第2回 「STARSTRUCK : Photographs from a fan」



「STARSTRUCK : Photographs from a fan」
 Gary Lee Boas撮影・著
 Dilettante Press


 かつて映画『アメリカン・スプレンダー』で、アメリカのクリーヴランドに暮らす中年男ハービー・ピーカーの人生が描かれたように、ゲイリー・ボースの人生も、いつか映画にすべきなんじゃないかと本気で思っている。
 ハービー・ピーカーは、レコード蒐集の悪魔に魅入られた男のひとり。それだけならば、どこにでもいるちょっと度を超した音楽マニアにすぎないのだが、彼と同郷であったカルトなコミック作家ロバート・クラムに依頼して、ピーカー自身の日常を主人公にした原作で漫画『アメリカン・スプレンダー』として売り出したことが、その後の彼に淡く不思議な運命をもたらした。クラム以降も、ピーカーを主人公にした『アメリカン・スプレンダー』シリーズは作者を変えながら描き続けられ、2003年にはついに映画化まで実現した。さびしく、せつなく、さえない人生に刺す一筋の光を探して、今日もうだうだと好きなものを探す、その最低な日常と崇高な意志の共存を、ぼくらが他人事とは思えないからだろう。

 では、ゲイリー・ボースとは、どんな男なのか。
 彼もまた何らかのマニアでありコレクターのひとりであることは間違いない。
 果たしてそれは何なのか。

 アメリカ東部、ニュージャージー州とニューヨーク州の底を支えるように横に長く伸びるペンシルヴェニア州。そのちょうど中間にある小都市ランカスターで暮らすゲイリー・ボースは、幼いころから芸能界に憧れていた。そして、それはボース自身が「母親以上の存在だった」と明かす母親メアリー・ボースの強い影響でもあった。
 つまり、メアリーはゲイリーを芸能界に入れるべく奮闘するステージ・ママ志願者だった……というわけじゃないから、おもしろいんだな。
 メアリー・ボースが生涯をかけて入れあげ、息子にも跡を継がせることになったその道とは、つまり、ファンとしての自分の存在を究めること。
 追っかけとか、グルーピーってこと? いやいや、そこがボース母子はちょっと違う。ふたりが目指したのは、身近にある、ありとあらゆる劇場やテレビ局の楽屋口に現れて、セレブリティたちの飾らないオフショットを撮り続けることだった。
 え? それじゃ、グルーピーよりもっとタチが悪い。それって、プライベートを盗撮してメディアに高く売りつけるパパラッチじゃないか。
 いや、それも違う。
 ボース親子は、決してそんなことはしない。ふたりは、あくまで、スターと一般ファンとの線引きを尊び、ファンとして思いがけない出会いの瞬間そのものをコレクトすることだけを楽しんでいたのだ。

 もうおわかりだろう。
 本書『スターストラック』こそ、母メアリーの薫陶を受け、立派なファンに成長したゲイリー・ボースが、主に1970年代にカメラで撮り溜めた数々の“スターとの鉢合わせ(スターストラック)”を世界初公開した一冊なのだ。
 母メアリーが映り込んでいる1960年代後半の写真にはじまり、顔ぶれは多士済々。主として地元のランカスターや近場のフィラデルフィアで撮られたものが多いが、ときどきはセレブ出現のメッカ、ニューヨークにも遠征した。だれともわからぬ謎の若者に対し、無視して通り過ぎようとしたり、顔をふさぐような連中もいるが、気さくで、立ち止まって親愛の情をあらわにしてくれるセレブたちも少なくなかった。
 巻末の索引には、「ウソだろ!」と日本人のぼくたちでも思わず声に出したくなるような名前が300人近くも並んでいる。

 モハメド・アリ
 マイケル・ジャクソン(アフロ時代の)
 ジョン・レノン&ヨーコ・オノ
 マレーネ・ディートリッヒ
 ジャック・ニコルソン
 フレッド・アステア
 フランク・シナトラ
 ミック・ジャガー
 デヴィッド・ボウイ
 ディヴァイン
 デューク・エリントン
 スティーヴ・マックイーン
 アンディ・ウォーホル
 アルフレッド・ヒッチコック
 フランク・ザッパ……。

 そんな中でも、本書のハイライトとなるのは、往年の名女優キャサリン・ヘップバーンとゲイリーとの私闘だろう。
 大女優の地位をほしいままにしながらも、人前に出るのがキライで、特にプライベート写真を撮られることを心からいやがった彼女に対し、ゲイリーは果敢に挑みかかった。
 最初は1969年12月13日、ニューヨークで車に乗り込む直前。おおきく開いたてのひらで見事にブロックされた。
 二度目は1970年1月31日、ふたたびニューヨークで。座席に乗り込んだ彼女は手で絶妙に顔の表情を見えなくした。
 そして三度目。1970年7月29日。つい気が緩んだのか、ゲイリーに気づかずに通り過ぎた瞬間をパシャ!(ブレ気味)
 その後もカンペキな写真を求めるゲイリーと、それを拒否するキャサリンの私闘は続き、いい加減、顔も覚えられた彼は、写真撮影の是非をめぐって76年には彼女と直接会話をするほどの仲になる。
 自分がしたいこと、相手がされたくないこと、その永遠の平行線が生んだ奇妙な友情のようなエピソード、ぼくは大好きだ。
 ちなみに、ゲイリーがファン・ショットの生涯の目標として考えていたのが、このキャサリン・ヘップバーンと名優ローレンス・オリヴィエだった。勇敢なゲイリー・ボースは、結局その両方とも実現してみせている。

 ゲイリーのファン・ショット集の大ラスを飾るのは、1979年、地元ランカスターに大統領選の演説のために訪れた、のちの第40代大統領ロナルド・レーガンとの2ショット。もちろん彼は大統領候補としてのレーガンではなく、かつてのB級ハリウッド俳優としてのレーガンをフレームに収めたかったのだ。

 彼の性格(性癖)を考えると、その後も撮影を続けていたはずなのだが、本書『スターストラック』は80年代に踏み込んだあたりで終わる。スターがスターであり、ファンがファンであった幸福な時代に、両者の線引きの真上に生きることに自らの青春のほぼすべてを捧げたゲイリー・ボースは、本書にこんな一文を添えている。

 「もしぼくの母が生きていたら、この本には相当興奮したはずさ」

 最愛の母、母以上の存在であったメアリー・ボースは1977年、59歳の若さで世を去った。そして、もちろん、その年もゲイリーは休むことなく、スターと正面衝突で写真を撮り続けた。
 その文章の横には、モンキーズのデイヴィー・ジョーンズの写真を手にした母の姿がある。この本のなかで、愛くるしく微笑む26歳のダイアン・キートンの次にぼくが大好きな写真だ。

 『アメリカン・スプレンダー』のハービー・ピーカーは、映画のなかでは奇跡的にガンから生還したが、去年(2010年)、70歳で亡くなった。その死去は、ちょっとしたニュースにもなった。
 ゲイリー・ボースは今もまだどこかの楽屋口に、カメラを構えて待っているのだろうか。
 ぼくはそれをとても知りたい。

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