◆当時の担当楽器 テューバ ◆吹奏楽部に入っていた時期 高校の3年間です。 ◆吹奏楽部に入部したきっかけ 僕の中学は新設校で、吹奏楽部ができたのは中学三年の時でした。 入部をしたかったけど、僕は生徒会をやっていた関係で部活動には参加できなかったのです。そんなわけで、高校に入ったら吹奏楽部に入ろうと決めていました。高校に入学してすぐに吹奏楽部の新入生歓迎のスプリングコンサートを聴いて、翌日に入部しました。 ◆その楽器を選んだきっかけ 入部願いに希望楽器を書く欄があって、第一希望から第三希望まで全部木管楽器を書きました。その後、先輩が新入生の男子を集めて、「これだと吹奏楽にならないけど、どうする?」と。中学校で木管楽器を経験者した即戦力の女子が多かったのにも関わらず、新入生未経験男子のほとんどが木管楽器を希望していたのです。 そこで、男子新入生が希望楽器を金管楽器に変えていき、最後に誰もやりたがらなかったテューバを僕が引き受けました。 フェリーニ監督の「オーケストラ・リハーサル」という映画の中で、テューバ奏者が「私がテューバを選んだのではなく、テューバが私を選んだのだ」と語る場面がありますが、まさにそういう事ですね。 ◆どんな練習方法が記憶に残っていますか? テューバのパートに先輩がいなかったので、地味にロングトーンやスケール練習をしながら、部室にあった教則本をやっていました。 特に変わったことはやっていないですね。 あ、そうそう、練習の最初にみんなで腹筋をやっていたのは記憶に残っています。でも、楽器の演奏に使う筋肉は、腹筋運動では鍛えられないということ後になって知りました。 ◆思い出深い曲、好きな曲について教えて下さい 交響組曲「シェヘラザード」第4楽章(リムスキー=コルサコフ作曲) 高校三年のコンクールで演奏した思い出深い曲です。途中テューバにも早いパッセージがあったのでよく練習しましたし、全楽章を通してロマンティックな雰囲気が大好きで、いろいろな指揮者の演奏を毎日聴いていました。 ◆吹奏楽コンクールの思い出 高校二年のコンクールの課題曲が、ロバート・ジェイガー作曲の「ジュビラーテ」という曲でした。 中間部の前にテューバのソロがありまして、音にして5つ、3小節ほどの短いソロなのですが、他の楽器が休みでとても目立つ場面です。 そのソロの最後の音を、コンクールの本番で外してしまいました。練習ではその部分のミスしたことが無かったので、相当落ち込みましたね。 ◆失敗談があれば教えて下さい 一番の失敗は高校三年の時にフィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブルの来日公演を聴きに行ってしまったことですね。 ジョン・フレッチャーが演奏する美しいテューバの音を聴いて、当時は今より若干マイナーな楽器だったテューバを一生付き合っていける楽器なのではと考え、高校三年の夏という遅い時期に音楽大学に進む道を選んでしまいました。あの時にそのコンサートに行っていなかったら、普通の大学に入学して、堅気の人生を歩んでいたことでしょう。 ◆吹奏楽部に入って得たことは何ですか? 吹奏楽部に入っていなければ、全く違う人生を歩んでいたことでしょう。そういう意味では、吹奏楽部に入って得たのは、今の自分の環境すべてとも言えます。 ◆現役吹部生へ応援メッセージをお願い致します 世界には本当にいろいろな音楽があります。 吹奏楽を入り口に、音楽の嗜好をぐるりと広げてみるのも良いのでは? そして、楽器を演奏するを楽しみは一生ものです。 いろいろな楽しみ方があると思いますので、学校を卒業してもぜひ続けて下さいね! プロフィール: 関島岳郎:テューバ、リコーダー、口琴ほか 1989年に篠田昌已、中尾勘二と当時は珍しい管楽器3人という編成のバンド、コンポステラを結成する。その後、栗コーダーカルテット、シカラムータ、こまっちゃクレズマ、渋谷毅エッセンシャルエリントン等多数のバンドやユニットに参加しつつ、貴重なポピュラーミュージックシーンのテューバ奏者、リコーダー奏者として数多くのレコーディングやコンサートに参加する。 個性的な作編曲家として映画やアニメーション、CMなどの音楽も手がけ、生楽器と電子音の混在するアンビエントサウンドと美しいメロディに定評がある。2010年にはサウンドトラックを集めたアルバム「2009 〜関島岳郎映像音楽集〜」をリリースした。 関島岳郎の部屋 http://www4.point.ne.jp/~office-mama/ https://twitter.com/sekizima |