第三回 「ANDYのこと」


ANDYにて


ANDYは、尾道駅北口すぐにあるJAZZ喫茶。

高校生のThe東南西北は、ANDYで育ちました。
そのあたり、少し書きます。

1983年の夏になろうとするあたりか、大池くんが、あるイベントのテープ審査に応募しよう、と言い出しました。

僕らは、まだビートルズのコピーバンドです。
人前で演奏する機会がほしいので、積極的にコンテストやオーディションには参加していました。

練習スタジオで録音したものの中から、良さそうなものを、僕の持っていたダブルカセットレコーダーで、ダビングして提出することに。

大池くんによれば、提出先は、ANDYというジャズ喫茶と。
大池くんも店を知ってはいるものの、入ったことがあったんだかなかったんだか、とにかく、高校2年生の僕らには、ちょっと敷居の高いお店のような気がしていました。

僕と大池くんとで、テープを持っていったんだったか、なにしろ僕は初めてです。大池くんも、店を知ってるとは言ってましたが、ちょっと、恐る恐るな感じ。つたの絡まったような薄暗い入り口には、大きないかついバイクが止めてある。古めかしいドアを、恐々開けてみると、中はさらに暗い。大音量でジャズがかかっていて、目が慣れてくると、黒い感じの男の人たちが、3〜4人。サングラスをかけていたり、髭が生えていたり、もう、怖そうな感じです。

「どうした?」
「いや、テープ持ってきました」
「そうか、じゃ、かけてみよう」
ジャズのレコードが止まり、しばし沈黙の後、僕たちの演奏するビートルズが流れます。緊張するような、誇らしいような気持ち。
「おー、ビートルズかぁ」ちょっと微笑んでどなたかが、おっしゃった。
別の怖そうな人が、
「クロスオーバーに、出たいのか?」
「はい」
また別の人が、
「お前ら、高校生か?」
「東校です」
一番怖そうな人が、
「よし出てみろ」

クロスオーバーというのは正式には、「備後クロスオーバー1983」。
ANDYのマスターが主宰で、備後地区のアマチュア、セミプロ、プロ問わずミュージシャンたちや、画家、陶芸家などが集って、三日間ライブや作品の展示をしようという、大イベントです。
場所は、千光寺公園という広い公園で、音楽はその公園内のグランドに大きなステージを組んで、そこで文字通り三日三晩、次々演奏するというもの。

僕らは、テープをちょっと聞いてもらっただけで、即OKが出たと思って、興奮しました。
テープを聞いてくださったのが、マスターや、ANDYの常連さんでこのイベントの中心となるスタッフの方々。
あとで、聞いた話ですが、僕たちが、即OKになったのは、少しでも、多くの若者たちに演奏のチャンスを与えようという気持ちと、高校生たちがイベントを手伝ってくれるようになったら、嬉しいという気持ちが、あったそうです。

もちろん、手伝えることは、積極的に手伝うつもりでしたよ。ただ、The東南西北結成時のメンバーAくんは、そろそろ受験に向けて勉強をがんばりたいので、このライブを最後のステージにしたいし、イベントの手伝いはできない、と。
すでに、メンバーに入っていた、入船くんの活躍もあり、僕たちは、ステージも、手伝いも、けっこうがんばれて、マスターや常連さんたちに、顔を覚えてもらえ、可愛がってもらえるように、なったのでした。

詳しくは長くなるので、書きませんが、真夏の尾道、公園までの長くて急な坂道を歩いてのぼって、ステージを組んだり、土砂降りの中、ビニールシートを運んだり、皆ヘトヘトのイベント後のあと片付けで、やはり炎天下、借りもののビニールシートやステージセット等に、雑巾がけしたり、ステージを組んでた鉄パイプをばらして運んだり、とにかく、すごくいい経験をさせてもらいました。

