第一回 「結成のこと」 前篇




1983年3月。場所は、尾道東高校。
1年の3学期のある日、僕は生徒会副会長ですから、いつものように生徒会室におりました。
そこに、同じく生徒会役員の友人が入ってきて言います。
「ブラバンの大池っていう上手いドラマーが、ビートルズのコピーバンド組まないかって、オレらを誘ってるよ」
この友達と僕は幼稚園から一緒で、中学の時、一緒にエレキギターを買って、バンドの真似事をしていました。ビートルズやオリジナルをやっていましたが、ほどなく音楽的方向性の違いから解散。でも同じ高校に受かり、同じ生徒会役員になったので、また、毎日のように会うことになっていました。

僕は、中学から高校にかけて、毎日家で、エレキギターを大音量で弾き、マイクもアンプに突っ込んで、大好きなビートルズの歌を、何時間も大声で歌っている男子でした。
エレキギターやマイクやアンプなどは、中学の時、新聞配達をしてお金をためて買いました。
やがて、妹が弾いてたピアノも奪って、これも何時間も弾語り。学校でも、休憩時間に音楽室で、勝手にピアノやギターを弾いて、歌っていました。大池くんは、ビートルズを歌ってる生徒がいるって誰かから、僕の話を聞いたようです。

僕はブラスバンド部のコンサートで、大池くんが、とっても上手いドラムをたたいてるところを見たことがあって、かっこいいな、と思ってましたが、クラスも違うし、知り合うきっかけがなかった。僕は、1年E組で、離れの古い校舎だったので、別棟のB組の大池くんとは、すれ違うこともなかったんです。

その大池くんが、僕のことを知っていて、ビートルズのコピーバンドに誘ってる、と。これは面白いと思いました。

3学期の最終日、修了式のあと、適当な教室で、バンド結成にあたって、ミーティングを持つことになりました。

集まったのは、僕、大池くん、さっきの友人(Aくんとしておきましょう)、そして清水伸吾くん。

清水くんは、大池くんと同じブラスバンド部でトランペットを吹いていました。ギターも弾けたし、音楽的センスも良かったのでしょう、大池くんが連れてきました。

僕は、清水くんとは、選択科目の音楽のクラスで一緒でしたから、顔は知っていました。
Aくんは、すでに大池くんとも、清水くんとも面識があったようですが、その理由は知りません。

とにかく、4人で、バンド組みましょう、そうしましょう、と、わりと簡単に決めました。

目指すところは、まず、新年度が始まってすぐにある、軽音楽部のコンサートです。

清水くんは、ベースは持っていませんでしたが、僕もAくんもギターを弾きたかったし、ここは、お願いして、清水くんに、ベースになってもらうことにしました。

ベースギターを持ってそうな人に、あちこち電話して、何本か順番に借りられることになりました。

2年生になってすぐ、尾道唯一の楽器店の練習スタジオを1時間予約しました。
そのときには、まだバンド名のことなんか考えていませんでした。


***



春休みのあいだにそれぞれ練習してきた課題曲を4人で演奏してみました。初めて演奏したのは、「Get Back」だったか「Twist and Shout」だったか。
「なかなか、いいじゃないか」と皆で、微笑み合ったのを覚えています。
「Let it be」では、僕がピアノで歌います。
これも、落ち着いてて良い。

実はこのころ、角川映画の「悪霊島」のCMがよくテレビで流れていて、主題歌になったビートルズの「Let it be」がとっても印象的だったんです。大池くんには、それをやったら受けるだろう直感みたいなものがあったんだと思います。


すこし前後します。
ビートルズのことは、もちろん、子供の頃から知ってましたが、ラジオで、サザンオールスターズの桑田さんが、ビートルズが好きだ、と言ってるのを聞いて、それでレコードを持ってる人から借りたりして、聞くようになったのが、中1のころ。
テレビで、1964年のワシントン・コロシアムでのライブの様子を見て、素晴しくかっこよくて、すっかりはまりました。
僕の中では、人生のそれ以前とそれ以降といえる瞬間があるとしたら、この映像を見たときですね。
そのテレビをカセットにも、録音しましたから、すでにこのときには、ビートルズのものは、できるだけ集めようと、していたわけです。まだ、ビデオなどほとんどの家庭には、なかったと思います。
もちろん有名な曲は、知ってたけど、まだ、レコードでもってない曲が多かった。少しして、友達のお姉さんが持ってるレコードを借りて聞いたら、これらの曲が多く入っていたけれど、あのライブの演奏と比べるとレコードはなんだか、かっちりしてて、いまいち、と思ったものです。「She Loves You」も「I Wnat to Hold Your Hand」も「All My Loving」も「Please Please Me」も、ライブのほうが圧倒的に、いいと思ってた。
「ビートルズ・スーパー・ライブ」というライブ盤が出てることを知り、早速手に入れて、家でこれを聞いたときの嬉しさ。そして、ある日、新聞を見れば、隣町の映画館で「Let it be」をやってる、と。興奮して見に行って、ジョン・レノンって、こんなにかっこいいのか、ともう夢中になりました。一日中映画館にいて何回も「Let it be」を見ました。帰ったらすぐ、ジョンの真似をして「Get Back」のギターソロを弾いてみたり。ま、そんな中学生だったんです。

高校生になる頃には、ビートルズの曲はほぼ全部聞いてたし、自分で多重録音したりもして、何曲も覚えて歌えるようになっていましたから、このコピーバンドで歌えるのは非常に嬉しいことでした。

パンクが流行っていたし、先輩たちのバンドは、RCサクセション、モッズ、キャロルなどをやっている。
ベストヒットUSAが流行ってて、ジャーニーのコピーをしているバンドも。
あとは、フュージョンなんかをやってる人たちも。
そんな中、僕たちは、ビートルズだったわけです。
軽音楽部のコンサートでは、大池くんの狙い通り、受けました。


後篇へつづく

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