幅広い音楽活動はもちろんのこと、ブログやSNSにおける心に真っ直ぐ迫ってくる文章で、そのお人柄がとても気になる人物だった酒井ミキオさん。
今回初対面が叶い、下北沢の落ち着く喫茶店にてお話を伺った。


---今日は酒井さんのヒストリーをじっくり伺えればと思っております。 自分が音楽好きだと思ったのはいつ頃ですか?


酒井:認識したのは中学ぐらいでしょうけど、子供の頃から普通に歌謡曲を聴いて、世代的にはピンクレディーを踊ってました。


---踊ってたんですか!?


酒井:そう。姉と(笑)。


---じゃあ、歌謡曲から入っていったんでしょうか。


酒井:その世代の子供たちと一緒だったと思います。TVでベストテンとかトップテンを見てました。


---公式サイトを拝見すると、中学一年でカルチャークラブを好きになったとか。


酒井:MTVは1984年ごろですかね。イギリス、アメリカの洋楽が姉経由で入ってきて。
日本の歌謡曲しか聴いてこなかったので、「何だろう!?」みたいな感じで。
言葉が分からないじゃないですか。結局全体的にガッとやってきたというか。サウンドとかイメージですね。
それでドップリハマるようになりました。


---当時はインパクトのあるアーティストが次々登場して、すごい時代でしたね。


酒井:そう、なんか違うぞ!っていうのが新しかったというか。
そこから数年はほとんどそっち方面(洋楽)ばかりでしたね。
高校ぐらいになるとBOOWYが流行り出したんですけど、見向きもしなかった。
大人になってから聴くとすごくいいんですけど、当時は洋楽にかぶれてたんですね。


---バンドブームの時期は、日本のバンドはあまり聴かなかったのでしょうか?


酒井:バービーボーイズはあの中でも異色だったので、気にはなってました。
再結成の時、観に行きましたよ。東京にいるとそういうのが観れるのが有利ですよね。外タレも来るし、再結成モノも、東京は必ずやるから(笑)。


---酒井さんは北海道のご出身とのことですが、いつごろ上京されたのですか?


酒井:厳密に言うと川崎市、大きくいえば東京ですけど、高校を出てヤマハ音楽院に入りまして。


---日吉にあるヤマハ音楽院ですね。私も憧れていた学校なのですが、いろんな楽器や理論をびっちり学ぶイメージがあります。


酒井:やりましたけど、どちらかというと、仲間がいて、すぐリハが出来たり、すぐレコーディングを出来たりとか、そういうことですね。
何かを学んだっていうのが振り返ると実はあまりなくて。理論ももう知ってたんで・・・。あそこであの先生に習ったからすごかったっていうのは無いんですよね。仲間と出会えたのが一番大きいです。

スタジオも併設されてましたから。そこでちょっと遊ぼうとか、自分の曲が出来たからレコーディングしてみよう!とか、そういうことが出来たのが一番大きかったです。


---それってとても理想的な環境ですね。遊び心を持ちながらみんなで音楽を作っていくことがすぐに出来るなんて。


酒井:ドラムを叩きたくなったらドラム科のものがあるんで適当に叩いたりとか、そういうことが大きかったですね。飲みを通じて仲良くなっていったりとか、青春しましたよね、ある意味。


---高校時代はシンセを買って弾いていたそうですね。

酒井:実家にアップライトピアノがあって、高校に入った時にDX7 IIっていうシンセサイザーが出たので、それを購入して初めてシンセというものに触れて。
値段がだいぶ安くなった時期だったので。DX7は30万ぐらいでしたが、それまでシンセサイザーというのは3桁でしたから。一気に2桁に落ちてきたんで。
高校生でも、それまでのお小遣いを全部使ってなんとか買いました。


---だいぶ練習されたんでしょうね。


酒井:結局、僕はプロの鍵盤奏者としては始めたのが遅いんですよね。ちゃんとやったのは高校からですし。
プロでやってるキーボード奏者っていうのは、子供の頃からやってますから、結局ヤマハ音楽院に入った時に10年以上のキャリアの差がついているわけです。
だから結構コンプレックス持ってましたね。マジで無理だと思いましたもんね。


---ヤマハ音楽院というぐらいだから、周囲では子供の頃からヤマハ音楽教室でカリキュラムを習ってきた人たちも多かったのでは?


