかは無いし」って言ってたけど、"人間サンドバッグ"って、メンバーが機嫌悪いとサンドバッグになるローディーがいて…みたいな噂が結構業界に流れてたから。
結局、暴れるのはドラムの人だっただけで(笑)。しかもいま、自分はPATAとバンドやってるし。
PATAはシャイであまり人前で喋らないですけど、俺らのバンドだけのリハだと一番喋る喋る。しかも話が面白いでしょ?

---はい。1998年〜1999年ぐらいは沢山の音楽雑誌がhideさんの特集を組んだのでほとんど読みましたけど、PATAさんのお話は飄々としていて、なんかいいですよね。
あの頃の自分は悩み深くて30代になるのが怖かった。その頃hideさんの存在が自分の中で大きくなりライブやMVのビデオを買って何度も観ました。 DIEさんとかhide with Spread Beaverの皆さん、PATAさん、もちろんhideさん。みんなはっちゃけててカッコイイ30代だった。30代も悪くないなって思い始めましたね。


DIE:あれは、とにかくもう移動の時から、ホテルから、打ち上げから、楽屋から、ずっと撮りっぱなしなんですよ。常にビデオチームの誰かが撮ってるから。たまに撮られるとカメラを意識するけど、ずっと撮られているとだんだんカメラがいること関係なし!
編集は大変だったと思うんですけど、美味しいところばっかり繋いでるから、すごく面白いビデオになってます。

hideは今年がちょうど60歳になる年なんですよ。
生まれた年は一緒で、俺が早生まれなんで学年1つ上なんですけど。
還暦祝いみたいな感じで、弟(松本裕士さん)が頑張ってます。次世代につないでいこうというコンセプトでね。それはすごくいいことだけど、もう新曲とかないからね。ちょっと大変なんです。



---今回もう一つじっくり伺いたかったのは、DIEさんの音楽キャリアについてです。
子供の頃にピアノを習っていらしたんですよね。


DIE:小学校低学年から5年生までやったのかな。中学校ではやってないです。

---前にお答えいただいたインタビューによると、中学・高校・大学はバンドをいくつも掛け持ちされていたとか。

DIE:中学からバンドを始めましたね。

---やはりキーボード担当ですか?

DIE:いや、最初はドラム。ドラムがいなくて。
キーボードが入ってる音楽ってあんまり好きじゃなかったんですよ。
ビートルズもたまにキーボード入っているけれども、メンバーにはいないし。ビートルズから始まって、KISS、クイーン、エアロスミス。いちおうメンバーにキーボーディストはいないし、そういうのが好きだったんです。

バンドを一緒にやる友達は、だいたいドラムがいないんですよ。ドラムなんてよほどお坊ちゃんじゃないと買ってもらえないし。

---それなのにドラムを?

DIE:当時内気でおとなしい子だったんです。だから「こいつなんでもいうこと聞くから、お前ドラムやれ!」「うん、わかった」みたいな感じで。
「じゃあ、どうすればいいの?」「一、二、三のときに左を叩けばいいんだよ」って、手の練習だけ。
ずっとそれを練習してスタジオに行ったら足があって、足は何もできなくて・・・一回コンテスト出てすぐクビになりました(笑)。

---中学生で既にコンテストに出ていらしたんですね!

DIE:その頃は、EastWestとかポプコンとか、オリジナル曲を作ってそれに出たらもしかしたらプロになれる?みたいな感じだったんです。逆に言うとそれしかないみたいな。
中3でEastWestの地方大会に出てましたね。

---その後プロになったのはどんな経緯だったんですか?

