第1回 「LUCHA LOCO : The Free Wrestlers of Mexico」



「LUCHA LOCO : The Free Wrestlers of Mexico」
 Malcolm Venville著
 Universe Publishing


 大学生のころ、友人からメキシコ土産をもらった。「松永は、こういうの好きだろうと思ってさ!」
 それは、4人の覆面レスラーが四角いリングで戦っている姿を模したフィギュアだった。いや、フィギュアというのもおこがましい。劣化したゴムを使ったプロレス人形(リング付)。よくもわるくも子どものオモチャにしか見えない。四方のロープにレスラー4人が寄りかかり、これからその反動で走り出そうとしているのだが、ロープがゆるそうで、弾みで外に転げ落ちるやつもいるかもしれない。
 「結構、持って帰るのに苦労したんだ!」
 確かに、結構な大きさもある。バックパックひとつの貧乏旅行なのに、こんなにくだらないものを、わざわざぼくのために持ち帰ってきてくれたことに、苦笑しながら感謝した。

 メキシコのプロレス(ルチャ・リブレ、あるいは短く、ルチャという)の独特なムードやしきたりについて、見て来たように語れるほどは詳しくない。でも、メキシコが、ぼくたちが子どものころにジグソーの「スカイ・ハイ」をテーマ曲にして颯爽と日本に現れたミル・マスカラスやドスカラス兄弟に代表される、覆面レスラーのメッカであることぐらいは知っている。
 地をはうようなストロング・スタイルのレスリングの対極をゆき、ロープの上、リングの外と飛び回る空中殺法。リング上での善と悪がはっきりと分かれていて、漫画のようにコミカルでドリーミーでスラップスティックな(ときにはルーディな)ショーマンシップに貫かれたルチャの世界。そのなかで、見た目でのキャラクター付けを、より明確にするのが覆面の役割だった。さらに言えば、かっこよさ、親しみやすさ、あくどさなどを、メキシコという風土独特の色彩や造形感覚で表現した覆面の世界観に、ぼくは、突飛なローカル・アートのおもしろさという以上に、ヒーローや怪獣の存在を信じた時代の自分を発見し、今でも無性に心が突き動かされてしまうところがある。

 ハリウッドにある書店「ブック・スープ」でこの写真集を見つけたときも、ぼくに抵抗できる理由は何ひとつなかった。

「LUCHA LOCO : The Free Wrestlers Of Mexico」

 表紙を飾る、勇壮かつラブリーな太陽仮面に、まず呆気にとられる。そして、ページをめくると、見開きにひとりずつ、覆面レスラーたちのポートレートが。右側には写真、左側には彼らを紹介する名前というシンプルなレイアウト。アルファベット順で全部で128名の、現役覆面レスラーたち(一部は素顔だが、特殊なキャラクターを持つレスラーに限定されている)が、堂々と居並んでいるのだ。
 ちなみに、この太陽仮面は、アンヘル・ディアボリコ三世という。
 パラパラとめくるだけでも、刺激的な色とユニークなマスクのオンパレードで、くらくらする。バットマンもいれば、ウルトラマンもいるし、パンダもいる。昔、ぼくがプロレスを見ていたころから活躍していたはずのソラールとか、なつかしいビッグネームもいる。そして、彼らが実際にリングの上で動き回り、勧善懲悪なスペクタクルを展開しているさまを想像し、自然と手に汗をにぎる。
 ところが、ページを眺めているうちに、あることに気がついた。見開きの左側は、右側の写真とは対照的に、白地にレスラーの名前を中央にプリントしているシンプルなレイアウトなのだが、その下のほうに、2、3行程度の短い文章が添えてあるのだ。

 最初は、各レスラーのプロフィールかと思った。
 ところが、しげしげと読んでみると、全然違った。
 たとえば、アルファベット順で筆頭を飾るアギラ・ネグラという、強そうな大鳥をかたどった黒覆面のレスラーのページには、英文でこう書いてある(以下、日本語訳はすべて筆者)。

 「おれの仕事は肉を売ること。
  肉屋で働いているんだ。
  得意技は腕十字固めだ」

 え? 一瞬書いてあることの意味が理解出来なくて、そのまま次のページへ。アギラ・ソリタリアは、黒覆面に赤い鳥をあしらっている。アギラ・ネグラとコンビのレスラーだろうか。

 「おれは52歳だ。
  ケガをしすぎないことが
  60歳までプロレスを続ける条件なのさ」

 適当にページを飛ばして、黒い虎のマスクを被った、フェリーノというレスラー。

 「おれのキャラは
  メキシコ最速が売り。
  でもセックスのときは違うよ」

 そうか! これは出身地とか身長、体重なんかを記す解説とはまるで違う、レスラーたちの問わず語りで構成した自己紹介なんだ。そして、本名や素顔を明かさないことを大前提に戦っている彼らの姿と、自分の言葉で語られるプライベートな心境は、ギャップという領域を超えて、もはやそれぞれが一編の詩のようなものになってしまっている。もっと言うと、彼らが素顔で生きている日常が生々しく語られることで、その架空のキャラクターたちに魂が入るような気がした。

 ぼくの好きなひとことを、いくつか挙げておく。

 「パンダの生き方を尊敬している。
  あいつら、なんにも気にせずに生きてるだろ」
  エル・パンディータ

 「おれだって
  他のみんなとおなじ普通の人間さ。
  でも本名だけは教えられないんだ」
  スペル・ピノキオ3000

 「勝ち負けじゃない。
  おまえがそこに立っているということが
  すでに勝利なんだ」
  ラツィエル

 「叶うなら
  イエス・キリストと
  ジム・モリスンに会ってみたいもんだね」
  モルテーロ

 「人間の値打ちは足から頭までの長さで決まるんじゃない。
  頭から空へ
  どれだけ飛べるかで決まるんだ」
  ヒホ・デ・ピエロス

 つまり、ぼくは写真集を買ったつもりでいたけど、この本は立派な詩集であり、さまざまなレスラーたちの謎めいた人生を、世界で一番短い言葉で解き明かす伝記本のようなものだったんだ。
 そして、彼らが素顔を隠して語る短い本心から伝わる素朴で真剣な想いは、素顔をさらしているのに本心は隠しながらうつむいて生きるぼくたちの毎日を、背中から「おい!」と前に押して、颯爽とリングインさせてくれるもののようにも思えるのだ。
 太陽仮面、アンヘル・ディアボリコ三世の顔を、彼の言葉を聞いているような気持ちで、ぼくは今日もにやにやと見ている。
 「松永は、こういうのが好きだろうと思ってさ!」と言った友人の声が、遠い記憶の向こうからこだました。ああ、好きだよ。好きですとも。

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