2017年に、大人のための、大人によるインストゥルメンタルバンド「Poppin'4」のリーダーとしてインタビューに応じて下さった作編曲家/キーボーディストの塚山エリコさん。今回はついに直接インタビューが実現しました。
シンガー まきみちるさんのアルバム『My Songs from New York』のNY録音のお話、そして塚山さんの音楽キャリアから塚山さんのアレンジの魅力の秘密を探る貴重なロングインタビューとなりました。
ぜひ多くの方にお読み頂きたいです。(2020年2月)

---まずは昨年リリースされて好評、シンガーまきみちるさんのニューアルバム『My Songs from New York』のお話から伺いたいと思います。
塚山さんは、このアルバムにアレンジャーとしてご参加。それだけではなく、NYでのレコーディングにも同行なさって、まきさんのサポートをされたそうですね。


塚山:みちるさんにPoppin'4のCDを差し上げたら、「エリちゃん、私もNYで録音したい」って仰ったんですよ。
そういうお気持ちなら、こういうことってトントントンと進めていかないとと思って。"思った時がやる時"なんですよね。
それでみちるさんに「やりましょう!」ってお伝えして、Poppin'4の時のチームでセッティングしたんです。
前回のレコーディング・エンジニアAkihiro Nishimuraさんが全部NYのコーディネイトをして下さって、ケニー・バロン氏との交渉もして下さって。こんなにうまく進むなんて!と思うぐらいトントンと上手くいきました。

みちるさんはもちろん以前から素晴らしいシンガー。スタジオミュージシャンという裏方だったけれど、ご本人が表に出ようというお気持ちなら全力でバックアップさせて頂こうと思ったんです。
すごくいいコンビネーションで全てが進みました。

---まきさんも、同じ女性であるエリコさんが同行ということで心強かったとのお話ですね。

塚山:私はアレンジャーなので、歌の録音で一緒にいました。歌い手さんってすごくデリケートなんですよ。私たち器楽と違って身体が楽器でもあり、メンタリティというか、ちょっとしたことで歌が明るくなったり暗くなったりするんです。
やはり現場は歌手がどれだけいい気持ちで歌えるかセッティングして差し上げるのも大事だけど、女性同士ならではのことも分かりますからね。

---NYで印象的だったエピソードはいかがですか?

塚山:私はNYに行ったばかりという感覚が残ってるから違和感なかったですね。自分が演奏するわけではないので、全体をよく見渡せてセッションがうまくいくためにはどうすればいいのかをずっと考えていました。

---ケニー・バロン氏の印象はいかがでしたか?

塚山:レジェンドなのに謙虚で気さくな方でしたよ。ウルグアイから帰ってきたばかりで疲れていらしたので、私が指圧したら「Very comfortable.Thank you,Eriko!」なんて(笑)。偉そうにしない方でした。演奏もお人柄もあったかい感じの方です。

---Poppin'4のほうは最近いかがですか?2ndアルバムも待ち遠しいです。

塚山:前回はインタビューありがとうございました。あれから2年たつんですね。
活動は年に4〜5回ぐらいPoppin'4としてやっています。あとポッピンホーンズといって、サックス奏者・平原まことさんがリーダーのブラスセクションと演奏したり、毎回ゲストをお呼びするジョイント企画もやっているんです。
フランシス・シルバさんというブラジルのパーカッショニストを呼んで9人でライブやったりもして。
Poppin'4はメンバー4人ですが、色々な方とコラボレーションしながらやっていけたらいいなと思ってます。次作も企画中ですよ。

---楽しみにしております。塚山さんご自身のリーダーライブも時々されているそうですね。

塚山:そうですね。Poppin'4以外に個人のリーダーライブもやっています。
25年ぐらい全くライブをやってない時期があったのですが、その時期は作編曲家として主にレコーディング中心の作家をしていたんです。でも2006年ぐらいから、もう一回ちゃんとジャズを勉強して演奏したいなと思うようになりました。
私はピアノを弾いてる時期のほうが長くなっているので、ピアノトリオも、オルガントリオも両方やるというのがいいバランスになっています。

---メンバーは固定なのですか?

