1977年秋「てぃーんず ぶるーす」「キャンディ」「シャドー・ボクサー」と異例の3ヵ月連続シングルリリースでデビュー、瞬く間に人気スターとなった原田真二さん。
永遠の名曲との評価が高いそれらのヒット曲は、その後スピッツ、三浦大知、上白石萌歌(EIKO名義)などさまざまなアーティストにカヴァーされ、都度大きな話題になっている。
デビュー40周年を過ぎ、コンスタントに精力的な音楽活動を展開している原田さん。
2024年3月31日、仙台「誰も知らない劇場」にて開催されたアコースティックライブの模様をお伝えしつつ、後日敢行した原田さんへのインタビューをお届けする。
また、本特集では、原田さんが力を入れる平和活動についての詳細と、初めて原田真二さんの音楽に触れるリスナーを対象におすすめアルバムや動画を紹介し原田真二さんの魅力をたっぷりとお伝えしたい。(2024年4月)

インタビュー 平和活動 おすすめアルバム


仙台「誰も知らない劇場」は歴史ある映画館から生まれ変わった小劇場。普段は静かな建物の中は、開場を待ちきれず階段にズラリと並ぶ観客でざわついていた。
ドリンクを手に赤い座席に座ると、ステージに置かれているのはギターとキーボード。
見回すと約150席は満席、客層は意外に男性も多い。聞こえてくる会話に耳をすますと、デビュー当時からのファンも多い様子だ。

15時、白地に黒い柄の衣装に身を包んだ原田真二さんが登場すると、客席の温度が急速に上がり、歓声が拡がった。


---仙台には久しぶりにいらしたと思いますが、ライブを終えていかがですか?

原田:すごくいっぱい入っていただいて、まずはそれが一番嬉しいし、昔からそうなんですけど、仙台のお客様のノリが良くて!

ある時期から、どんなお客様にでも自分自身が対応できるようになっているので、それは大した問題ではないんですけどね。静かなら静かでツッコミどころ満載なので、ライブはいかようにでも自分自身が楽しめる状況にはなっているのですが、そんな中でもすごく盛り上がっていただけるしね。
4年前にステージから落ちてしまって骨折した事件はあったんですが(苦笑)。そんなことはとりあえず忘れてしまうぐらい、本当に楽しい時間でした。

---その事件は、今回と同じ会場だったのですか?

原田:そうなんですよ。「タイム・トラベル」という曲で、皆さんにも歌ってもらうので、どんどん下りていって客席に入っていったんですけど、その時に階段でつまずいて席に落ちそうになったんです。
お客様の上に落ちないようにと思って、とっさに体をひねったとき片足で着地してしまって。
それでかかとを粉砕骨折したというわけなんです。

---それはかなり痛かったでしょうね…。ライブは中断となったのでしょうか。

原田:最後のところだったので、とにかくもう1回ステージに上がり直して曲は終わらせましたが、骨折してたので、非常に気持ち悪い状況の中で歌って。まあ一応無事には終わったんですけどね…。

---そんな苦い思い出のある会場だったわけですね。

原田:ええ、そうですね。でも全然イメージが変わりました。とても楽しかったですね!

---今回のライブはソロのアコースティック・ライブでしたが、最近は各地でもアコースティック・ライブが多いのでしょうか?

原田:それは企画の問題ですね。アコースティックでやるのは僕一人いればいいだけの話なので、それで本数はどんどん稼げるわけですよね。だから、自分の歌とメッセージをいろんな場所で出来得る限りやっていくということで考えれば一人で動くのが一番早いわけですよ。
とはいえ、本来ロックをやろうとしてるもんですから。何十年も一緒にやってるバンドのメンバーとやるのがベストな形ではあるんです。バンド・ライブは皆さんのスケジュールもあるので、年にそんなにたくさんの本数はできないんですけどね。

ライブでは、曲の合間に原田さんが会場の一人一人に語りかけるようなトークも印象的だった。
まずは、今年正月に起きた能登半島地震の支援の話。
先日原田さんは石川県・七尾の避難所慰問を行い、出身地・広島のお好み焼きを振る舞いミニライブを行った時のことを語った。

そして、いまだ終わりの見えない世界各地での戦争のこと。
規模が大き過ぎて、自分ひとりでは何も出来ない、ましてや世界を変えることなんて無理…そんなことを思いがちだが、原田さんの考えを聞いていると、まずは自分にできることを一つずつやろう、自然とそんな気持ちにさせられる。
原田さんの説得力。それは原田さんが広島市で生まれ育ったことと無関係ではなく、デビュー当時から「LOVE & PEACE、HAPPINESS」をテーマに音楽の力を信じ続け、一貫して平和への希求を訴え続けていることから滲み出てくるのではないだろうか。