酒井:う〜ん、いろんなタイプがいましたけど、特にエレクトーンや鍵盤に関してはそういう人が多かったかもしれませんね。
ギター、ベース、ドラムなどは中学・高校から始める人が多かったんですけど。
鍵盤に関しては10年以上のキャリアの差があって、18歳とは思えないような人がいました。


---ヤマハ音楽院には何年間いらしたんですか?


酒井:2年間ですね。他に研究科みたいなのがあって、もっとやりたいという人は進んでましたけど、そんなに意味はなかったんじゃないかなと僕は思うんですけど(苦笑)。大人になってから考えると。大学の研究室みたいなものじゃないし、遊んでたかったとかそういう人も多かったんじゃないかな?ちょっとしたキャンパスライフみたいなものでしたよね。
楽しかった。だから大学生ってもっと楽しいんだろうなと思ってました(笑)。
近くに慶応大学があったから、大学生楽しそうだなーって思って見てて。


---卒業なさってからは?


酒井:卒業してからは、オフィス・インテンツィオという高橋幸宏さんの事務所にアシスタントというか、若者として入るわけですよ。機材を運んだり、毎日いろんなスタジオに行って。
うちの事務所はシンセサイザー・プログラマーで有名な方を抱えてまして、その方々のレコーディングなり機材を運んでいて。


---羽野晶紀さんのサポートキーボーディストもその事務所がきっかけですか?


酒井:そうですね。事務所から、短いツアーだけどやってみないかと言われて。
それがプロの初仕事でした。


---シンガーソングライターとしての曲作りはいつ頃から始めたのですか?


酒井:曲作りは、ちゃんとしたものは学校時代ですね。しっかりとしたものを作ったなあと言えるのはそこからだと思うんですよ。それ以前から作ってはいたんですけど、聞けたもんじゃなくて。
やっぱり人から初めてほめられて、「いい曲だね」って言われたのがヤマハ音楽院時代の女性モノのポップソングだったんです。
そこで切り替わったんですね。キーボーディストになるっていうものから、作曲するほうに意識が切り替わったんですよ。


---酒井さんの歌声は芯があって骨太なんだけど、その中に甘いところもあっていいなあと思っています。
ヴォーカルレッスンはやはりヤマハ音楽院時代にやっていたのですか?


酒井:いやいや、やってないです、全く。
ヴォーカリストになろうと思っていなかったので。全然後付けです。


---後付けですか!?


酒井:学校出て、21歳の時に歌ってみようと思ったんです。


---それでデビューは1994年とのことですが。


酒井:23歳の時ですね。


---あの頃いろんな音楽雑誌に出てらっしゃいましたよね。


酒井:トイズファクトリーからすごいプロモーションをして頂きましたね。
一連の音楽雑誌にも出させて頂きましたし、「パチパチ」はレギュラーで出させてもらいました。
本当に良くしてもらいましたね。


---トイズファクトリーと契約されていた時期は?


酒井:契約していたのは1993〜1999年の6年間なんですけど、デビューしたのが1994年で最後のアルバムが出たのは1997年だったから、世間的な見え方としてはもうちょっと短いですよね。


---2000年代は「スクライド」などのアニメやゲームの音楽を手がけられていますね。


酒井:そうですね。たまたま一連の楽曲制作の流れで。


---2000年代は楽曲制作が主流になったのでしょうか?


酒井:そうですね、やっぱりそっちがメインになって。まあアーティスト活動もしてましたけど、比率がそっちに移ってきて。編曲や作詞作曲がかなりメインになってきて、いろんな仕事をさせてもらって、その合間合間で自分の活動をしてましたね。
それは今も変わらないんですけど。


---最近のアルバムでは2012年の『my souls』が好きです。歌声にますます深みが増してとても素敵です。


酒井:あれはアニメ系ですね。谷口悟朗さんというアニメの監督がいまして、彼の作品にいくつか絡んだんですよ。主題歌なり挿入歌なりエンディングなりで。
その曲が10曲たまったのでアルバムにしましょうということになって。
そこにプラス2曲新曲追加して、『my souls』というアルバムが出来たんです。
アニメ系の顔かな、っていうアルバムになってます。


---毎回インタビューでは、「あなたのCheer Up!ミュージックを教えて下さい」という質問が恒例となっております。Cheer Up!は、元気が出るとか、気分がアガるとか人によって解釈様々だと思いますが、酒井さんにとってのCheer Up!ミュージックは?