DIE:大学で軽音に入って、ずっとプロになる!って思ってて。だんだん知り合いとか横の繋がりが出来てきた頃に、たまたま知り合いのキーボードが「自分できないからダイちゃんやらない?」って国生さゆりさんのキーボードの話を持って来て。
だからオーディションがなかったんですよ。エキストラでと聞いてて、行ってみたらレギュラーになってて。それは大学4年の時かな?CBSソニーのエイプリルミュージックという事務所の方がすごく丁重に扱ってくれて。何のオーディションもないのに。

---凄い話ですね。

DIE:俺、オーディション受かったことないんですよ。だから運がいいな。オーディション受かったことないのに、ここまでなんとかやってこれたっていうのは、いろんな人との出会いのおかげですよね。
俺を紹介してくれた人は河野伸っていうんですけど、すごく有名ですよ。一番有名なのはRIP SLYMEのプロデューサーかな?

---お名前は聞いたことあります。

DIE:彼は俺の一つ下なんですけど、若い頃すごくいっぱい仕事をやってて。スケジュール合わなくなっちゃったから、ダイちゃんやらない?って。

---国生さゆりさんはおニャン子クラブをやめた後ですか?

DIE:そう、まさにおニャン子をやめてソロ活動を始めるところ。

---ということは…「バレンタイン・キッス」?

DIE:バレンタイン・キッス、もちろん。あれ、やらないわけないんです(笑)。ライブでオーケストラ・ヒットとかやってましたね。
さゆりちゃんは1つ下。周りはみんな当時30歳ぐらいの男性。俺より8つも上のプロの人たちだったんで、全部言うこときいてました。
で、さゆりちゃんは同じぐらいの年だったから結構仲良かった。
でも打ち上げで飲んで、俺あんまりお酒強くないんで、何かのせいろ蒸し、確か牡蠣だったかな?それとビールで吐いちゃったことあります。さゆりちゃんの真ん前で(苦笑)。

---お酒といえば、先日雑誌のインタビュー(「ROCK AND READ」112号/シンコーミュージック)で読みましたけど、DIEさんが無理してお酒を飲んでいたら、hideさんに「無理して飲まなくていいよ」って言われたお話。それ以来無理しないようにしてるんですか?

DIE:いや、そんなことないです。無理します。でもhideちゃんはそう言ってくれましたね…。
名古屋かどこかの2次会のロックバーで、グワーッとみんなで騒いでたんだけど、ちょっと酔っ払いすぎて疲れたなと思って、外の空気にあたろうと階段のところに降りてったら、ちょっとしたらhideちゃんも出てきて「DIEちゃん、大丈夫?」って。
店内は暗いし誰がどうしてるか分からないなか飲みながら、hideちゃんは「みんな楽しくしてるかな?」って全部見ていたみたいですね。
それでDIEちゃん帰ってこないから大丈夫かな?って。「DIEちゃん、お酒飲めないから無理して飲まなくていいからね」って言ってくれて。

hideちゃんはその頃インタビューで「メンバーは音楽性とかじゃない!決め手はお酒が飲めるかどうかだ!」って答えてて。そう、よく答えてたんですよ。「酒飲みだけは最低の条件!」みたいな。
だから、俺もすっごい頑張って飲まなきゃ!と思ってて。

あ、hideちゃんと初めて飲んだ日もモスコミュール2杯で六本木のお店出た途端に吐きました(笑)。
カクテル2杯で吐いたなんてみんなに大笑いされますけどね。

---モスコミュールなんて強いですしね。

DIE:それで、ベロベロになって「DIEちゃん帰っていいよ」ってhideちゃんに言われました(笑)。



---DIEさんがプロになったのは国生さゆりさんのバンドからということになりますか?

DIE:時間軸ははっきりわかんないですけど、単発のそれこそ本当に一本だけのエキストラみたいな仕事はちょこちょこあったかな。あとは「オペラ座の怪人」のシンセサイザーもやりましたね。

---舞台ですか!すごいですね。

DIE:それも河野伸の紹介でした。

---「オペラ座の怪人」といえば、あのパイプオルガンがかっこいいですよね!