塚山:毎回メンバーは異なります。レギュラーメンバーではなく、「この日は誰と演ろうかな?」とコーディネイトしています。
ジャズ自体が即興演奏ですし、プレイヤーさんが違うとやりとりも全然違うので毎回新鮮な感じで出来るのがジャズの魅力だと思うんです。ジャズトリオの場合は基本フィックスドではない感じでやっています。

---最近の作家活動はいかがですか。

塚山:少し前にJ-POPの曲をソロピアノで演奏するという仕事を頂いて。ベーゼンドルファーという素晴らしいピアノを使ってハイレゾ録音で10曲ほどアレンジして演奏しました。ソロピアノなのでとても緊張しましたね(笑)。

---ぜひ聴いてみたいです。塚山さんは私の人生の節目節目で電子オルガンをもう1度頑張ろう!という時期に曲集を出されていて。アレンジがあまりにかっこいいのでやる気が出るんです。やっとお目にかかれて感激しています。

塚山:ありがとうございます。電子オルガンをやめたけれど、私のアレンジ曲を聴いて再開したという人によく出会うんですよ。そういうお話を聞くとすっごく嬉しいです。そんなパワーをあげられるようなアレンジをしていたのかなと思うと。

---本当にたくさんパワーを頂きました。演奏していて気持ちがいいんですよね。ちょっと難しいけれど、練習していて飽きないんです。かっこ良く弾けるようにたくさん演奏しよう!という気持ちにさせられるアレンジですよね。

塚山:達成感があるのかもしれないですね。バンドでやりたいアレンジ曲もいっぱいありますが、もともと電子オルガン用にアレンジしているので、バンド用にうまくシフトできる場合と出来ない場合がありますね。

---バンドになるとまた色々違いますものね。そうと分かっていても、Poppin'4であの頃好きだった塚山さんのオリジナル曲、アレンジ曲をたくさん聴いてみたくなります。あの魅力的なアレンジの秘密はどこにあるんでしょうね?

塚山:自分が弾いた時に「あっ、かっこいいな」とか「楽しいな」とか、それが基準でしょうか。
もっと簡単にしたり手を抜くこともできるけれど、なにせ自分が楽しみながらアレンジしちゃっているから、自分が弾いてつまらないなと思うことはイヤなんですね。そういう意味で、私はすごいオタクだと思います。仕事と趣味の境目がない感じで仕事していますね。手を抜いて仕事したことは一回もないです。

---今日は塚山さんの音楽キャリアについてもじっくりお伺いしたいです。
塚山さんの生い立ちについては公式サイトのバイオグラフィーに詳しく書かれていて拝読しました。
お父様が米軍基地にお勤めになっていて、FENを聴いて育ったそうですね。


塚山:そうです。生まれたのは世田谷ですが、すぐ立川に引っ越して、その家で20歳まで育ちました。
父は近くの横田基地に勤めていて、うちには年中アメリカ人の兵隊さんや父の友達の外人さんが遊びに来たり、土日になるとパーティをしてました。私たちも治外法権の基地の中に入って、アメリカの文化に触れて育ったので、アメリカの音楽もアメリカ人との交流もすごく身近なものでした。父はアメリカのジャズとかロックが好きでしたね。

---お母さまのご親戚はクラシックの演奏家が多かったそうですね。

塚山:母方は芸大を出ている人が多くて。伯父はN響。祖父母も芸大を出ていました。
おばあちゃんの家に行くとプレッシャーでした。おばあちゃんの家のピアノでポピュラーを弾くとみんなに嫌な顔されました(笑)。なぜクラシックを弾かないんだ?って。
おばあちゃんはピアノを教えていたので、遊びに行くとピアノを弾かされるんですよ。指の形が悪いとか厳しかったですね。それでクラシックのレッスンが嫌いになっちゃいました(笑)。「おばあちゃんの家に行くと必ず怒られる」っていうイメージになって。
そこで小学5年から電子オルガンを習い始めたんです。

---電子オルガンに興味を持ったきっかけはいかがですか?