---原田さんの平和活動は多岐に渡ると感じていますが、被災地支援・NPO法人・署名活動・各地の神社で行う「鎮守の杜コンサート」など、色々と並行して行っていらっしゃるのでしょうか。

原田:そうですね。まず「鎮守の杜コンサート」は神社を舞台に使わせていただく形態です。やらせて頂く神社の氏子さん、その神社から拡がっているコミュニティ、来ていただく方もその目的の為にキャストの一部のような形で参加して頂きます。
かなり準備期間がかかりますし、平和構築の発信を強くやっていることもあってなかなか最近は「鎮守の杜コンサート」が出来ていないんです。
どの活動も同じ方向性にあるものなので、どれをやらなきゃいけない、っていうことではないんですけどね。

「鎮守の杜コンサート」は大きな神社の拝殿を舞台にするので、拝殿の中からレーザーを飛ばしたり、周辺の鎮守の杜をライトアップしたり、荘厳でビジュアル的にも楽しめるライブなんですよ。
あとは地元の音楽に関わる方々、例えば和太鼓のチームや、場所によってはフラダンスの方々に出て頂いたこともあります。

---フラダンスですか?ちょっと意外です。

原田:フラダンスと神社って全然関係ないようなんですが、実はフラダンスは基本的なところで自然への感謝の踊りなんですね。神社は自然への感謝の場所なんですよ。

「鎮守の杜コンサート」は子供たちが優しい気持ちを持って大人になっていくための「心の環境整備」をしようという趣旨です。
大人が責任を持って「子供たちが優しい気持ちになって大人になってくれるような環境を整備していこうじゃないか」という発信をやるわけなんです。
本当に優しい人々が増えてくる未来があると、確実に平和になってくるわけですよね。
だから全てが同じ方向の延長線上にあるんですが、「鎮守の杜コンサート」はやり方として、地元を巻き込んだ、神社という舞台を使ってのイベントということになります。それは今後も継続しますが、そう頻繁にはできないというところでしょうかね。

---原田さんはNPO法人「ジェントル・アース(Gentle Earth)」を立ち上げていらっしゃいます。こちらは、原田さんの平和活動の拠点として立ち上げたと理解してよいのでしょうか。

原田:おっしゃる通りです。まず「鎮守の杜コンサート」をやることからNPOを立ち上げたのですが、世の中を平和な方向に持っていくためのNPO法人であるということですね。

---今回のライブでもお話がありましたが、戦争に災害、そして身近なところではSNSによる誹謗中傷、人と人が言葉で傷付け合うのが日常茶飯事。辛くなる話題が多すぎて、日々の仕事に追われて、目をそむけたくなるのが実情。私を含めそういう人も多いと思うのですが…。

原田:「平和を作るために皆さん頑張りましょうよ!」って言っても、「私はそんな力を持ってない」「僕は何にもできない」っていう方が多いんですが、一人一人が出来ることは、実は山のようにあります。
まして、今インターネットがある社会にいる中で、 一人が発信することが実は非常に大きな力を持ってしまうことが多々あるわけですよね。だから、誰もがその中の一人であるという認識をお届けしたいなと思うんですよ。

世界平和というイメージはジグソーパズルみたいな感覚だと思うんです。ジグソーパズルは1ピースかけても成立しないわけですよね。
1ピースは一人一人であるという、なんとなくそんなイメージを持っていただけるといいんですが。そのピースを、自分がちゃんとそこにはまるようにすることで成り立つというか。

極端な話を言うと、80億の人間がいて、みんながお互いを尊重し合ったり、リスペクトしたり、助け合ったり、一人一人が周りを思いやれる優しい気持ちを持てるかどうかっていうことが、本当にキーになると思うんです。そういう意味でいくと「自分は何をすればいいか?」っていうのは、自ずから見えてきますよね。
だから、一人が、その方が住んでる場所で、 もちろん家族の中でも友人たちの中でもいいですし、周りに対して優しさの行動を取れるようになってくると、確実にその周辺に与えている影響が変わるわけです。

「それぞれのコミュニティで周りを照らす灯台みたいな役割になれますよ」ということもよく言うんですが、 決して「自分には力がない」わけではなく、誰もが力を持った存在であるということです。
一人一人が優しい気持ちを持ち、その優しさの行動をいろんな形で発信していくことで、その方から発生しているコミュニティにどんどん拡がっていく。