酒井:自分の音楽はポップスなんですけど、ハードロック、デフ・レパードが好きなんですよ。
燃える曲というとデフ・レパードの「action」という曲があって、ディープパープルの「Highway Star」みたいな曲なんですよ。車に乗ってそれを聴くと燃えるという(笑)。
「ヒステリア」というアルバムが一番売れて、メジャーなアルバムなんですけど、そのアルバムもなんか燃えますね。ウワーッとなる感じ(笑)。拳が上がる感じですね。
ジャンルというより、デフ・レパードが好きなんですね。
自分ではああいう音楽はやらないんですけど、ライブ行ったり聴いたりするのはまあ(笑)。


---最近どんなライブに足を運んでいるんですか?


酒井:今日はこれからKis-My-Ft2に行きます。
いろんなのを見に行ってます。ここ(インタビュー場所の喫茶店)の上のライブハウスでも、元L⇔Rの黒沢秀樹君がやってたのを聴きに行ったりとか。
こないだは湘南乃風のHAN-KUNのライブに行きました。ちょっとアレンジで絡んだりしたのでその流れで。
あと東京ドームでの韓流のイベントに行きましたし、気になったらジャンル問わず、小さなライブハウスから大きなイベントまで観に行きますね。


---アクティブですね!


酒井:同業者の中では行ってる方なのかもしれないです。
単純に楽しいんですよね。ライブ鑑賞というものが。


---酒井さんのプライベートで、元気の源というものはありますか?


酒井:プライベートですか!インターネットばかりしているかもしれないですね。
お酒飲んだりするのは好きですね。以前はかなり飲んでたんですけど、最近は減りました。弱くなったんで。
アクティブな趣味は・・・あまりアウトドアじゃないんでね。
気付いたらインターネットしてるっていう(笑)。


---YouTubeとか?


酒井:YouTubeは観ちゃいますね!なんだこれ、なんだこれって(笑)。
気付いたらすごい時間たってますね。


---お酒はどんな種類を飲むんですか?


酒井:なんでも飲みますよ。1〜2杯目はビールですけど、その後は焼酎なりワインなり。
バーに行ったら普通に濃いウィスキーとか、たまに日本酒とか。雑種ですね!
お酒が好きっちゃ好きなんですけど、その場が好きなんですよ。酔わないとあまりノれないんで、お酒を介して酔っぱらって盛り上がっていくのが好きですね。


---物を創る方は煮詰まる時期もあると思うのですが。


酒井:煮詰まるねえ。絶対それは通っていると思うんですけどね。


---そういう時の気分転換や解決方法とか、酒井さん流のものが何かあれば教えて頂けますか?


酒井:酒飲むとか、締切とか切羽詰っている時はそれこそYouTubeとか聴きながら自分で鼻歌歌っていくとか。
それで波長がフィットする時になると、あっ、こっちかも!みたいな(笑)。
音楽を作る時は、別の音楽を聴きつつになるんですよね。
煮詰まるというのも、90年代より考えなくなったと思いますね。


---年月を経て、ということでしょうか?


酒井:んー、それなのか、モワっとなるようにわざとしてるのかな。
煮詰まるということと向き合わないようになったというか、"気付かぬふりをしよう"みたいなのでしょうかね。
そういう風に感覚的にはなってるかもしれないです。分かりにくい表現かもしれないですけど。
20代の時は煮詰まりに対して思いっきり向き合ってた気がするんですよね。
それで右往左往してたり、今思うと"苦悩"になるんでしょうかね。
小説ばっかり読むとか、そういう方法を取ってました。


---ちなみにその頃は小説はどんなものを?