塚山:TV番組で女の子が電子オルガンを弾いていたんです。両手だけでなく足鍵盤も使ってクリスマスソングを弾いていて、「なんてかっこいいんだろう、私もやってみたい!」と思いました。
両親も、ポピュラー音楽もできていいんじゃないか?ということで習わせてくれたんです。

---電子オルガンは買ってもらったんですか?

塚山:買ってもらいましたね。その後、教会のハモンドオルガンが払い下げになって、それを父が買ってくれました。

---ハモンドならフルベース(足鍵盤が2オクターブ)ですね。フルベースは両足での演奏が難しいので、家に楽器がないと大変ですよね。

塚山:そうですね。それまではフルベースの練習が出来なくてコンクールにも出られなかったけど、ハモンドが来たおかげでフルベースの練習ができるようになりました。電子オルガンのコンクールやグレード試験も全部ハモンドで練習してました。
家ではコツコツと練習、電子オルガンならではの部分はレンタル室で借りて練習してましたね。

---中学3年生のときに、ドラマーの金子安延先生に習うようになったそうですね。どんなレッスンだったのですか?

塚山:金子先生はジャズミュージシャンで、リズム講座というのを教えていらっしゃいました。当時はリズム講座とか作曲講座などがあったんですよね。
電子オルガンでいきなりアドリブやってみなさいとか、いきなりこの曲をやりましょうとか。そのとき初めてメロディとコードだけ見て適当に弾いてみなさいって、即興をやるようになったんです。ちょうどジャズの勉強を始めていたから、自分のやりたいこととリンクした感じですね。

中学3年の水曜の午後は学校を早退して、金子先生のレッスンに通っていました。
学校の先生には「私はプロになりたいんです。音楽で食べていくから、学校よりこっちのほうが大事。この時間しかやっていないし、大人にまじってレッスンを受けたいから早退させて下さい」って言ったらOKしてくれたんです。

---中学3年でその覚悟とは凄いですね。その時期にはジミー・スミスの曲を完コピして弾いていらしたとか。

塚山:ハマってましたね〜。何曲コピーしただろう?
ジミー・スミスは一曲のアドリブが長いんです。それを聴いては書いて、聴いては書いてというのを繰り返して。でもそのおかげで耳や音感が鍛えられました。耳で聴いて手で書くという作業をやるのと、人から与えられたそのままを学習するのとでは違うと思いますね。
頭脳だけではなく、自分の身体を使っていかないと自分の身体に入っていかないと思います。

---それは音楽のみならず多くのことに共通して大事なことと感じますね・・・。
演奏研究会というのにも入っていらしたそうですね。


塚山:はい。金子先生が中心になって教えていらして、さっきのリズム講座を拡大した感じですね。
演奏研究会は、コンクールで入賞できるレベルじゃないと入れないんですよ。そこにはライバルが沢山いて、みんなの前で弾かされたり。いい意味でみんなで競い合うというか、刺激し合っていましたね。

電子オルガンを全く知らない外部のミュージシャン、例えばシンセサイザーの演奏家や作曲家の方々が私たちの演奏を批評して下さる機会もあって、電子オルガンの先生に習うのとはまた違う角度からサジェスチョンしてもらえました。
一般のアレンジのことを随分外部の先生から教わりましたね。電子オルガンとは違う一般の音楽を教わり、それをどうやって電子オルガンにシフトするか、リンクさせていくか?を随分教わりました。

---そうやってどんどん実力をつけていった塚山さん。プロデビューの経緯について教えて頂けますか?

