「魅惑のムード音楽」を独自のアレンジで演奏する楽団「ブラックベルベッツ」のギタリストとしておなじみの
テラシィイさん。
かつてはショコラータ、THE THRILL、東京スカパラダイスオーケストラなどに在籍し、長年第一線で活躍し続けるバンドマンであるテラシィイさんに直接お会いして、これまでの音楽人生について、そしてお酒の縁で始まった復興支援などについてもじっくりお話を伺った。


---ブラックベルベッツのサウンドは懐かしくて、昭和を思わせる選曲も素敵ですよね。アレンジもかっこいいし、聴いていて楽しいです。


テラシィイ(以下T):そうですね、隙間産業といいますか。
と言いつつ、ブルームーンカルテットとかポカスカジャンも割と似たようなことをやってますね。


---テラシィイさんは、現在はブラックベルベッツをメインに活動されてるんでしょうか。


T:そうですね。ブラックベルベッツと林田健司のEROTICAO。
ベルベッツが一番動きやすいですね。楽器車1台で、何処でも行けるんで。
デミセミクェーバーは年一回ぐらいですね。


---デミセミは聴く機会がなかったんですが、エミ・エレオノーラさんがとてもインパクトのある方ですよね。


T:彼女は最近、割と芝居にでたりしてますね。蜷川幸雄さんに気に入られてて。最近はそっちの仕事が多いかな。


---デミセミは勝井祐二さん(violin)、スティーヴ・エトウさん(perc)などもメンバーなんですよね。


T:勝ちゃんは最近はROVOで出てるよね。フェスにも出てるし。
スティーヴさんも最初からのメンバーですね。
スティーヴさんはフジロック出たことないって言ってて。僕も出たことないんですけど。でもスティーヴさん、今年は出たのかな?


---テラシィイさんは長年様々なバンドに在籍なさって、活動の幅が広いですよね。
テラシィイさんを知ったきっかけは東京スカパラダイスオーケストラですが、スカパラはどんなきっかけで参加なさったのでしょうか。


T:北原(雅彦)君が高校の同期なんですよ。高校の時は、彼は吹奏楽部にいて、僕は別の部活動やってて全然交流なかったんですけど。
大学卒業してからたまに北原君のバンドに出たりして、そのうち北原君が「スカのバンドに入るんだけどどう思う?」「いいんじゃないの?」なんて言ってて(笑)。
それがスカパラだったんですね。当時は「みんな下手でさー」なんて言ってました。管楽器ね(笑)。だってまだ、谷中(敦)君もまだ多分バリトン始めたばっかりだったし。まともに吹けたのはGAMOさんとNARGOくらいだったんじゃないかな?あと、裸足の鉄人(武内)雄平くん。

早稲田の音楽サークルにいたんですけど、そこの後輩が初代スカパラマネージャーになって。
デビュー前かな?学園祭のライブの時にギターのMARC(林昌幸)が体調崩して、代わりにやってくれない?って言われたのが最初ですね。

フランスツアーから帰ってMARCが抜けて、そのころ僕はスリルのメンバーだったんですけど、スリルの活動と平行して、サポートメンバーでしばらく関わって。
アルバムのレコーディングしたのは「PIONEERS」かな。「PIONEERS」録音してASA-CHANGが抜けていろいろ激動な頃ですね。その後(クリーンヘッド)ギムラが亡くなるとか・・・。


---アルバム「グランプリ」の頃はサントリーカクテルバーのCM「花ふぶき」で盛り上がりましたよね。永瀬正敏さんの「愛だろ、愛っ」が印象的でした。


T:「花ふぶき」の頃にギムちゃんが倒れたのかな。いろいろありましたよ。タイに行って、ひーひ(冷牟田竜之)が交通事故にあっちゃうとか。


---そしてテラシィイさんは舞台役者もやっていらっしゃるとか?


T:いや、舞台役者ってほどじゃないんですけどね。
スカパラやってた頃、東京でスカパラが公演するときにホットスタッフというイベンターでやってたんですね。ライブの時にケータリングでついててくれる子が「実は私演劇やってて一度観にきてください」と言われて、観に行ったんですよ。下北沢の小さいところで。
型にはまったお芝居っていうよりは、ハプニングが起きてもそれを喜ぶような、主催者が「ライブだ」って言い方をしていて。それが面白くて。
そしたら「一度出てみないですか?」と言われて出ました。


---楽器は持たずに?


