今回ご登場いただくのはドラマーの日山正明さん。当WEBマガジンには2014年にご登場いただいて以来になります。 日山さんはドラマーとして数々のバンドにご参加、その経験談は当時のジャズ/フュージョンシーンの貴重なエピソードに満ちています。 音楽を好きになったきっかけから、CROSSWIND、松本英彦グループ、カシオペアでのエピソードまでたっぷり語っていただきました。(2024年11月) ---子供の頃音楽を意識したきっかけはありますか?あるとしたら、どんな音楽でしたか? 日山:小学生の頃、まず母親が音楽が好きで、同時にTV番組で「ザ・モンキーズ・ショー」と言うのを見てハマり、ドラマーのミッキー・ドレンツに惹かれ毎回見る様になりました。 と同時にモンキーズのLPレコード盤が欲しくなり、近所の上野松坂屋のレコード売り場に通い購入しました。 それでポータブルのレコード・プレイヤーを買ってもらったところ、母親も自分の好きな堺正章「さらば恋人」等のシングル盤を私に聴かせてくれたりしました。 またある日、小学校から帰るとタイガースの確か武道館での解散コンサートをやっていたのを見た記憶があります。それでザ・タイガースが好きになりました。櫓(やぐら)の上でドラムスを演奏するピー(瞳みのる)に惹かれました。タイガースもレコードを集めました。 ---幼い頃からドラマーに心惹かれていらしたんですね。中学・高校時代はどんな音楽を聴いていらしたのでしょうか。 日山:中学生の頃知り合った友人の影響で、当時流行っていたソウル・ミュージックを聴くようになり、同時にそれに合わせて踊るようにもなり六本木などのディスコに行くようになりました。 聴いていたのは、レア・アース、ザ・テンプテーションズ、オージェイズ、スタイリスティックス、ジェームス・ブラウン、それにモータウンレコードのアーティスト(スティーヴィー・ワンダーなど)も聴いていました。 ---プロフィールによると15歳でドラムを始めたそうですが、その前の時期に楽器経験はありましたか? 日山:小学校の音楽の時間に合奏の授業があり、"小太鼓やりたい人"にいつも手を上げていました。 小学校高学年の頃、お茶の水の石橋楽器だったと思うのですが、ドラム教室があり、2〜3回のレッスンで行くのを辞めてしまいました。 その頃祖父母にスネア・ドラムとハイ・ハットを込みで買ってもらいましたが、チューニングがどうしていいのかわからずに物置にしまったままになってしまいました。 ---そんなことがあったのですね。本格的にドラムを学ぶようになった経緯についてはいかがですか。 日山:中学を卒業して少し経ちドラム・セットを買ってもらえて、それに付属していた"つのだ☆ひろ"さんの教則レコードを聴いてドラム・セットの練習を始めました。 少し演奏できるようになると、同じ中学校出身の近所に住んでいた友達が家に遊びに来るようになり、自然とバンド活動が始まりました。 ---C-C-Bの渡辺英樹さんとディープパープルのカバーバンドを組んでいた時期があるそうですね。 日山:確か17歳の頃でした。誰からの紹介だったかは思い出せないのですが、家に電話がかかって来たんです。渡辺君たちは根津の付近に住んでおり、私は湯島駅から5,6分というお隣さんみたいな感じででした。 最初に会ったのは、根津駅の近所の彼らがたまっていた喫茶店だったと思います。 その近所に渡辺君の実家(確かお米屋さん)があり、そこにも何回か遊びに行きました。 リハーサルは数か所でやった覚えがありますが、その一つは昔渋谷にあったエピキュラス・ホールだったように思います。 ---1979年、小川銀次さんのCROSSWINDに加入。どのようないきさつだったのですか? 日山:家の近くに秋葉原電気街があり、その中のLAOX楽器館でドラムスも購入したのですが、17〜18歳の頃よく遊びに行っていました。 そこで知り合ったいくつかのバンドに参加させてもらっていたのですが、そのうちの一つのバンドで、カシオペアと東京おとぼけキャッツが渋谷の東邦生命ホールで開いたコンサートの前座で4曲ほど演奏したこともありました。 その楽器屋さんにやはりよく来ていた人に小川銀次さんのボーヤ(アシスタント)をしていた人がいて、彼から初めてCROSSWINDのライヴ演奏のカセット・テープを聴かせてもらいました。 当然その彼も銀次さんにいろいろと教わっていただろうから、CROSSWINDの曲を弾けるだろうと一緒にCROSSWINDのコピー・バンドみたいのを始めたわけです。 そのうち銀次さんの耳にもそう言う話が伝わって、ある日銀次さんとセッションして。その後、バッタリ近所のレコード屋で銀次さんと会い「日山、今度CROSSWINDやらない?」