DIE:そう、「あれを俺が弾くんだ!」って思ってたら、あれは生じゃなくテープでした(笑)。

---そうでしたか〜。パイプオルガンのあるホールで舞台なんて、なかなかできないですものね。

DIE:そうそう。俺はシンセだったんで、怪人が出てくる時に「バラバラバラ」って怪しい感じのフレーズ弾いたり、オーケストラと同じ個所を両手で同じように弾いたり。
オーケストラはピッチが結構ずれちゃうんで、シンセはピッチがしっかりしてるから、支えてあげるとピッチ感がはっきりするんですよ。
あとは、行きっぱなしの譜面なんです。

---「行きっぱなし」とは?

DIE:俺らの受ける仕事って、だいたいリピートマークやダルセーニョで譜面2〜3枚で収まるんですが、「オペラ座の怪人」は行きっぱなし、一回も戻らないから譜面がぶ厚いの!全部で2時間ぐらいあるから、最初はすごく大変でしたね。

---何回公演だったのですか?

DIE:200公演のうち、河野伸のできない分を俺がやって。河野が80公演、俺が120公演ぐらいでした。
川崎市あざみ野に劇団四季の稽古場があるんですけど、リハーサルだけで一か月ぐらい通いましたね。

---すごい日数を拘束されるものなんですね。

DIE:オーケストラはそれぞれのパートを3,4人で回していたんですよ。だから、「今日のコントラバスはあの人だ」とか、「パーカッションのあの子は休みだ」とか、みんな他の仕事なんかと回しながらやっていたんじゃないですかね。
シンセも河野伸がメインで、俺がサブだったんだけど、河野が忙しくて俺のほうが回数多くなっちゃった。

土曜はマチネとソワレの2回公演だったんですが、水曜公演っていうのもたまにあったんです。
俺、一回水曜公演あるの忘れてて海に遊びに行っちゃって(笑)。

---え!どうなっちゃったんですか?

DIE:あの頃って携帯なんかなくて、身一つで海で泳いでたから…。
次に行ったら、もう空気がね…「来たよ、あいつ」みたいな。オーケストラの上の人に「お前、酷かったんだぞ!」と言われて、3公演分ぐらいの罰金払って始末書書きましたよ。

---わ〜…居心地悪そう。

DIE:オーケストラの人たちはみんな芸大とか音大出ているような人たちなんですよ。
俺、いじめられてるとまではいかないけど、指揮棒での入りがなかなかうまくいかなくてバカにされたり、みんななかなか音出さなくて、俺だけ前につんのめって弾いてしまうとか…そういうことがあったんです。
でもハープの人は隣の席だからか仲良くしてくれてね。
「怪人のシーン、(俺がいなかった時)どうしたんですか?」って聞いたら、「私が弾いたわよ!」って(笑)。ハープは出番少ないから「バラバラバラ」って弾いてくれたって(笑)。

---すごい経験ですね。DIEさんがhideさんやGLAYとの出会いにたどり着くまでには本当にいろいろあったんですね。

DIE:ちょろちょろいろんな仕事やってるうちに、ある日おニャン子の河合その子さんのTVの仕事が入って。当時TVは当て振りがすごく多かったんですけど、当て振りじゃなかったんですよ。
河合その子さんの時に、インペグ屋(注:演奏ミュージシャンを斡旋・コーディネートする)の社長と知り合い、ちわきまゆみさんや少年隊の仕事を紹介してくれたんです。

---拡がっていくんですね!

DIE:ちわきさんは、SMのボンデージの格好しながらニューウェイヴな歌を歌ってて。ベースはPINKの岡野ハジメさん、ギターがDER ZIBETのHIKARUさん、ドラムはその後GLAYで一緒にやることになる永井利光(Toshi Nagai)。もう1人のギターはもう亡くなりましたけど、PINKにいた逆井オサムっていう人でした。

その縁で、HIKARUさんがDER ZIBETに呼んでくれて。インペグ屋の社長と知り合わなかったら、ここまで拡がらなかったですね。少年隊の全国ツアーにも参加したし。

---少年隊といえば「仮面舞踏会」や「君だけに」も演奏されたんですね。

DIE:あの頃はなんでもサンプラー使ってましたね。「君だけに」の時はメンバーが指を鳴らすときにパーカッションの人が電子パッドみたいなのでフィンガークリップの音を出してたんです。