T:楽器は持たずに。そこは後に大森(はじめ)君が出たりとか、堂島孝平くんも出てますね。今は「女王陛下」っていうユニットでやってるんですけど。主宰で脚本を書く(別渡)ミドリちゃんと、WAHAHA本舗・オホホ商会の大地輪子さんの2人でやってます。ミドリちゃんは基本女装してる人なんですけど、KABA.ちゃんと仲良くて松竹芸能に入ってて。面白い人です。


---テラシィイさんが音楽を始めたのはいつ頃からですか?


T:楽器を始めたのは遅くて、中学2年、3年ぐらい。
小学生の時一度オルガン教室連れていかれたんだけど、もうやだやだ!って号泣して辞めたので。


---強制的に行かされると嫌がるっていう子供も多いでしょうね。


T:そうですね。だめでしたね。
父親がジャズやビートルズ、カーペンターズとジャンルを問わずにレコードを買って来て家でかけてたので・・・そこら辺りからですね。


---バンド活動は高校時代からされていたのでしょうか?


T:まあ学園祭でやったぐらいですね。特に軽音楽部に入るって感じじゃなく。
大学では音楽サークルに入ってました。


---その頃はどんな感じの曲を演奏されていたんですか?


T:色々なんですけど、最初は友達がいた成蹊大学の軽音楽部で、バウ・ワウ・ワウや、サンディ&サンセッツとか。ギターが2人いてガチャガチャやってるようなバンドをやってたり。それから早稲田の音楽サークルMMTに入るんですけど、そのきっかけは北原君の妹。ドラマーで、高校の同級生の妹さんとバンドをやっていて、お姉さん経由だったかな?バンド手伝って貰えない?と声をかけられて入って。後にスリルでテナーサックスを吹く石川君達とオリジナル曲をやって。そのサークルのOBにショコラ―タがいて、後にショコラータに入るきっかけになって・・・


---それがプロになったきっかけですか?


T:そうですね、その頃ショコラ―タはギターが渋谷ヒデヒロさん、ベースを岡野ハジメさん、ドラムを矢壁アツノブさんがやっていたのですが、3人がPINKでデビューするのでバンドを抜ける事になって、僕に声が掛かってリズム隊を探す事になりました。僕は当時、近田春夫&ビブラトーンズ(注:ギターは後にパール兄弟を結成する窪田晴男さんと後のビブラストーン、men's5の岡田陽介さん、ベースが横山英規さん、後にPINKのボーカルの福岡ユタカさん、キーボードのホッピー神山さんが在籍)が大好きで、ビブラや、窪田さんと横山さんがサポートしてた平山三紀さん(注:近田さんプロデュースで「鬼が島」と言うアルバムを制作)のライヴをよく観に行っていて、ビブラ解散後、横山さんはPINKでサックスを吹いてたんですが「是非ショコラータでベースを!」と熱烈ラヴコールして、ドラムは横山さんがHAOと言うバンドで一緒にやってた棚沢雅樹さんに決まりました。アルバムのプロデューサーはムーンライダースの白井良明さん。2枚目のアルバムのプロデューサーは立花ハジメさん!お2人には頭上がんないですよね(笑)。ショコラータは色々あってすぐに活動休止しちゃったんですけどね。

それから随分(その間、ロックバンドに入ってダブリンのU2のスタジオでレコーディングしたりして、帰って来てすぐ辞めたりして・・・)経って、ショコラータが在籍してた事務所 TRA (注:カセットマガジン「TRA (https://www.youtube.com/playlist?list=PLF6932EFB80A89F28 )」 を出していた事務所でカメラマンの伊島 薫さん、イラストレーター&デザイナーのミック板谷さんが携わっていた。2人はショコラータのアートディレクションも担当)の社長だった式田 純さんに「あのさあ〜管楽器が大勢のビッグバンドでさあ、スパイ映画音楽みたいなゴージャスなのやりたいんだよね」と相談を受けたんで「あ、それならスカパラがもうやってますよ」と言ったんだけど「へえ〜?僕知らないんだよね〜」って(爆)そこからメンバー集めて行って「ザ・スリル」が始まりました。


---デミセミクェーバーはいつ頃から始まったんですか?