例えば、僕とか他の方とか、誰かキーマンがいて、その人たちが世の中に奇跡を一瞬で起こしてしまうということではないんですよね。
何らかの形でその情報を聞いて、「よし、僕もやろう」とか「私も何か行動を起こそう」っていう、そういう連鎖が生まれない限り難しいわけです。

そんな中で僕は音楽を使ってメッセージを発信してるんですが、音楽がいっぺんに多くの方の気持ちを開いたり変えてしまうという意味では、非常に効果的だと手応えを感じてるわけなんですよ。
だから僕は音楽をずっと続けているし、特に海外の英語圏じゃない場所でも反応や手応えを得ることが今までの経験の中であるものですから、それこそ国境や宗教や民族を飛び越えていけるのが音楽というツールであるし、80億全員に影響していける可能性があると思うので僕は音楽をやってるんです。

80億の中の何人かが、その音楽がきっかけで自分も何かアクションを起こさなきゃって思ったら、またそれが大きな拡がりになっていきますよね。その連鎖が結局全てに必要なんだと思いますが、それをムーブメントとしてやろうとしてるということです。
だから、 見ていただいてるお客様一人一人にも何かアクションを起こしていただくきっかけにしていきたいな!と、いつもライブでは思っています。

今回の仙台ライブでは、新曲から代表曲まで原田さんの音楽の世界を存分に味わうことができた。
オノヨーコが英詞を手掛けたという坂本九の「上を向いて歩こう」、この季節にぴったりな「Spring Shower」、歌詞が心に沁みる「Goodbye Tears」…
ギターやキーボードを自在に演奏しながらの、圧倒的なパワーを持つ歌声に会場は終始ハッピーな空気に包まれた。

強く感じたのは原田さんのエンターテイナーとしての素晴らしさ。会場の一人一人と話しているかのような親密さを感じさせるトーク、平和について語り個々がしんみりと考えさせられる時間が流れるかと思えば、ユーモアたっぷりに「キャンディ」の合間のかけ声「しんじー!」の練習でみんなを和ませる。
そして「タイム・トラベル」や「てぃーんず ぶるーす」では客席と共に歌い、自然と会場が一体になっていく。原田さんの言う音楽のパワーとはこういうことか!と体感できるライブだった。


---ここからは音楽のお話を伺いたいと思います。まず、このWEBマガジン恒例の質問なのですが、原田さんにとっての「Cheer Up!ミュージック」を教えていただけますか?

原田:そうですね、18〜19歳の頃はすごく音楽を聴いて、 音楽から吸収しようという生活だったんですけど、そのうちに音楽の形態とか、いわゆる何が流行ってるとか、そういうものは日常の生活の中でどんどん飛び込んでくるので、あえて何かを聴くことをしなくなったんですよ。そのうちに、それほど音楽に興味を持って聴いていないという日々があるんですね。音楽家なんですが(笑)。
自然のエネルギーに触れた時の方が、自分の活性化や自分自身の充電になる。やる気がどんどん湧いてくるっていう、そんな充電の仕方をしてるんです。

---原田さんは中学生の頃、エルビス・プレスリー、エルトン・ジョン、スティービー・ワンダーなど洋楽をたくさん聴いていらしたそうですが、その中からあえて中学生の頃の「Cheer Up!ミュージック」を1曲挙げるとすれば、いかがですか?

原田:ちょうど本腰を入れて「プロとしてデビューしたい!」と思い始めたのが、中学3年ぐらいの頃だったんです。
まだそんなに音楽を作れたりするわけでもないのに「この道しかないな」って思った時期があるんですが、その時に強烈に後押ししてくれたのは、エルトン・ジョンの「土曜の夜は僕の生きがい」という曲なんですね。
ドラムとギターのリフから始まる非常にパワフルなエイトビートのシンプルな曲なんですが、「かっこいいな!!」と思って。その当時エルトン・ジョンが広島にも来たという、そんな時代なんです。

エルトン・ジョンが来たその日は、僕は高校受験の当日で、さすがにコンサートには行けなかったんですけど、後にアメリカに住んでる時にチャンスがあって、同じメンバーでのライブを見ることができたんです。その時の「土曜の夜は僕の生きがい」というロックが、非常に興奮する一曲ですね。

---これは、かねがねお伺いしてみたいと思っていたことなのですが、「タイム・トラベル」の作詞は松本隆さん。そして作曲・編曲は原田さん。この曲のチャールストンの箇所のホンキートンクピアノがとても印象的でかっこ良くて。このアイディアも原田さんなのですか?