塚山:演奏研究会にいた頃に、倍賞千恵子さんのコンサートツアーのバンドのオーディションに受かったんです。八木正生さんという有名なジャズピアニストのバンドでした。私はその頃ジミー・スミスにハマってましたから、八木さんの前で「枯葉」を弾いたら「いいんじゃない?」って合格しました。まだ高校3年でしたね。
そのツアーメンバーがスタジオミュージシャンの大御所ばかり。そこで初めてバンドというものに参加したんです。

---そのときのお気持ちはいかがでしたか?

塚山:まだ子供だったからついていくのに精いっぱいで、初めての社会勉強みたいな感じでした。
前田憲男さんのバンドで尾崎紀代彦さんのコンサートにも参加したり・・・若い時に貴重な経験をさせて頂いて、もしかしたらこのままプロとしてやっていけるのかな?と思いつつありました。
その後、電子オルガンの演奏グレード2級(注:超難関!)に受かって、その後TVやラジオのお仕事もさせて頂くようになりました。

---塚山さんといえば、やはり「ラブアタック」を思い出します。日曜の午前中に家族そろって楽しみに観ていたTV番組です。(注:男の子たちが「かぐや姫」のハートをGETするため競い合う恋愛バラエティ番組。番組後半では男の子たちがかぐや姫にアピールするために歌を披露する)

塚山:あれは6年ぐらいやってましたね。司会は横山ノックさん、上岡龍太郎さん、和田アキ子さん。週に2回大阪に通って2本録りだったんです。
勉強になったのは、番組後半で電子オルガンで歌の伴奏をするんですが、当日の朝まで演奏する曲が分からないんですよ。曲が分かると電話がかかってきて、それから朝日放送の資料室に行ってその曲を全部耳コピするんです。1時間ぐらいの間に8曲も!
メロディーとコードを拾って、スタジオに入って。知ってる曲ならすぐ出来るけれど、知らない曲は困りましたね。でもレコード室で全部聴いて覚えて演奏していました。

---私がよく覚えてるのは、「演奏は塚山エリコさんです」って司会者が紹介すると、塚山さんが画面に向かってニコッと微笑むところですね。素敵なお姉さんがかっこ良く演奏してる!って憧れてましたけど、その裏ではすごい努力をされてたんですね。

塚山:あの頃は今にして思えば、音楽的なところより"番組の花"みたいな、CMの前にカメラ向けられるとちょっと笑ったりとか、そういう面も求められてましたよね。
それも音楽以外の世界はどんなものなのか、芸能界でいい社会勉強をさせてもらいました。

---TVでは他にはどんな番組に出ていらしたのでしょうか?

塚山:牧伸二さんや、メジャーになる前のツービートが出ていらした「大正テレビ寄席」。休憩コーナーで演奏したり、CMの前にポロンと弾いてニコッと笑ったりしてました。
あとはNHKが多かったですね。18:55からの5分番組「テレビガイド」という番組紹介の生放送があって、時計を見ながら番組のテーマを演奏したり、秒針を見ながらエンディングを弾いて、番組終わる1秒前に弾き終わるっていうのを毎回やってました。

---離れ業ですね!あの頃は電子オルガンがTVで使われる機会も多かったように思います。

塚山:19歳から25歳ぐらいまでは、ほとんどTVとラジオのお仕事、それに電子オルガンのコンクールのゲスト演奏で全国を回っていました。

---その後、キーボーディストへとシフトするきっかけは大野雄二さんとの出会いだったそうですね。

塚山:そうですね。もっと本格的にジャズやフュージョンのライブをやりたいという気持ちがあり、大野先生に相談したり、大野先生とも懇意にしていらした松田昌さんの「ベアーズ」というバンドに参加してピアノやシンセを弾くようになって。
お二人のおかげで今があると思うので、すごく感謝しています。