T:デミセミは横山さんがエミちゃんってボーカルを見つけて、ん?渋谷さんだったのかな?PINKの渋谷さんと3人で実験的な事やってたのを見に行きました。その後、スリルやってる時に横山さんに誘われたんです。で、スティーヴ・エトウさんにも声掛けて。最初に会った時「おお〜横山君!」って言ってて、スティーヴさんって見た目若いじゃないですか?横山さんより年上だとは思わなくて、何て失礼な口を利くんだっ!って思ってたんですけど、最年長でした(笑)←ベッツのともさんと同じ歳(笑)。で、最初は慣れない打ち込みでライヴをやってて煮詰まっていた頃にRittZのドラマー中 幸一郎君を連れて来てライヴやったら「なんだ、やっぱり生でやるのが楽なんぢゃん!」って言うカンジでパーッと進んで、ホッピー神山さんのゴッドマウンテンと言うレーベルからCDを出す事になるんです。

その時期は割と音楽業界バブルで、テキサスのオースティンで毎年やるイベントSXSW(サウス・バイ・サウス・ウエスト)に2回ぐらい出たりして、それに絡めてロスアンジェルス〜サンフランシスコ〜ニューヨークでライヴをしたりしてました
その頃、NYのミュージシャンと知り合って、ジョン・ルーリーのバンド「ラウンジ・リザース」のドラムのダギーバウンと現「チボ・マット」のユカの2人が関わって作った三上博史君のアルバム「ORAL」のライヴサポートに声かけてもらって、横山さんとサポートするようになって。ダギーバウンはNYのアンダーグラウンドの人ですね。アートリンゼイやマーク・リボーと一緒にやっていて、一時期そっちのほうにドップリ浸かってました。

その頃からずっとニューヨークにいて、今はブルックリンで楽器屋さんもやってる知人が居るんですが、去年の夏にベースのTOKIEちゃんや、スカパラのライヴで行ってた加藤(隆志)君がお店に来てセッションしたよって聞いて、そういや昔はこういう狭い感じ、何処かのクラブに行くと、誰かしらの知り合いが居てステージに乱入する〜みたいなカンジだったよね って言ってました。
RIZE〜ロザリオスにいたTOKIEちゃんは、富樫春生さんのバンドBOMBOCOで一緒にプレイしました。初期からのメンバーはブラックベルベッツの盟友でもある田中邦和。僕が参加した時、リズム隊はTOKIEちゃん、ドラムはグレース(沢田研二さんや佐野史郎さんのバンドやパンチの効いたブルース!と言うバンドで活動中、その前は"麝香猫"ってバンドでブイブイ言わせてたパワフルで心優しいおねいさん。)。そのうちTOKIEちゃんとグレースは辞めちゃって僕も今は離れたのだけど、くに君はずっとやってて、初期にやってた西園マリちゃん(ギター)が復帰して、今はレピッシュのTATSUがベース弾いていて・・・と、ミュージシャンの輪は拡がって繋がりますよね。


---すごいですね、日本の音楽シーンが見えてきますね!


T:そうですね。あの頃やってたのがまたこう・・・面白いですね。


---インタビュー企画の恒例なのですが、テラシィイさんにとっての「Cheer Up!ミュージック」を教えていただけますか?


T:NYやアメリカに行く時はユナイテッドエアを使うんだけど、NY空港に着く前になるとジョージ・ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」が流れるんですよ。
これを聴くとワクワクします。「さあ、これからニューヨーク!」って。

スカパラで最初にNYにレコーディング行ったのが12月だったんですが、映画で見るみたいに道路から蒸気は上がってるし、道ではニットの帽子売っててみんな帽子被ってて、「へ〜お洒落なんだなあ〜」と思ったら、ホントに寒くて耳が痛いんで帽子被ってるんだなって知ったりとか(笑)。ストリートのパフォーマーがちょっとしたアイディアですごくオリジナリティのある面白い事をやっていて、オフ・ブロードウェイの小さい舞台でも、ライヴハウスの音楽でもそうなんだけど、お金かけるんじゃなくて、アイディアとセンスであっ!と驚くこんな凄い事が出来るのか〜 う〜ん・・・NYいいなあ〜と思ったんです。


---テラシィイさんのNYへのいろんな思いが湧いてくる曲なんですね。


T:そう、アガル感じ、ワクワクする。と、言いつつ911以降、行って無いんです・・・また行きたいですね。でも今住んでる人たちに言わせると、昔の雑多な感じが随分なくなっちゃって・・・って言ってましたが。


---テラシィイさん、やはりギターは沢山持ってるんですか?