常連さんたちも、素敵な方ばかりだったし、なんといってもマスターの人望ですね。
人の心をとっても大切にされ、出会いをよろこばれ、僕らみたいな高校生を、子ども扱いすることなく、ミュージシャンとして、真面目に接してくださいました。
僕など、ほとんど、無口ですから、マスターのお話を聞くばかりでしたが、一度、「プロとアマチュアの違いは何だと思いますか?」と質問してみたら「真剣さ」と答えて下さいました。


***



ジャズ喫茶ANDYでは、今も良い音でアナログのレコードがかかってます。
1983〜85年僕らが高校生でANDYにかよってたころと同じです。今かかってるレコードのジャケットがよく見えるところに飾られて、たっぷりとした音でかっこいいジャズが、けっこう大きい音なのに、静かに流れている。

高校生の僕が、ANDYでよく飲んだのは、寒い日はホットミルク、暑い日は、ハワイアンブルーという青い炭酸飲料。他の人があまり頼まないものを頼みたくて。

ANDYには、店に来た人が書いていくノートが当時あって、僕もそこに、わけのわからないことを沢山書いていました。
わざと、わけのわからないことを書いていくわけです。
なぜかというと、ビートルズのサイケなころの詞みたいなものを書きたいと思ったから。
そんないいものは、まったく書けないのでしたが。

かよったといっても、毎日のように行ってたわけではありません。ごくたまに行って、レコードを聞きながら、マスターや常連さんたちの話を聞くだけ。
僕は、普段も無口ですし、皆さんのお話がとってもいいので、それだけで、とっても楽しいのでした。


***



ANDYでは、時々ライブも聞けます。
20席ぐらいのスペースですが、間近で聞けるので、迫力がありますよ。

ジャズはもちろん、フォークのライブもあるし、僕も、時々歌ってます。

初めて、ANDYで歌ったのは、高校生の頃。
知ってる人のライブを見ていたら、
「久保田も歌ってみろ」と。
その方のギターをお借りして、当時出来たばっかりのThe東南西北のオリジナル「Jの後悔」を歌いました。

高校3年の冬に、この曲と「星がっちゃうねジャマイカ」で、CBSソニーSDオーディションを受け、グランプリ。
卒業と同時に上京し、その年、1985年の11月にThe東南西北はデビューします。

デビューしてからも、帰省のたび、ANDYには、行っています。

ANDYをイメージして作った歌は、The東南西北では、5thアルバム『緑の国』収録の「明日また森で逢えました。」があります。
「出逢いをこんなにも喜んで、あなたの空間に誰もが集まる。緑葉がそのドアを飾るとき、ランプの下ではあたたかな微笑み」あたり、ANDYや、マスターを意識しています。 また、ある日、ANDYにいますと、好きな尾道弁は、という話題になっていたときがありまして、僕は、そばで聞いていただけだったんですが、マスターは、「ねきぃけえやぁ」
が好きと。
「そばにこいよ」という意味で、子犬を呼ぶときにも使えば、ちょっと艶っぽい場面でも、使われるわけです。
それをセレクトするマスターの感性がいいなぁと思って、すぐ作った歌が、語呂合わせで
「naked care」。
2005年の久保田洋司のアルバム「回り続ける世界で僕らは出会った」に収録されています。

どっちの曲も、もちろんANDYで歌ったことがありますよ。

さっきも書きましたとおり、今も、ANDYでライブをやらせていただくことがあります。

でも、ANDYへは、普段は普通に、マスターに会うためだけに行きます。

行っても、何を話すでもなく、良い音のジャズを聞きながら、座ってるだけのことが多いですね。

僕は、普段、家ではまったくお酒を飲みませんが、ANDYに行って、こんな気分のときは、どんなお酒でしょうね、とマスターにたずねれば、まさに、そのとき流れてるジャズや、ちょっと落ち着いた気分にぴったりの、バーボンやスコッチを出してくださいますよ。

最近、出してもらって美味しいなと思ったのは、フォアローゼズのプラチナや、ハーパーの12年。

もし、皆さん、尾道に行くことがありましたら、JR尾道駅北口すぐの、ANDYにお立ち寄りください。
マスターにお会いになったら、
久保田がよろしく、と。


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