1994年にシンガーソングライターとして鮮烈なデビューをした種市弦さん。 1997年にはSMAPのアルバム「SMAP011 ス」に、種市さん作曲・編曲の「Hi-Fi」が収録され、なんて好みのサウンドを生み出すアーティストだろう!と一気に気になる存在に。しかし近年は活動の様子が分からず残念に思っていた。 そんな時、再び種市さんが動き出した!という朗報。さっそくお会いして、その詳細や心境についてじっくりお伺いした。 (2017年1月) ---種市さん、やっと本格的に活動再開されたようで嬉しい限りです。 2017年は飛躍の年となりそうですね! 種市:ここ10年ぐらい地味な活動というか、思うところがあって表立った活動をしてこなかったんですね。 2016年から再起動するようになって。 実際に久しぶりにライブをしたのは2016年6月にゲストで出してもらって、それが5〜6年ぶりだったんですよ。 その後に7月に3本続けて出演して、そのうち1本が1日に3ステージだったから、そこでリハビリみたいな感じで(笑)。 そこからは月に1回ぐらいのペースで、小さい場所ばかりですけどライブ活動してますね。 2017年から新しい企画を始めます! ---どんな企画か詳しく教えて頂けますか? 種市:「月刊 タネイチゲンライブショー 注文の多い音楽会」というイベント。 僕がMCとなって、音楽家のゲストと音楽とは違う専門家の二組のゲストをお迎えしてお届けするバラエティショウケースなんです。月刊っていうくらいだから、月に一度必ず開催されるみたいです。 「みたいです」って言うのもおかしいんですが、僕もあえて中身は聞かされてなくて、タイトル通り、毎回なにやら注文が降り掛かってくるらしいんですよ。いったいどうなることやら(笑)。 ---それは楽しみですね! この10年間は種市さんにとってどんな時期だったのでしょうか。 種市:当時、僕の周りにいるアーティスト達は、なかなか好きな事を好きなようにやるのは難しいんじゃないかという印象でした。 なんか僕はそこから離れたくて、音楽以外の仕事に関わったりしながら、改めて自分のやりたいことを見つめ直す経験を積んだ10年間だったのかなと思います。 ---最近のYouTubeでの新作は聴かせて頂いていて、CD化されたらいいのになぁ〜と思っています。 種市:形になるものは、形にしたいなあとは思ってます。 YouTubeでUPしてるのは完全に一人で、全部自分だけでやっているものなので、あのまま出るということはないですね。 ---曲作りには時間がかかるほうですか? 種市:かかるときはかかるし、かからない時はかからないです。 往々にしてかからない時のほうがいいものが出来たりしますよね。 昔は割と無理にやってるところがあったんですよ。 今はやりたい時はやる、やりたくない時にはやらない、出来なければ作らないですね。 ---今日は種市さんの音楽ヒストリーについてもお伺いしたいです。 子供の頃、いつぐらいから音楽を聴いていましたか? 種市:父がベーシストなので、物心ついた頃からですね。 ---主にどんなジャンルを聴いていましたか? 種市:父がJAZZプレイヤーだったんでJAZZは基本自分の中に入っていて、父の影響で自分もベースをやってたんですね。 それで僕の名前、「弦」なんです。 ---そうだったんですね!何歳ぐらいからベースを弾き始めたのですか? 種市:ウッドベースは子供の時から家にあったので自由に触ってるという感じで。 エレキベースに関しては、小6かな? ---他の楽器はやっていましたか? 種市:ピアノもやっぱりずっと家にあったんですけど、今みたいに自分で弾くようになったのは自分で曲作りするようになってからですね。 ピアノを上手になろうとして練習したことはないんです。 曲作りのために鍵盤を弾いていって、だんだん出来るようになってきて、30歳ぐらいの時にまあ弾き語りでやってもいいかな?って(笑)。 今は完全に鍵盤弾きながら歌うスタイルですね。 ---バンド活動経験はありますか? 種市:バンド活動はやってないです。 もう最初からソロで、子供の時からずっとシンガーソングライターになりたいと思っていたんですけど、曲作りを始めたのはその割には遅くて17歳。 