第四回 「尾道のこと」

The東南西北のバンド名は、メンバーが、尾道の東、南、西、北に住んでいたから、で、真ん中あたりに住んでたもう一人を無理矢理「The」ということにして、The東南西北と名づけたのだ、という説がありますが、これは、あとからこじつけたものなんです。

実際、僕の実家は、一応尾道の一番東の端の町。
大池くんは、ほぼ西の端ですが、
清水くんは、高校生の頃、自転車通学だった僕らからすると、だいぶ北の山奥から来てる印象がありましたが、地図を見てみれば、そうでもなくて、尾道市は、もっと北のほうまであるんです。
同じように、港に近いから、南でいいか、とだいぶこじつけたのが、入船くんの実家あたり。
本当に南というなら、海を渡って向かいにある島の向こう側になるわけでした。

加納くんの住んでたあたりは、他の4人の住んでた町を線で結ぶと、なんとなく真ん中あたり、というぐらいなことでしょうか。

加納くん以外のメンバーがかよっていた高校が、尾道のいわゆる市街地にありました。山陽本線と国道2号線が並走していて、2号線の南側に商店街、そのすぐ南は海。
線路の北側は有名な坂の町です。
高校から商店街を抜けて駅まで、西へだいたい1.5Kmその間に楽器店があり、駅の北口にジャズ喫茶ANDYがあります。

The東南西北のメンバーが5人そろって、その近辺をうろうろしてたのは、1年ちょっとということになります。
思い出深くはありますが、けっして長い時間ではありませんね。

市街地は海に面していますが、そのすぐ向かいに島があります。
桟橋が何箇所かあって、そこから小さなフェリーが島と行き来しています。
乗れば、2分ほどで島に着きます。

海は、とっても狭いですね。

僕が小さいころ、「海は広いな大きいな」という歌をはじめて聞いたころのこと。母とバスで2号線を市街へ向かうとき、母が「海が見えたよ」と教えてくれたんですが、「広い、大きい」というのは、こういうことか、意外と狭いなぁ、と思ったことでした。

僕の実家は、明治時代に大工だった曽祖父が建てたもので、もう100年以上になりますが、やはり少し坂の上にあります。
いわゆる市街地の有名な坂の町あたりではないんですが、それでも、坂の上に住んでいますと、だんだん、麻痺してくると言いますか、あまりに当たり前になりすぎて、自分がいつも坂を上り下りしてることが普通で、なんとも思わなくなるのかもしれません。最近になって、帰省して実家に行こうとすると、こんなに坂道だったっけ、とあらためて感じることです。



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