---妙にいい音だと思ったら、やはり本物の指パッチンなわけないですよね。当時は少年隊の皆さんは指を鳴らすの上手いんだなあって素直に思いながら聴いてましたけど(笑)。

DIE:それをマイクで拾うなんてすごくアナログなことをするのはね(笑)。あの時代は結構サンプラーが出てて、フィンガークリップもいい音がありましたからね。

少年隊の3人は上から登場して、階段の下で練習する。
あの時はその階段の下で演奏してたんで、つまらなかったです。お客さんの前で演りたいと思ってミュージシャンになったっていうのもあるからね。 俺以外のドラムとかはみんな映ってるんですけどね。まぁお客さんは少年隊以外、誰のことも見てないよね(苦笑)。

---しかしDIEさんのキャリアは幅広いですよね。

DIE:やっぱりそういうのも活かされてますよね。歌謡曲って難しいんですよ。自分はあまりやってきてないから、結構大変だった。あの時代の歌謡曲って、キーボードはだいたい二人いたんですよね。ピアノ担当とそれ以外。俺はたいていピアノ以外で、3段積みのシンセです。ストリングス、オルガン、ブラスとか。

---DIEさんはさまざまなアーティストのツアー参加が多いようですけど、レコーディングにも結構参加なさっていたのでしょうか。

DIE:「オペラ座の怪人」は最後にレコーディングをやりましたね。河野じゃなくて俺が呼ばれました。
もう本メンバーみたいな扱いですよね。それはもう100何回やってるから、怖くなくて全然できました。指揮者が来てくれて、指揮を見ながら舞台と同じようにやればね。

歌謡曲では柳葉敏郎のソロアルバムなどちょこちょこやりました。DER ZIBETのアルバムは丸々1枚やりましたね。だって、俺のプレイ気に入ってくれた人じゃないとね。俺はどこでも行けるセッションミュージシャンみたいな腕じゃないんですよ。自分の得意なとこでは出来るけど、そんなに…うん、一流セッションミュージシャンではない。

それがなぜかって言ったら、俺はそういうのになりたかったわけじゃなくて、やっぱり作品を作って、自分の得意なもの、やりたい曲を作って、自分が表に立ってやりたい人だったから。
サポートの仕事がいっぱい来ちゃったりするとね、やりたいことができなくなっちゃう人って結構いるんですよ。あと、やりたいことがわからなくなっちゃう。

とりあえず来たことをやって、自分のステータスが出来上がっちゃうと、もうそれでスケジュール埋まっちゃって、お金も結構もらえて。そうすると、自分が発信しなくてももういいやみたいな。
だから俺、GLAYをやめた理由もちょっとそれがあって。忙しすぎちゃって、もう1年中ツアーに出っぱなしで。
自分がクリエイティブにもっとやりたいなと思ったんで。

だから今はすごいすごいちっちゃい規模ですけれども、お客さんもそんなに多くないし、でもゼロじゃないし。気に入ってくれる人がいて、やりたいことをやれているんで、すごい幸せです。

---GLAYのときは1997,1998年ぐらいに、DIEさん、めちゃくちゃTVに出てましたよね。

DIE:昔はね。この前も友達と話したんだけど、ミュージックステーションに2組のアーティストで同じ日に2回出た人ってあんまりいないと思うんですよね。
hideの「ROCKET DIVE」とGLAYの「HOWEVER」で。

---凄いですよね!!