デビューするために当時の事務所にデモテープを持っていってたんですけど、持っていくって決まったあたりで作ったんですよ。持っていくために作ったって感じで(笑)。 ---17歳にして、デモ応募されていたのですか? 種市:それが最初で最後の一回で、そこに持っていくために作った曲が3曲あって、そのうち1曲がデビュー曲になったんですよ。 だから言ってみれば、最初からプロの環境での曲作りだったので、バンド少年だった時代がないんですよ。 バンドというか例えば自分でライブハウスをブッキングしたり、仲間と一緒にレコード作ったりっていうのがなくて、最初から事務所の人たちと一緒に売れるものを作る。 まあ良くも悪くもメジャーのレールにのった自分が出来上がっちゃったんで、それから何年かしてジレンマみたいなものが出てきたんですね。 ---最初からシングルカットですものね。 種市:あれもまあ20年前ですからね。 僕はいま42歳ですから、あの時の曲は、特に歌詞なんかは言ってみれば17歳の時に書いた歌詞ですから、すごい恥ずかしいものもありますし、その時ならではの言葉使いだったりもあるんですけどね。 今とは全然違いますね。どうしてもこう・・・古いアルバムを見てるような。 ---当時のプロデュースの佐藤博さんは事務所の繋がりですか? 種市:当時のディレクターの采配です。 博さんとの出会いはすごく大きいですね。 ---佐藤博さんの思い出は? 種市:とにかく僕が一番影響を受けた日本人のミュージシャンで、まず音楽に対する姿勢っていうのが凄い。 表面上ストイックな印象を誇張しない方なんですが、最終的に本当に自分の好きなことしかやらないという頑さ。そこに嘘がないわけですね。 あと、やっぱりジャンルにとらわれなかったり、歌うのが大好きでピアノも弾いて、楽器も全て最終的に自分がやるとか。 すごくフレキシブルというか、頭で考えてるのではなく音楽してるというか。 そういうところも結局、自分も同じ方向にきたなと思います。 ---facebookでの僅かなやり取りだけでも、温かく優しい方だなって印象を持っていました。 お人柄はいかがでしたか? 種市:人柄もまさにそういう感じですよ。イヤミのない優しい人。 ホント、自然ですよね。好きなように自由に音楽をやって、だからといって周りを見下すこともなく。驕りたかぶるわけでもなく。それが普通なんでしょうね。 その代わり自分の好きな音楽をやるためには、周りと意見が違っていても合わせない、ブレないということでしょうね。 そこが博さんの強さでしたね。 ---ご一緒に作品を創った時間はどのような感じでしたか? 種市:年齢は離れていましたが、そこはクリエイティブな関係で。 どっちも譲れないとかいうことでなくやっていました。 楽しかったですね。素晴らしい時間だったし、僕にとっては替え難い貴重な経験でしたね。 ---種市さんのデビューは1994年。そこから10年ぐらいは盛んに活動されてたんですよね。 種市:まあメジャーにいたっていう感じですよね。 メジャーの世界にいて、当時は経済的な時代背景も今と違うから、バブルの恩恵を僕も受けていた気がします。 当時は売れてもいないのに、すごいお金かけてもらって。今はまったく誰からもちやほやされない環境(笑)ですが、精神的なバランスで言うとどっちがいいんだろう?って思いますね。 でも今は自分でコツコツやって、特に事務所にも入ってないし。でもそのあたりは特にこだわってなくて、そのタイミングで手伝ってくれる人がいればその人と一緒にやる、みたいな感じでやっていこうと思っています。 ---種市さんの存在を知ったのはSMAPのアルバム「SMAP011 ス」(1997年)に収録の「Hi-Fi」(種市弦さん作・編曲)なんです。メロディといいサウンドのかっこ良さといい、とても心ひかれて。 この曲はコンペで決まったんですか? 種市:コンペ扱いですね。 その当時のSMAPのディレクターさんとは今も交流があるのですが、彼もレコード会社は辞められて、いまご自身で歌ってらっしゃるようです。 ---当時の彼らにしては大人っぽい、ジャジーで素敵なサウンドで。 どんな感じで作られたんですか? 種市:結構前ですからね。仕事の一つで、っていうほどクールにはとらえてなくて、自分が歌ってもいいなぐらいの感じで作った記憶があります。 ---このインタビューでは、皆さんのCheer Up!ミュージックを伺うのが恒例となっております。Cheer Up!の解釈は、気分がアガる、楽しくなる、落ち込みから立ち直るなど自由にお願いしてますが、種市さんのCheer Up!ミュージックを教えて頂けますか? 種市:jamie cullumが歌う「I GET A KICK OUT OF YOU」です。 ジェイミーカラムは近年最も大好きなアーティストで彼の作品には、僕を夢中にさせるポイントがたくさん詰まっています。 この曲はフランクシナトラの歌うスタンダードナンバーですが、ジェイミーのこのバージョンが僕にはたまらない仕上がり。 その中でも、このLIVEバージョンがFAVORITE。 せっかくなんで、佐藤博氏から1曲。 博さんのアルバムはほぼ全部持ってるんですが、その中でも、名盤中の名盤「awakening」から「only a love affair」。 佐藤博さんは世界一のペーパーベーシストだと思ってるんですが、この曲の中でもさりげなく大活躍してくれていて、セクシーで且つドラマティックに、僕たち聴くものを楽曲の中に誘ってくれています。 無機質なはずの打ち込みリズムが、生きてるかのように時を刻んで、博さんでしか作れないタイム感に夢中にさせられます。そんな案内人に連れて行かれた世界は、just a love affair. 時とジャンルを越えて、最高にロマンティックな気分にさせてもらえる一曲です。 ---どちらもとても素敵な曲ですね。ありがとうございます! 種市:Cheer Up!っていい名前ですよね。 ポジティブなマインド。どれだけ人間が人生を好転させられるか?っていうことをここ数年で、特にここ数ヶ月で身をもって実感するようになって。 それが歌にもなっているし、Cheer Up!、気持ちがアガるというか、そういう意味でとらえると、いろいろ思い浮かびますよね。 ---今日はせっかくお会いできたのでプライベートについてもお伺いしたいです。 種市さんは、読書がお好きそうなイメージがありますが、いかがですか? 種市:それすごくいい質問。 僕、読書全くしないんです!(笑)。 子供の時から今に至るまで恥ずかしい話、全くしないんです。 好んで読書すること全くないですね。インターネットで調べる時もほぼ動画だし。 文章を読むのがイヤなんです。書くのは嫌いではないんだけど。 ---映画はいかがですか? 種市:前は好きでしたけど、映画館でもビデオでも、映画は最近観なくなっちゃって。 ---じゃあ、最近のご趣味は? 種市:いかに人生を幸せに過ごせるか?そういう研究ばっかりしてますね。 TVも電源抜いちゃってるから一年以上ほぼTV見てないし、自分のスペースでTVを観ることはない。 あとは散歩ですね。近所を8キロぐらい歩いたりしています。 あとは食べたり、お酒も好きですね。 ---どんなお酒や食べ物がお好きなんですか? 種市:何でも飲みますね。あと食べ物の好き嫌いも全くなくて。 20代後半ぐらいまで辛いのが一切ダメだったんですけど、ある時期から辛いのが平気になって、今はすっごい辛いラーメンとかああいうのも食べるようになっちゃって。 何も嫌いなものがないですよ。 食べて飲むのが趣味、あとは散歩と。 ---ペットは飼ってますか? 種市:8年ぐらい前までは犬を飼ってたんですが、12歳で死んじゃったんです。 それまでは趣味っていうより、自分の子供だと思ってたから、犬のために生きていたような感じですね。 その時期こそ、どうやって生活してたんだろ?ってぐらい一日の大半を散歩ばかりしてました。 犬にとっては幸せな、犬のために生きてたような。 でも犬が死んじゃって、それから一時期散歩は出来なくて。 でも最近は、自分のための散歩ですね。 ---歩いている時に曲が浮かぶことはありますか? 種市:曲もそうだし、詞もそうですし、歩いている時に一番いろんなこと考えられるんですよ。 家で曲考えろって言われてもなかなか出来ないけど、歩いている時に一番いろんなことがおりてきますね! 結局、おりてくるんですよ。落ちてくるというか。 無理に頑張って作るものじゃないですね。 決まる時って、落ちてくるんですよ。 