---そして作編曲家としてスタジオ・ワークをされるようになり、現在に至るまで実に沢山の作曲・編曲をなさっていまよね。

塚山:プロのアレンジャーになってからは子供の曲とかいろんな依頼がくるんですよね。そこから随分フュージョン以外のことを勉強しました。日本の歌謡曲、海外の歌モノ。歌のアレンジはアレンジの基本なので、歌の曲のアナライズを随分しましたね。
ベースがどんなことをやってるか、ドラムがどんなことをやってるか、ストリングスがどんなことをやってるか。全部の曲をバラバラにしていくと一つのセオリーというか定石みたいなのが見えてきて、「なるほど、こうやっていくといいアレンジができるんだな」と分かってくるんです。

最終的には知識はあとからでもいくらでも勉強できると思うんですよ。
でもセンスとか感覚、フィーリング、個性は勉強じゃないですよね。音楽だけじゃなくて、きれいな絵を見ること、きれいな景色を見る、映画を観る、旅に行く、美味しいものを食べる・・・日常にいっぱいあふれてると思うんです。それが全部音楽として出てきていると思うので、音楽だけやっててもだめだと、今の歳になるとやっとそういうことが分かります。

---沁みますね。心に留めたい言葉を頂きました。
今回塚山さんにせっかくお会いできたので、プライベートについてもお伺いしたいです。例えば趣味はいかがですか?


塚山:音楽が趣味であり仕事だったので、他の趣味がないんですよね。
でも、最近は時間ができたので英会話を習いに行っています。
父は仕事柄英語がペラペラ話せたのに、私はアメリカに憧れていながらも全然しゃべれなくて(笑)。

22年前、そして2年前にNYに行った時、英語ができないとせっかくアメリカにいてもつまらないということに気付いたんです。
なぜかというと、コミュニケーション出来ないから。観光ではなく現地の人と交流したいからNYに行っているのに、英語ができないとダメなんだと気づきました。英会話は昔から習いたかったけど、ずっと忙しくて。でもやっと時間ができたので毎週一回自分の夢だった英会話を習いに行っています。
昨年NYに行った時には少しはマシにコミュニケーション出来るようになったことがすごく嬉しくて。
それにリンクして海外ドラマも好きなんです。

---どんなドラマをご覧になっていますか?

塚山:「ブラックリスト」「ホームランド」「グッドワイフ」などのドラマを字幕無し、吹き替え無しで観てます。
あとはCNNを字幕無しで観たり、家の中で常に英語が流れているような状態にしてます。

---徹底していますね!

塚山:ドラマや映画が一番日常会話が分かりやすくて実用的で、勉強っぽくないんですよ。

---このWEBマガジン恒例の質問ですが、最近の塚山さんのCheer Up!ミュージックを伺えますか?
元気が出る、気持ちがアガるといった意味合いなら、私は塚山さんのオリジナル曲「オレンジ・サンシャイン」が大好きで、学生時代から落ち込むと自分で弾いて気持ちを明るいほうに持っていこうとしていました。


塚山:そうですね、私たちは音楽が仕事になっているから、元気を出したい時に音楽を聴くと逆にもっと悲しくなることもありますが・・・。
私はMr.Bob Jamesがずっと大好きで、Facebookでもお友達になって頂いています。彼が時々ポロッといい言葉を書いてくれるんです。
先日は「ストレートだけじゃなく、時にはカーブが投げられてくることもある。でも、打てなくても降り続けなきゃいけないんだよ」って。それを読んだ途端、ダーッと涙が出ちゃって。
80歳になるレジェンドでも悩みがあるというか・・・それはご自身に向けての言葉でもあったと思うんですよ。
人生にはカーブのこともあるけど、そこで辞めないでバッティングし続けなきゃいけないんだよという言葉を見た時に元気が出ました。
電子オルガンの曲集でアレンジしたり憧れていたボブさんとFacebookフレンドになって頂いて、直接やりとりできるなんてミラクルです。ボブさんが頑張っていると思うと、私も頑張れます。

---今後の展望について伺えますか?

