第二回 「結成のこと」 後篇




このコンサートを見ていたのが、入船陽介くん。
ジャーニーのコピーバンドで、シンセサイザーを弾いたりしていましたが、僕らのバンドを見て、とっても良かったと、興奮気味に、カメラを抱えて、近寄ってきました。
「オレは、君らのファン第一号。そして、今日から、君らのカメラマンになるよ」と、積極的でした。
僕は、入船くんとは、生物の補修の授業で会ったことがありました。
ちょっとすかしたところがあるなぁと思って見たものですが、入船くんのほうも、生徒会なんかやってる僕のことを、それまであまり好意的に見ていなかったと、あとから聞きました。
それが、ライブを見て、すっかり変わったみたいでした。

また前後しますが、すでにこの時点でバンド名は、The東南西北に、なっていました。


ある日、生徒会室にいますと、誰かが、バンド組んだのなら、バンド名が必要じゃないか、といいます。
その場に、Aくんもいて、バンドの話になったんだと思います。僕は、けっこう無口ですから、あまり、人とそういう話はしていなかったと思います。
バンド名のことはまだ、考えていなかったのですが、つけるなら、コンテストのときとか、新聞の歌番組の欄に他のバンドたちと一緒に載ったとき、目立つほうが良いと思い、漢字のバンド名がいいよ、と僕が提案しました。
四字熟語っぽいのないかな、とつぶやいていたら、そこにいた麻雀好きな先輩が、なにか中国語っぽい面白い響きの言葉を発したんです。
面白いな、と思いました。
漢字で、しかも中国読み(正確な発音はちょっと違うようですが)、僕は、その響きにだいぶ惹かれました。
これなら目立つだろうと。
それに、バンドらしく、Theをくっつけて、The東南西北(ザ・トンナンシャーペイ)。
Theは、当時「THE漫才」が流行ってて、Theをつけるだけで、なにか、面白いもののような気がしたのかもしれません。
Aくんが漫才が大好きだったというのも、影響したかも。
それで、まずは仮でこれにしよう、ということになり、大池くんや清水くんには、事後報告的に伝えたんだったような気がします。
つまり、練習スタジオなんかを、もう、The東南西北の名前で押さえて、それと知らずに、練習に来た大池くんが「え?」と思ったという話を、あとから聞いた覚えがあります。


***



バンドを組んでも、尾道にライブハウスはないので、発表の場は、コンテストやオーディションです。僕らはコピーバンドですから、コピー曲でもOKなコンテストに参加しました。審査をするのは、当時30代半ばぐらいの人たちが多くて、いわゆる青春時代をビートルズで過ごした人たち。僕たちがビートルズをやると、ここでも受けが良かったんですね。それで、もしかしたら、僕たちはいい線行ってるかもしれない、と思うわけです。

そうこうするうちに、Aくんが受験勉強をしたいから、と、あっさりバンドをやめてしまいました。
バンドは、Aくんとのツイン・ボーカルだったし、Aくんがリード・ギターも担当していましたから、もうビートルズのコピーは難しいかもしれないと思いました。

そこにファン第一号でカメラマンの入船くんの存在が、急浮上。なんと入船くんは、YAMAHAが世界に誇るデジタルシンセサイザーDX-7を持ってるというんです。なんで尾道の高校生がそんな、ベストヒットUSAに出てくるようなすごいシンセサイザーを持ってるのか、まったくわかりませんでしたが、聞けば、ギターも弾けると。これはもう、メンバーになってもらうしかないでしょう、ということで、Aくんが抜けて入船くんが入り、ここで、4人までそろいました。
コンテストでは、相変わらず、ビートルズもやってましたが、入船くんには、Aくんとは完全に違う良さがあり、これは、ビートルズでもないな、と感じ始めます。

ちょうどそんな時、大池くんがCBSソニー・オーディションのポスターを見つけて、これに出よう、と言い出しました。
条件としては、オリジナル曲が必要。
中学のときから、曲を作ってた僕が自然に作ることになりました。

加納順くんと知り合うのもこのあたりかな。
僕たちが高校2年で、加納くんは、まだ中学生でした。

練習スタジオで、僕たちが練習してると、窓の外から、ジロジロ見ている子供がいるんです。
そのころ、僕らも尾道のコンテストでは、賞をもらったりしてたので、ちょっとだけ有名になってたのかもしれません。
また、「あの子供が見てるよ」と思いながら練習したものです。
で、ある日スタジオに行ってみると、その子供たちが練習していました。よく見るとあの子供が使ってる楽器は、本物のカールフェフナーのベースです。ポール・マッカートニーと同じじゃないか。こっちは安価なそれでも大変な思いで購入したコピーモデルを大事に弾いてる、というのに。
それで、「おいおい、君たち」というような感じで、知り合ったのでした。
聞けば、ギターも弾けると。
どれどれ、と弾いてもらったら、
「While My Guitar Gently Weeps」のソロ。
ビートルズの曲ですが、エリック・クラプトンの名演で有名なソロです。
なかなか、やるねぇ。みたいなことで、時々、練習スタジオで会うようになって、84年になってからかな、加納くんのバンドは消滅して、加納くんも高校生になり、僕たちのバンドに誘って、入ってもらうことになりました。
加納くんは僕たちと別の高校に入りましたから、その学校の校則により、いわゆる坊主頭。
このイメージが、後に、強力なインパクトになるのでした。

いよいよ加納くんも加わって、5人での初めてのステージは、1984年の夏でしょうか。

今度は、加納くん、いきなり、エピフォンのギターを持ってきましたよ。ビートルズ日本公演の時にも、ジョンとジョージが使用したのと同じギター。どうなってんだ、と思いました。

加納くんが加わったときには、もうオリジナルをやってたかな。
The東南西北の初のオリジナルは「Jの後悔」です。

(C)2011-2012 Cheer Up! Project All rights reserved.