T:持ってますねー。非常にいいと言われるもの何本か。ここ一年ぐらいハマっているのはすごく安いギター。アメリカのスーパーで売ってたような入門編みたいな。ヤフオクで買ってるんですよ(笑)。
ダンエレクトロっていうメーカーで、ジミー・ペイジが使ってたりするんですけどね。
いいギターじゃないんですよ。ポコポコで、合板使ってて。それが気に入っちゃって、ヤフオクで見つける度にチェックして4本ほど集めましたね。

面白いのは、ケーブルってありますよね?ギターからアンプに繋ぐ。あれにもこだわっちゃったりするんですよ。
あれもピンからキリで、高いやつはギターより高かったりするんですよ。それがいいのか悪いのか。はんだにこだわったり。はんだが1900何十年代のはんだだ!とか。売る人は、アメリカの廃れた倉庫とかに行って、朽ちてる電話機外してその基盤から取ってくるらしいですよ。金属部の質がアポロ計画の前のほうがいい金属。戦争前のサックスのほうがいい金属使ってるとかね。
ギタリスト同士になるとこういう「だからどうなんだ?」って話を延々としてるんですよ(笑)。


---テラシィイさんは、音楽を離れたご趣味もいろいろありそうですが、どんなことがお好きなんですか?


T:スケートボードですね。やりはじめてから、パンクを聴くようになったんです。
それまではニューウエイヴは通っていたけど、ピストルズはリアルタイムでは興味が無くて聴いてなくて。
80年代のスケボブームが来て、滑り始めてからからピストルズもカルトもレッチリも(笑)聴くようになりました。

スケボーって何がいいかっていうと、(板に横に乗っていて、正面に向かっては)斜に構えてるんだけど、前に進む!っていうのが自分のポリシーと合ってて(笑)。

ここ10年ぐらいは、近所の公園のパークで滑る様になって友達が沢山出来て、何が面白いかって色んな人がいるんですよ。年齢や職業の関係無く、同じ趣味と言うだけで繋がっている・・・職人やカードライバー、料理人、デザイナー、DJにプログラマーにカメラマン、小学生から僕らみたいなOGまで(笑)。でもみんな対等に話してるのがすごく良くて。例えば、新橋で焼き鳥屋さんの職人をやってたんだけど、土日スケートしたいからと、40歳過ぎてから料理人辞めて機械工になった人がいて、をいをい!ダイジョブかいっ?って聞いたら「実は料理はそんなに好きじゃなかったし、もう歳だから、これからは好きなことやりたいじゃん!」って、それもそうだな〜と(笑)。そんな皆と「ちょっとこういうのカッコイイんじゃない?」とかワイワイ言ってるんですよ。板のチョイスとか、ウエアのセレクトとかそういうことで。その時間が楽しいですねえ。実はスケーターが1番クリエイティブなんじゃないかなって思う事もよくあります。兎に角、自分のスタイルに拘ってるんですよね。


---ここからは、テラシィイさんが参加されている東日本大震災のチャリティ活動についてお話を聞かせて下さい。まず、震災の日はどちらにいらしたんですか?


T:東京の自宅にいました。初めて経験する尋常で無い揺れ方で、もうだめだと思いましたね。
電柱も揺れてたし、このままつぶれちゃうのかなあ、って思いました。


---そうですよね・・・。自分もそう思いました。


T:震災の翌日がベルベッツのニューアルバムリリースライヴだったんです。メンバーも絶対出来ないだろう、ムリムリって言ってたんだけど、区の主催なので一応「どうでしょう?」って聞いたんです。会場の豊洲文化センターのスタッフは前日、帰宅難民の受け入れをしていて徹夜してたらしいのだけど「こういう時こそぜひやって下さい!」と言われて、停電になるかもしれないし、余震もけっこう来ていて、向かう車中でも迷いながらだったんですが、ラジオから流れるJ-WAVEで 渡辺 祐さんの言葉を聞いて勇気付けられて、さらに会場入りすると、寝ずに対応していた、目が真っ赤なスタッフ達に会って「こりゃ、やらねば!」と思いました。余震が続く中、幸い停電する事無く、照明チームは今でこそ当たり前になったLEDを用意してくれて、無事終演出来ました。僕もその時、みんなに会えてホッとしたっていうのがあって。こういう時って集まってお互いの無事を確かめて声を掛け合うだけですごく安心するんだなあって思って。