DIE:うん、だからそれだけが自慢です。死ぬ時にそれだけは「偉い偉い、頑張ったぞ」って。



『memento』DIE

1.THE NEWEST CELL
2.Alright Ever Love
3.WHEREVER
4.Crazy For You
5.BABY,I LOVE YOU
6.Sunny In The Park
7.UNDERWORLD
8.MERRY
9.ABSOLUTELY
10.Matsuri

guest musician :PATA(g)、michiaki(b)、RYU(Dr)、Kaga Manabe(g)

入手方法:DIE OFFICIAL SITEから購入可能
https://die1964.com/shopping/shopping.html




◆DIE プロフィール:
DIE (Keyboardist)
Birthplace:Tokyo
Birthday: 1964.2.15
Star Sign: Aquarius
Blood type: A

hide (X JAPAN)とGLAYのサポートキーボーディスト、hide with Spread Beaverのキーボーディストとして名を馳せる。
1986年、22歳のときに「国生さゆり」のバックバンドで初めてプロミュージシャンを経験したのを皮切りに、その後 「少年隊」、「松本典子」、「小柳ルミ子」、「劇団四季のオペラ座の怪人」、「ちわきまゆみ」、「デルジベット」、「Zi:KILL」、「PEARL」、「白井良明(ムーンライダース)」、「久松史奈」、「hide(ex. X JAPAN)」、「幻覚アレルギー」、「GLAY」、「相川七瀬」、「TRIPLANE」、「Marty Friedman 」、「上杉昇(ex. WANDS)」、「大槻ケンヂと絶望少女達」、「広石武彦(ex.UP-BEAT)」、「河村隆一」、「森友嵐士(T-BOLAN)」、「THE SLUT BANKS」 などのライブサポートあるいはレコーディングに参加した経歴を持つ。2009年からは、ロックキーボーディストによるヒーリングピアノに挑戦し、2012、2013年には大澤誉志幸氏と「渡り鳥ツアー」と称して全国32箇所アコースティックツアーを敢行。2015年にはは田村直美(ex.PEARL)らとアコースティックツアーを敢行。

また数々のプロデュース&アレンジをこなしながら、hide with Spread Beaverに参加したことをきっかけに自身もソロ活動を開始、1996年〜2018年までに3枚のメジャーアルバムと8枚のインディーズアルバムを発表。2010年からはヒーリングピアノにも挑戦し続けている。
X JAPAN のPATAらと轟音ハードロックインストバンド、Ra:INに在籍、活動中。

DIE OFFICIAL SITE
http://www.die1964.com/info/
Twitter(Daijiro Nozawa a.k.a.DIE)
https://twitter.com/pukapyu
Facebookページ
https://www.facebook.com/otonosyohousen/
YouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCVNpmrqS-GZ9pKweTmS2DgA

♪DIE 最新Live情報
※ご予約の際は、最新情報や詳細についてDIEさんの公式サイトで予めご確認をお願い致します。
http://die1964.com/schedule/

2024/12/8(日)
IE memento tour Vol.8 in hide Birthday@川崎クラブチッタ(Thank you sold out ! ! !)
2024/12/21(土)
岡本元気 50th生誕祭@岡山 CRAZYMAMA KINGDOM
2024/12/22(日)
DIE Christmas Night in Osaka@大阪FREEDOM
2024/12/25(水)
DIE memento tour final+Christmas Rock Night@横浜THE CLUB SENSATION
2025
1/19 Ra:IN@目黒イベント
1/25 DIE solo@ 名古屋
2/2 Ra:IN vs DOOM @渋谷
2/15 DIE Birthday solo @池袋
2/23 千葉hide倶楽部@横須賀


<Cheer Up!関連リンク>

DAIJIRO NOZAWA『CHILL OUT PIANO2』インタビュー(2020年)
http://www.cheerup777.com/die2020.html
DAIJIRO NOZAWA『CHILL OUT PIANO』インタビュー(2019年)
http://www.cheerup777.com/die2019.html
DIE『Astronauts』インタビュー(2018年)
http://www.cheerup777.com/die2018.html
DIE『音の処方箋』インタビュー(2016年)
http://www.cheerup777.com/die2016.html
新譜情報『音の処方箋』(2016年)(DIEさんからのコメント有)
http://ameblo.jp/cheerup2009/entry-12173690173.html
特集:あなたにとってのCheer Up!な音楽教えて下さい♪(2014年)
http://www.cheerup777.com/cheer/die.html



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