塚山:力の続く限り音楽をやっていきたいということと、その為には身体を調整することです。
長く音楽をやっていると、どうしてもモチベーションの維持が難しいんですね。ベテランになってくると「やりたい!」と沸き起こる気持ちがなくなってきます。いつも新鮮な気持ちで音楽をやるためにはどうしたらいいか?と考えています。
まきみちるさん、Mr.Bob James、私の先輩たちがあんなに頑張っているんだったら、私ももっともっと頑張らなきゃいけない。彼らからエネルギーを頂いています。

---本日はお会いできて、お話をたくさん伺えて、私も塚山さんからエネルギーを頂きました。どうもありがとうございました。




◆プロフィール

塚山エリコ(Eriko Tsukayama)
作編曲家 Keyboards: Organ,Piano,Epf, Others

東京世田谷生まれ。音楽家として活動していた祖父母や伯父、叔母の影響で幼少よりピアノを弾き始め、高校在学中にプロ・プレイヤーとしてデビュー。コンサートでは前田憲男、大野雄二、八木正生らと共演。テレビでは大阪朝日放送「ラブ・アタック」、テレビ朝日「Tonight」、NHK「NHKガイド」テレビ東京「おはようスタジオ」等にプレイヤーとして出演、ステージ、ライブ、ラジオ番組などでも活躍。1983年には、Bassに高水健司、ギター杉本喜代志などを迎え「New Love Sounds」(東芝EMI)アルバムリリース。1987年頃よりスタジオ・ワークを中心に作曲家、編曲家としても活動開始,現在に至る 。アーティストやインストルメンタルのアルバム制作、プロデュース、ドラマ、映画、ミュージカルの音楽制作、CM等、マルチな才能を発揮している.主な作品は、中森明菜「Bon voyage」、ゲーム音楽「ときめきメモリアルSound Collection」,「タカラトミー」社名ロゴCM音楽、TBS『中居正広の金スマ』,ドラマ「銀座まんまんなか」等、多数。これまでに作・編曲した楽曲は数千曲に及ぶ。1998年には自身のオリジナル曲を収録したCDアルバム「Melody Of Healing」をリリース。また、2006年頃よりJazz Pianist,Organistとしてライブ活動を再開。自己のピアノ・トリオ、オルガン・カルテットの他に、2015年に結成された新プロジェクト・バンド「Poppin’4」リーダーとして、長年のスタジオワークにおけるDrumsの渡嘉敷祐一や、Guitar土方隆行、Bassコモブチ キイチロウと共に活動開始。2017年,塚山の集大成とも言えるアルバム「Poppin’4 /Made In Manhattan」を、ニューヨークの名門アバター・スタジオにてレコーディングを果たした。

塚山エリコ Official WebSite
http://eriko-tsukayama.com
Twitter
https://twitter.com/erikotsukayama

Poppin'4 Official Website
http://poppin4.com/
Poppin'4 Twitter
https://twitter.com/poppin_4
Poppin'4 Facebook
https://www.facebook.com/poppin4/


♪最新Live情報

POPPIN'4 結成5周年記念ライブシリーズ

2020年3月4日 川口:ショックオン
2020年4月22日 調布:さくらんぼ(スペシャルゲスト:まきみちる)
2020年5月30日 市川:Cooljojo
2020年6月29日 横浜:Hey JOE






<Cheer Up!関連リンク>

まきみちる『My Songs from New York』インタビュー(2019年)
http://www.cheerup777.com/makimichiru.html

特集:Poppin'4『Made In Manhattan』塚山エリコインタビュー(2017年)
http://www.cheerup777.com/poppin1.html



(C)2009-2020 Cheer Up! Project All rights reserved.