吉田類さんと知り合いになったんですよ。スカパラの川上(つよし)君とは、たまに一緒に飲んだりしてたんですけど、川上君が最初に知り合ったのかな?雑誌「古典酒場」繋がりだったかな?それで紹介してもらって、震災直後に「飲ん兵衛で出来ることないかな?」っていう話になって。飲ん兵衛は飲むことしかできないから、飲んで、被災した酒蔵とか、福島で飼い主がいなくなった動物を保護している団体などにチャリティするのはどうか?それなら出来そうだし、やろうやろう!ってことになって。類さん、祐さん、DJの須永辰緒さん、敷島親方、スカパラの川上君と大森君、スクービードゥのMOBY君、勝手にしやがれの福島さんで四谷の太平山酒蔵と言う居酒屋に集まって、決起集会をしてお揃いのジャージ作ったりして(笑)。
詳細は、吉田類さんのサイトを見てもらうと分かるんですけど。
http://sakeo.shopdb.jp/

会場の笹塚ボウルは、震災の時に帰宅難民を受け入れたり、ボーリング場なのにDJブースがあったり飲めたりする場所で。震災後、年に1〜2回飲ん兵衛イベントをやってて、吉田 類さん、雑誌「古典酒場」の編集長の倉嶋さんという女傑。司会は渡辺祐さん、レイチェル・チャンさん。いとうせいこうさん、議員の有田芳生さんなどが来てトークショーをして、みんなでボウリングして、酒造メーカーが来てお酒をみんなにふるまったりとか。そこで Tシャツを売って寄付して。DJやったり。僕と林田健司君はライブやったりとか。CKBの小野瀬雅生さんやホフディランの小宮山雄飛君も参加してます。無理をぜずに、でも長く続けて行こうと言ってます。

つい先日もハイサワーの博水社の倉庫を借りて、小野瀬さんと敷島親方などでイベントをして、その時は殺処分されちゃう動物のアピールをして。
酒の縁とかいて「酒縁(しゅえん)」と呼んでるんですよ。
笹塚ボウルでのこの間のイベントはすごい人数で!
吉田類さんの人気もあるしね。みんなビニールシートを持ってきて座ってお花見状態。かなり盛り上がりましたね。


---気を張らなくて楽しいチャリティ。すごくいいですね。
林田健司さんも「みんなの音がさね」という素晴らしい復興支援プロジェクトをされていますね。


T:そうですね。林田君はそれですごく動いてるもんね。
僕も一度林田君のイベントで福島に行ったけど、海っぺりすごかったもんね。二年前だけど。こんなに何もなくなっちゃうなんて。


---まだまだですものね・・・。いろんなことが。


T:ショコラータで一緒だった かの香織さんは「びっきの会」っていうのをやってますね。
小柴大造さん、さとう宗幸さん、遊佐未森さんがやってる会ですね。
彼女、今も造り酒屋をやってるんですよ 杜氏もかな?蔵は被害を受けてましたね。


---仙台の街では、「びっきの会」が作った復興ソング「虹を架けよう」がよく流れていて、元気をもらっています。


T:ローカルのスケーター仲間にアパレルのデザイナーが居るんですが、仙台にはウエットスーツを作るメーカー、Tシャツをプリントするメーカーが沢山あったらしくて、震災の時はその人たちが無事かどうかわからなくて心を痛めてました。で、無事だったんですよ。それでローカルに出来ることをしようよ!ってことになって。缶ビールの保温用にウエットスーツでできたカバー「クージー」って言うんですけど、それを作って売って寄付して。
今、官でなく、市民が「自分たちレベルでやろうよ!」っていうのが早いですよね。


---そうですね。自分たちの出来る範囲で応援するというのがいいですね。


T:Tシャツデザインしている仙台出身の人がいて、「東北の酒を飲もう」っていうのもやっています。


---本日は貴重なお話をたくさんありがとうございました。





テラシィイ プロフィール:

1961年生まれ。
音色系ギタリストとして、様々なギター、アンプ、エフェクターを手足にギターの枠を越えた多彩な音を作り出し、これまでショコラータ、THE THRILL、東京スカパラダイスオーケストラ等に在籍する。また 中島美嘉、藤井フミヤ、遊佐未森、ACO、三上博史、高橋幸宏、ボニーピンク、川村結花,michelleなどのレコーディング、ライブサポートを務める。東京スカパラダイスオーケストラ在籍時には通算200本以上のライブ、サウンドトラック製作、小林 旭,石川 さゆり、hide、スチャラダパー、竹中 直人との共演、レコーディング、TV番組「デカメロン」 レギュラー出演などの活動を行う。
現在、BlackVelvets、EROTICAO、デミセミクエーバーで活動中。


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