原田:全部そうです。その当時は楽器を実際借りてこなきゃいけなかったんで、なかなか大変なレコーディングの作業ではあったんですが…。いわゆる音源のシンセみたいなものがないですからね。全部本物を借りてきてレコーディングしてましたよね。

---ホンキートンクピアノも、借りてきたのでしょうか。

原田:そうです。アップライトのホンキートンクピアノの、ちゃんとチューニングをずらしてあるやつ。

---原田さんのデビューは本当に大々的なもので、宣伝に関わることを含めとてもお忙しかったのだろうと察せられます。そんな中、デビュー曲や1stアルバム『Feel Happy』から作曲・編曲を手掛けられていて。アレンジがとても凝っているなあと思うのですが、そのあたりについてはいかがですか。

原田:基本全部僕のアレンジがベースになって、そこにアレンジャーが入ったんですが、その作業はベースアレンジがあって、そこにプラスアルファというような形のものがほとんどでしたね。

僕はロックアレンジ以外の部分では、特にストリングスやオーケストラのアレンジがすごく好きだったので、デビュー前からずっとやりたいと思ってて。
そこへ、レコーディングエンジニアに対してのワークショップなんですが、ストリングスを録る勉強会みたいなのがあったんです。それに参加しました。

レコード会社のディレクターに「曲のレコーディングでストリングスをやるから、なんかアレンジしてみない?」って言われたんですよ。そんなチャンスもなかなかないんで、「あ、やりたいやりたい!」って言って、ちょうどアルバム用の「風をつかまえて(Catch The Wind)」の曲のストリングス・アレンジをやったんですね。

ストリングスアレンジは「管弦楽入門」っていう難しい本でバイオリンやいろんな楽器の音域を調べながらスコアに書いていって。
ストリングスは「6422」と呼ばれる、第1ヴァイオリン6人、第2が4人、ビオラ、セロで2人ずつっていう人数で昔はよくレコーディングしてたんです。その人たちに譜面を渡して、音を初めて出してみたんですが、いわば試しでやったものなんですよね。それをディレクターが聴いて「全然いいじゃん!」っていう話になり、そのままレコーディングしたものをアルバムに入れる形になりました。

で、調子に乗ってきて、 6作目のシングル「OUR SONG」で初めてオーケストラ・アレンジまでやるということになったんです。

---オーケストラ・アレンジは、移調楽器についてもご自身で調べて書かれたのでしょうか。

原田:そうそうそう!移調楽器はね、これが結構大変だったんですよ。後で考えれば写譜屋さんにやってもらえばよかった話なんですけどね。移調しながらスコアに書くと、やっぱり間違いが多くなるんですよ。
今はPCで全部できちゃいますが、その当時は音が出るまで間違いがわからなくて大変でしたね。

---貴重なエピソードばかりで驚かされます。

原田:クラシックのベースが全くないんで、スコアを作ったりする時には苦労しますよね。手元に鍵盤がないと、確認しないとわからないですよね。まぁ、コードは大丈夫ですけどね。

---70年代、80年代はもちろん、その後もコンスタントにアルバムを発表されています。最近のオリジナルアルバムは『PRESENCE』(2017年)『ROCKS』(2019年)ですね。先日『PRESENCE』の初回限定盤に付いていたDVDで、アルバムのメイキングを拝見しましたが、あれは一発録りなのでしょうか。

原田:ちょっと重ねたい部分はもちろんオーバーダブしてますが、基本一発録りです。4人でやってるバンドライブの形をそのままスタジオレコーディングしたという感じです。

---リューベン辻野さんがドラムを叩いていらっしゃいましたね。お付き合い長いんですよね。

原田:そうですね!デビューからもう知り合ってますからね。リューベン&カンパニーとか自分の歌も歌ってるし、リューベンのキャリアを考えると本当にバリエーションがすごいんですよ。ロックは当然ながらアイドル歌手のバックから大御所からいろんな音楽の経験があって。そこは本当にすごいことだなと思ってて。
ベースはものすごく重いロックドラムで、テクニックは凄いし、ずっとやってもらいたいと思ってます。

それともう一人、ウォーネル・ジョーンズっていうベーシストとも長くやってて、やっぱり欠かせないですよね。ファンキーな部分と、バックボーカルも強烈に上手いので、もうこの2人はリズム隊として絶対外せないなっていう状況なんです。