酒井:当時、太宰治を全巻買ってきて読んだり、目に入ったものを読んだり、それは20代の頃ですね。
30代になってふっと煮詰まりに対してとらえ方が変わってきて、するっとそこを通り抜けるような精神状態になったんじゃないかと思うんですけど。


---20代、30代、40代で変わってきたんですね。


酒井:変わってきましたね。
30代って、すっと足が地に着く感じがしないのかもしれないですけど、少しドシッと座れたような、人として座れたような感じ。
若い時はやっぱりフワフワしてますから。


---デビュー当時のお写真はちょっとアイドルっぽい感じにお見受けしました。
女性ファンもかなり多かったと思います。


酒井:いや、そういうのはキスマイみたいな勢いじゃないですよ(笑)。
やっぱりいろんな人の死を考えたのが20代後半なんですよね。
死ぬっていうことから人生を考えるようになったので、そこで落ち着いてきたというか。
僕、よく「逆算人生」っていろんなところで書いてるんですけど、なんとなくボワっと自分の死を想像するんですよね。というか、想像することを頭の片隅に置いておきながら、今を生きていく。すると目先のちっちゃなことで悩んだり右往左往することが減ったんですよね。そんなこと仕様がないし、ある意味どうでもよくなったというか、もっと大きな視点で人生を考え始めたのが20代後半で。
それで30代で、腰がある種落ち着いたというか。


---そして"40にして惑わず"、でしょうか。


酒井:40にして惑わず。う〜ん、惑ってはいるんですけど(笑)、惑わずの方向に動いたのが多分30歳からだと思うんですよ。


---見習いたいところです。


酒井:結局死んじゃいますからね。
だったら、より楽しく喜びの多い人生を生きたい。
そうするにはどうして生きていこうかな?みたいな。
なので、10代20代の時のような目先の何かで自分がグルグル振り回されるのはなくなった気がするんですよね。


---今後の展望やご予定を教えてください。


酒井:2013年は久しぶりに札幌と大阪と名古屋でライブやったんですけど、2014年は東京だけだったんですね。ほんとちっちゃいところでもいいのでまた行ってみたいんですよね。
あと、自分がいいと思える曲を作り続けていければいいかなと思うんですけどね。


---ニューアルバムのご予定は?


酒井:この前バラードライブをやったんですよ。その時、ライブ会場限定モノの作品は発売したんですけど、アルバムということでは『my souls』以降作ってないので・・・。でも小出しになっていく気がしますね。アルバムっていうより。配信とかYouTubeに上げちゃうかもしれないし。


---作品の配信はなさっていますか?


酒井:してます。自分の通販のサイトプラス、iTunes配信で。


---新作ですか?


酒井:まだ旧作ですね。配信、どうなんでしょうね。YouTubeに上げちゃったほうがいい気もするんですけど。流れ的には無料化に行ってますからね。流れは止められないんじゃないですかね。
いったんこうなると人類は絶対ラクなほう便利なほうに傾くから、止められない気がします。この間のU2も(注:アルバム無料配信)そうですしマドンナもやり始めちゃってますから。
今の子供たちなんか、音楽はYouTubeで聴くものだと思いこんでる状態じゃないですか。買うという行為を知らない子が大人になっていきますから。まず止まんないと思うんですよね。結局YouTubeなり他のサイトなりで広告使用料でなんとか。spotifyなんかもそうでしょうし、なんにせよこの流れは止めようとしても止まらないので、それを見越しつつ、どう生きていこうかなって考えなきゃいけないでしょうね。

ライブ自体はそんなに悪くないんですよね。
いわゆるCD産業が崩壊しているということでしょうね。
それでも日本は一番CD売れてますからね。世界の中で。
音楽というものはすごく夢があるんですけど、産業という意味では以前と比べるとそんなに夢が見れなくなってきたのは事実ですよね。
むしろ今までがおかしかったのかもしれないし。以前は自分たちの表現は無料でやってたわけじゃないですか。お金もうけとか考えずに。そこから始まったもので、産業になっていって、衰退していくっていう。
新たな形にはなっていくと思うんですけど。

自分自身ですらYouTube見ちゃうわけですから。作っている僕ですら。
あの曲なんだっけ?って、自分のCDの棚見ませんから。
持ってても、YouTubeでカチャカチャってやっちゃう。
開ける行為しませんからね。もちろん早いから。