でも、うまくいかない時はうまくいかないじゃないですか。 それをどううまくいかせるか?っていうキーワード、簡単に言えばポジティブなマインド。それを実感として分かってきました。 人にもそういうことを伝えたいな、って思ってますね。 歌にもそういうことをのせてますよ。 それが天命だったのかな?って最近思うぐらい。 ---なんか分かりますね。とても気分の良くなるお話を伺えました。 種市:僕もCheer Up!っていう言葉、気に入りましたね。アガるってね。 気持ちがアガることによってアガるんですよ。 加速するじゃないですか。いいことも悪いことも。 そこをどうやって切り替えるか?っていうところがみんな悩んでいることだと思うし、僕はこの10年落ち込んでいたとまではいかないけど、活動出来なかったのが急に上がりだしてきたから、正に転換期に入ってきた。そういう流れを今感じていますね。 ---軌道にのったということでしょうか? 種市:そう、本当にそうなんですよ。 ---今後の展望や夢についてはいかがですか? 種市:言って実行する夢と言わないで実行する夢っていうのがあり、今、僕は言わないで目指すという理屈を信じてて、だから今は言えないですね。 今は自分の好きなようにやること、それは自分が幸せになるため。 つまり聴いてもらう皆さんも幸せになるような、それが僕が世の中に貢献できること。そういう時代を作りたいなと思いますね。 逆に自分にはこれぐらいしか出来ないかな。 でも、人が幸せになるのはとても大きなことだと思うから。 みんな幸せを求めてますからね。 それがまあ、今言えることですね。 貢献したいという気持ちがあったのと同時に、自分が貢献できることが見つかったっていうタイミングがあります。 ---そうだったんですね。 種市:自分がこの20年で大きく変わったところでいうと、若かった当時は自分の中身を知ってくれ見てくれ、ってことばかりだったんですよね。 アルバムのテーマも、これが自分です、種市弦です、みたいなところばっかりだったんですけど、最近この年齢になってみて、自分が音楽家として今も相変わらずやっているわけですから、自分のすることが世の中のためになるか?とか貢献出来ないか?ということも考えるようになってきて。 ---音楽で世の中に貢献することを考えていらっしゃるんですね。 それは、歌詞に託すのでしょうか? 種市:もちろん。歌詞が分かりやすいですからね。 それが20年間で一番変わったことですね。 これも最近変わったことなんですけど、ここ5年ぐらいのテーマは、僕、「削ぎ落とシンプル」って言ってるんです。 どんどんどんどんそぎおとして、必要なところだけ残していく。 昔からシンプルイズベストって好きじゃなかったんですけど、その本当の良さ、意味が分かったというか。 必要なものだけ残すことによって、それが生きる。 色もそうですよね。陰影があって、白があっての黒じゃないですか。 必要な部分だけ残して、つけ加えなくなって、というのを最近のテーマにして生きてますね。 なので、曲についても、継ぎ足すというより、シンプルにドラマティックに形作れたらいいなと思っていますね。 ---「削ぎ落とシンプル」、いい言葉ですね。種市さんの今後のご活躍、作品を楽しみにしております。 本日はどうもありがとうございました。 ◆種市弦 プロフィール: 1994年、フォーライフレコードより数枚のシングル、アルバムを発表。自身の活動の傍ら、SMAPや杏里など他アーティストへの楽曲を提供、高い評価を受ける。JAZZ、SOUL、ブラジリアンテイストのサウンドに独自の言葉使いが心地良く聴くものをスウィングさせる。 種市弦 Official Web Site http://gentaneichi.com https://twitter.com/gentaneichi74 ♪最新Live information ◆2017.1.26(thu) 「タネイチゲンライブショー 注文の多い音楽会」 池袋「鈴ん小屋」 東京都豊島区東池袋1ー47ー1庚申ビルB1F tel.03-6382-7273 開場 19:00 開演 20:00 前売り:2500円 当日:3000円 出演:種市弦、ゲスト:石井完治(ギタリスト)、杉山崇(心理学者) |