と声をかけてもらったのが始まりです。 ---その後、テナーサックス奏者の松本英彦グループに参加なさったんですよね。そのいきさつについても教えて頂けますか? 日山:CROSSWINDは、私がドラマーになった時にメンバーを一新したわけですが、最初のリズム・セクションはベースが「もんた&ブラザーズ」の渡辺茂さんで、ドラムは私でした。キーボードは林有三さん。 何回かライブや合宿リハーサルをしていたのですが、ある日渡辺さんがスケジュール表を渋谷屋根裏の楽屋に持って来て、「僕、もうこのバンドできない」みたいな感じで(笑)。 それで渡辺さんが紹介してきたのが、樋沢達彦さんと言うベーシストでした。確か同じ大学出身だったとか。 樋沢さんは当時「神崎オン・ザ・ロード」(注:神崎ひさあき(Sax)が率いるフュージョンバンド)や松本英彦さんのグループなどにも既に参加していました。 私がメンバーだった時のCROSSWINDの活動が今一つになりかけた頃、樋沢さんから「松本英彦さんのところで16ビートなどが上手い人を欲しがっているからどう?」と話があって、当時笹塚にあった「LOVELY JAZZ MUSIC SCHOOL」(注:松本英彦さんが主催したジャズスクール)のスタジオにオーディションのような形でセッションしに行ったのがきっかけです。 ---松本英彦さんはレジェンドのテナー・サックス奏者で、日本のジャズ界への多大な貢献を果たした方ですよね。そばで接してどんなことを感じていましたか? 日山:とにかく、スタジオにリハーサルに行くといつも首からサックスを肌身離さず持っていて、少しの合間にもサックスに触っている方でした。 その頃はたぶん50代だったと思いますが、「誰々は凄い指が動くんだよ」とかよく話していらっしゃいました。 私はジャズに関しては素人のようなものだったので厳しく言われた事もありました。 六本木にあったバードランドと言うお店には、毎週木曜日の夜に出演して20時から1時間を3ステージ行っていました。1、3ステージ目のドラムは小津昌彦さんが演奏し、それを見学していました。 2ステージ目を私が演奏し、小津さんに少しアドバイスを頂いた時期もありました。 ---貴重なお話ですね。他にもエピソードは尽きないでしょうね。 日山:松本さんは音楽に対して(リズム、ドラマーに対する要求も)厳しい所はあったと思います。 松本英彦カルテット出演中は、六本木バードランドにいろいろな方がいらっしゃいました。 ジョージ川口さん、日野元彦さん、ルー・タバキンさん、マーク・ソスキンさん、酒井潮さん etc... 一緒に演奏させていただいた方もいらっしゃいますし、いろいろな方の演奏も聴けました。 ---その場所にタイムスリップしてライブを聴いてみたいような豪華メンバーですね。 日山さんは1990年にカシオペアに参加。私も「Active」ツアー(1992年)で日山さんの演奏を聴きました。 日山さんの加入は、その前までのドラマー・神保彰さんの脱退を受けてのことだと思いますが、加入の詳しいいきさつについて教えて頂けますか? 日山:先に東邦生命ホールでカシオペアの前座をやった時のドラマーは佐々木隆さん(注:カシオペアの初代ドラマー)で、楽屋裏で少しだけ声をかけさせてもらった程度でした。 ドラマーが神保彰さんに変わられたころ、中学時代の同窓生がテープを持って家に遊びに来て、カシオペアのドラマーが新しくなったと聴かせてくれました。 神保さんの演奏を初めて聴いて凄いドラマーだと思いました。その同窓生の友達のお兄さんがカシオペアの事務所に勤めていたので、紹介してほしいと頼んでみたわけです。 そうしたらOKが出て、六本木PIT INNで紹介して頂けました。 しばらく追っかけ(笑)みたいにしてよく都内でのライブにお邪魔していましたので他のメンバーの方とも顔見知りになり、野呂一生さんには「松本さんのところでやってるんだって?今度テープ聴かせてよ」などと言われた事を覚えています。 神保さんも大変親切な方で、神保さんのお宅へも何回かお邪魔しましたし、私の家にも1回来て頂いたことがあります。その際テープを持っていき聴いてもらったことがあり、その渡したテープが縁でカシオペアのゲスト・ヴォーカリストを務めた楠木勇有行さんのバンドに参加する事になりました。 その頃楠木さんはカシオペアと同じ事務所に所属していたので、カシオペアの関係者の方々とも知り合いになりましたし、しばらく縁がなかったカシオペアのメンバーの方々とも顔を合わせたりするようになりました。 ある夜、突然野呂さんから電話があり「カシオペアやらない?」「うそでしょ...」みたいな(笑)。 ---そういう物語があったんですね。縁というのは凄いなと思わされます。 野呂一生さんはドラムパターンも細かく指示なさると聞いたことがありますが、実際そうでしたか? カシオペアでの日々を振り返り思い出深いエピソードがあれば教えていただけますか。 日山:カシオペアのメンバーが作曲してくる時には、きちんと譜面を作ってくるみたいな暗黙の了解(笑)みたいなのが昔からあるらしく、特に野呂さんはマルチ・プレイヤーと言うか各楽器こなせるような感じがありますのでドラム・パターンに細かい指定があるものもありました。 大雑把に「コンパウンド・スティッキングで」と16分音符の所に書いてある時は、自分でそのシンコペーションに合うようにドラム・パターンを作ったりする事もありましたし、リハーサルで実際野呂さんがドラムスを演奏して見せて「こんな感じどう?」のような時もありました。 思い出でぱっと出て来たのはやはり皆で飲みに行った時の事で、参加してすぐぐらいのカラオケでの鳴瀬喜博さん(bass)の和訳ビートルズの熱唱にはうけました(笑)。 ---ここからはドラムのお話について伺います。 日山さんが、リスナーとしてお好きなドラマーはどなたですか? 日山:Tony WilliamsさんやHarvey Masonさん、Dr.Steve Gaddさん、Elvin Jonesさん、Vinnie Colaiutaさん、Dave Wacklさんはいまだに大好きです。 聴いてみていい感じだなと思う人は、しばらくの間続けて聴いてみたりもしますし、それほど有名ではない方も勿論います。 名前を挙げた方は私のリズムに対する考え方やグルーヴ(スイング)感、ドラミングなどのコアになっている方々だと思っています。 ---いまドラムを学ぶ人々に向けて、どんな基礎練が大切と思われますか。 日山:基礎練習は大切だと思っています。 私は音楽学校でルーディメンツというドラミングの基礎打法のようなものを一応習いました。 今はネットでオンライン授業も受けられますし、DVD、YouTubeなどで観たり聴いたりできるので、個人的な意見としてはオープンに沢山の音楽やドラマーに接する方が勉強になるのではないかと思っています。 ---最近の活動としては、後進の指導が中心でしょうか。 日山:そんなに大袈裟ではありませんが、自身で演奏する事よりもそちらの方が中心です。 ---以前マガジンにご登場くださったとき、Cheer Up!ミュージックとして、ダニーハサウェイLiveの「what’s going on」をご紹介してくださいました。今の日山さんのCheer Up!ミュージックを教えていただけますか。 日山:今でもあいかわらずに大好きな曲ですし、その曲が収録されているアルバムが大好きです。とにかくいろいろ何か見つけては購入して来たりしていたので、数年前と好みが変わる事もありますが... 。 一時期真剣にあのアルバムのフレッド・ホワイトの様に演奏が出来たらいいのになぁ... と思っていた時もありました。 ---貴重なお話をたくさんお聞かせいただき、どうもありがとうございました。 ◆日山正明 プロフィール 1959年9月2日東京生まれ 小学校時代より音楽に親しみ学校で小太鼓を演奏したりする。 中学卒業後ドラム・セットを始め17歳の頃尚美音学院のドラム科、打楽器科にて1年程レッスンを受ける。 アマチュア・バンド活動から1979年ギタリスト 小川銀次率いるクロスウインドに参加しライブ活動を始める。 1980年に松本英彦グループに参加。1981年には1ヶ月のソ連ツアーにも参加する。 1982年益田幹夫グループに参加しアルバム「CHI CHI」をレコーディングする。 その後、アンリ菅野、ITS、秋山一将、西直樹等と活動し1990年新生(第2期)カシオペアに参加。アルバム「ザ・パーティー」をレコーディングする。1991年に作曲家 三枝成彰のアルバム「失楽園」参加。世界卓球選手権大会の開会式でも三枝バンドのドラマーで演奏する。カシオペアでは4枚のアルバムと3枚の映像作品を作る。オーストラリアレコーディング、ライブ・アルバム後の1992年迄在籍する。 その後静養後、ギタリスト天野清継とセッション等を再開し1993年から歌手 野口五郎のバンドに2年間在籍する。 元アイドルのリリーズのバンドを2年務め並行してギタリスト 伊谷希のバンド「ITANI」にも参加する。 現在世田谷にある「タカギズホーム」でレッスンを行っている。 <Cheer Up!関連リンク> あなたにとってのCheer Up!な音楽教えて下さい♪(2014年) http://www.cheerup777.com/cheer/hiyama.html |