みんな今考えて答えはまだ闇の中だとは思うんですけど。
音楽業界で多分いろんな人がいろんなこと考えてますよね。

音楽配信もいま雲行き怪しくなってきましたからね。
本もそうですよね。僕も読みたい本あったらまず電子書籍探すんですよ。
本屋行かないんですよ。ラクだから(笑)しかも安いから。
人類って結局ラクなほう便利なほうに向かって文明を発達させてきたじゃないですか。
車もそう、電車も地下鉄もそう。ラクだから、速いから。
人類ってそういう動物だから。無理なんですよ、いったんそうなっちゃうと。
着るもの住居もそうだし。こっちのほうがラクじゃん便利じゃんってなったらもう以前に絶対戻らないのが人類なんですよ。
電力の問題だってそうだと思いますよ。世の中の様々な問題、押しとどめようとしても大きな波にちっちゃな波はかなわない。
まあそう考えれば、なるようにしかならないなっていう。


---音楽業界の諸問題については多くの本を読んで常々考えていますが、その中に身を置いている酒井さんのお話はすごくリアルで・・・。そうですね、まだ答えは闇の中なんですよね。
本日は貴重なお話をありがとうございました。






酒井ミキオ プロフィール:

Produce,Arrange,Keyboard,Computer Programming,Guitar,Lyrics,Compose,Chorus,Vocal
北海道出身 1970年8月24日生まれ
1994年2月トイズファクトリーよりソロアーティストとしてデビュー。
現在まで自主制作含めシングル・アルバム多数リリース。
1999年から自身のアーティスト活動と平行して作詞・作曲・編曲/キーボード/プログラミング等の作家&ミュージシャン活動を展開。
近年ではNTV系音楽バラエティ『歌スタ!!』のウタイビトハンター(審査員)への抜擢や、新人バンドのサウンドプロデュースを手掛けるなど、その活動の幅を広げている。

◆プロデュース
Sissy(2011年6月 フォーライフ・ミュージックエンターテインメントよりデビュー)

◆作詞・作曲・編曲(主なもの)
・中山優馬「水の帰る場所」作詞作曲編曲 /・SUMMARY of Johnnys World テーマ曲「Summary」
・SKE48(team KU)「今 君といられること」/・AKB48「ライダー」「明日のためにキスを」
・ノースリーブス・ペルソナ名義「クリスマスプレゼント」作曲
・東方神起「Lovin’You」作曲編曲 /・RAG FAIR「メリミー!」作曲編曲 /
・John-Hoon(ジョンフン)「涙の向こう側」「floating〜漂流〜」作詞作曲編曲
・島谷ひとみ「いつの日にか」作詞作曲編曲 「PASIO」作曲編曲 他数作
・タッキー&翼「仮面」作曲 /・滝沢秀明「君の名を呼びたい」共作詞作曲編曲
・NEWS「きらめきの彼方へ」作詞作曲編曲
・モーニング娘 ・THE ポッシボー ・中森明菜 ・Berryz工房 SPEED 他多数
〜アニメ〜
・コードギアス 挿入歌「ピカレスク」「Callin'」 作詞作曲編曲・唄
・プラテネス OP/ED/挿入歌「Dive in the Sky」「Wonderful Life」「Thanks my friend」作詞作曲編曲・唄
・スクライド OP「Reckless Fire」作詞 ED「Drastic me soul」作詞作曲編曲・唄
同サウンドトラック2収録曲「旅立ちの鐘が鳴る」「Discovery」作詞作曲編曲・唄
・機動戦士ガンダム 入野自由「VOICE〜ここから始まる愛」編曲 他多数

◆音源制作(主なもの) ・Hey!Say!JUMPライブBGM ・滝沢秀明舞台BGM ・今井翼舞台BGM
・ハロプロミュージカル「新宿の女」 ・NEWSライブ OP SE ・V6ライブ OP
・少年隊ミュージカル…2002〜2008 ・SMAP CONCERT TOUR オープニングインスト作曲 他

◆ライブサポート(Keyboard 主なもの)
・森友嵐士・華原朋美・つるの剛士・織田哲郎 他

◆アーティスト活動
・トイズファクトリーにてシングル7枚 アルバム4枚
・ビクター フライングドッグにてアルバム「my souls」 その他シングル等
・songbookシリーズ1〜14 その他
・ジョン・レノン・トリビュートアルバム『#9 DREAM』に参加
・配信曲多数


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「特集"Cheer Up!"がお薦めする男性シンガーソングライター 酒井ミキオ」
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