---そろそろニューアルバムを聴きたい!と思っているファンは多いと思いますが、アルバムのご予定はいかがですか。

原田:常にアルバムを作る気持ちはあるんですよ。未発表の曲もどんどん増えてて、早くやらなきゃいけないなという気持ちはあります。なんとか今年中には取りかかりたいと思っています。だから、来年には新たなアルバムとしてニューアルバムを聴いていただけるんじゃないかと思います。 それには、週末にライブをやる本数がとてつもなく増えてるので、一旦区切りをつけなきゃいけないなと思っています。

被災地支援も同時にやっていますが、だんだん皆さん目を向けなくなったり、ニュースでの扱いが極端に減ってきたり…。
被災地は大変な状況が何年も続くわけですから、それを絶対忘れちゃいけないということですよね。発信したり、実際に現地に行って皆さんを盛り上げるっていうことは、継続しなきゃいけないことですから。

これは東北の時もそうだったんですが、実際に被災地に行って被災者の方々と触れ合うことで、勇気づけたり盛り上げに行く立場なのに、逆にこっちが勇気づけられるということが本当に毎回あるんですよね。だからこそ被災地慰問っていうのは絶対自分にとって欠かせないものだと思いますし、行動に起こしたいですね。
世界平和構築と同じで、あらゆる方に言えることなので、そこはみなさん何かアクションをずっと起こし続けてほしいなと思います。

---本日は貴重なお話をたくさん、ありがとうございました。


原田さんの公式サイトを見ると、「いつ休んでいるの?」と思わずにはいられないほど数多くのライブスケジュールで埋まっている。
あなたの街に原田真二さんが来るときはぜひ足を運んでほしい。
幸せなパワーを充電できると共に、次世代に平和のバトンを繋ぐために自分には何ができるか?それを掴むヒントをもらえるはずだ。





◆原田真二 プロフィール
1977年10月、18才で「てぃーんず ぶるーす」でデビュー。11月には「キャンディ」12月には「シャドー・ボクサー」と3ヵ月連続でシングルを発売。3枚全てが同時に数々のチャートでベスト10入りし、翌年2月に発売されたファースト・アルバム「Feel Happy」はオリコン初の初登場1位を獲得するという日本音楽史上初の快挙を成し遂げる。また、他のアーティストへの提供曲は200曲を超え、作曲数は、500曲以上となる。ミュージカルや映画音楽を制作し、東京の公立小学校2校の校歌もてがける。

‘00年より心の環境整備を訴える環境チャリティー「鎮守の杜コンサート」をスタートさせ、これまでに、伊勢神宮、明治神宮、出雲大社、厳島神社など全国の神社でコンサートを行い、NPO法人を設立。
‘04年フランス、カンヌでの国際芸術祭で演奏。
‘06年ダライラマ氏をはじめとするノーベル平和賞受賞者を招いた広島国際平和会議で演奏。この年より毎年ニューヨークでの「Universal Peace Day 」,「9.11」セレモニーイベントに参加。
‘07年元アメリカ副大統領アルゴア氏制作の環境映画『不都合な真実』の日本語版エンディングテーマを演奏。メキシコ・カンクーンにてカーター元大統領と会見。ニューヨーク国連本部にて演奏。
‘09年9月メキシコシティで開催された国連軍縮会議で演奏。 平成22年度広島市より広島市民賞を受賞、ひろしま平和文化大使を委属。
‘13年9月ニューヨーク国連本部・国際平和会議High level forum on the culture of peaceにて演奏。 国連ハイレベル国際会議において歌唱演奏した、世界最初のアーティストとなる。
‘15年3月仙台 国連防災世界会議で演奏。
2020年からは毎年、8/6・8/9に日本とニューヨークをインターネットで繋いで開催した『インターフェイス平和の集い』ー広島・長崎原爆犠牲者追悼、平和祈念式典に参加している。
2023年5月には、G7サミットに合わせて、広島原爆ドーム前でピースコンサートを開催し、世界に配信された。
欧米・フィリピンをはじめ世界中へ活動の場を広げ、東日本大震災被災地での支援ライブも数多く行い、デビュー以来、音楽を通じ、周りを思いやる優しさ「大和」の心を、世界中に届ける活動を展開している。

原田真二 公式ホームページ
http://www.shinji-harada.com/
NPO法人ジェントルアース
http://www.gentleearth.org/
X(旧Twitter)
https://twitter.com/shinji_info
原田真二 YouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/@shinjiharadaofficialyoutub4543



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