当WEBマガジン"Cheer Up!"では、Cheer Up!ミュージックをテーマに多数の音楽を取り上げてきた。Cheer Up!といえば元気が出る、気分がアガる、そんなワクワクする音楽を真っ先に想い浮かべるが、声高に励まそうとはせず静かにそばに寄り添ってくれる音楽もまたCheer Up!という形の一つなのだと思わせてくれることもある。そんな音楽のひとつを今回はご紹介したい。
最近結成されたバンド吉田和史×夜窓の1stアルバム『ルーザーズ』だ。
シンガーソングライターの吉田和史さんは、新宿のバーやイベント中心に都会で打ち捨てられた人々の孤独や悲哀を歌っており、「うつむき系のカリスマ」と呼ばれている。映像が目に浮かぶような歌詞、多彩なサウンド、不思議な魅力を放っているこのアルバム『ルーザーズ』について、吉田さんにじっくりお伺いした。(2018年1月)


---今回のアルバム『ルーザーズ』は、吉田さんが2016年に結成した4人編成のバンド「吉田和史×夜窓(ヨシダカズシ・ト・ヤソウ)」としての1stリリースですね。
このバンドの結成の経緯は下記サイトで読むことが出来ます。
https://note.mu/kazknee/n/n90bfafeb33a8
吉田さんにとってのこのバンドの存在、そしてメンバーのお人柄などご紹介頂けたらと思います。


吉田:夜窓はこれまで書き溜めてきた楽曲をポピュラー音楽として完成させる目的で結成したバンドでした。
アルバムが一つの終着点だと思っていたので、そのための逆算でバンドの運営や音作りも考えていました。場当たり的な活動は一切せず、収益性を重視したライブやレコーディングに向けたサウンド作りに注力してきました。バンドのグループLINEはそれらの計画やアイデアで埋め尽くされています。リハーサルよりもミーティングをすることが多く、バンドというよりは目標達成に向けたプロジェクトチームという感じでした。

メンバーの人柄について言えば、みな変わり者です。よくひとつのグループとしてやっていけているな、と。
ただ、真面目で浮ついたところがなく、面白くもストイックな活動が出来たのは、そんな彼らの資質のおかげだと思っています。

ベースの前濱雄介は、性格的にあまりタブーがなく、とりあえず試してみるという姿勢。音楽理論と機械に強く、夜窓の活動の他にもジャズバンドに参加したり、実験的なノイズ音楽を手掛けたりとユニークな活動をしています。そうした柔軟さが、思いもよらぬライブ企画や変わったアレンジを生み出すことがあります。

ドラムの高木佑輔は、映画や文学など音楽以外にも関心のレンジが広く、さらに最近判明したことですが、なんでも世界人口の上位2%に入る高IQの持ち主とのことで、そういった人しか入れない団体の会員でもあるそうです。掘ったらまだまだ何か出てきそうな変り種。バンドではフリージャズ仕込みのフレージングで凡庸に陥らないアレンジを加えてくれています。

サックスの冨岡峻佑は、メンバー中で最もポピュラリティを持ち合わせている男だと思っています。サウンドがマニアックになりそうなところを、彼のポップス感覚がうまくかわしている。演劇の役者もしているのでライブでの魅せ方が上手く、曲の雰囲気をつかむのも早いです。タイトル曲『ルーザーズ』のミュージックビデオにも出演しているので、そちらもぜひ観てほしいと思います。





---『ルーザーズ』に収録の楽曲を聴くと、様々な映像が頭に浮かんでくるのですが、作詞はどのようにされているのですか?
物語を紡ぐようにするのか、パッと閃くのか、実体験をもとにしているのか・・・。
詞先、曲先どちらが多いか、楽曲を作るのは速いほうかについても伺えますでしょうか。


吉田:まず作詞ですが、大前提として大きな感情の揺さぶりが起こった時にしか生まれません。現実には処理できない心の矛盾や葛藤ですね。「ままならなさ」が創作の原点だと思っています。
感情の揺さぶりがひとつの世界をイメージ作り、そこからは具体的な映画のシーンを思い描くようにして物語をつないでゆく。最初はとても近視眼的で生々しい歌詞になりがちなので、何度も推敲しながら、具象を抽象に置き換えたり情景描写を加えたりして歌詞に「寄り」「引き」を作ります。ほとんど映像編集のような理屈です。そして、最後に響きの美しい母音に言葉を寄せるようにして完成型を決めていく。
一瞬で歌詞が浮かぶこともありますが、手を加えずにOKにすることはありません。詞作には長い時間をかけています。

曲作りで言えば、詞よりも曲が先です。ギターで納得のいく和声の響きを得ることから曲作りは始まります。なんとなく夜中を想起させる音であるとか、ほとんど直感です。ただ不思議なことに、歌詞のイメージが決まっていないと、せっかく得られた和声もそこから展開していくことはまずありません。詞のイメージとピッタリはまる和声が得られた時にだけ曲が生まれるようです。

曲を書くスピードはかなりまちまちです。2013年からの三年間で30曲ほど続けて書きましたが、2017年からはアルバムのリリース準備で気分のモードが切り替わってしまい、ほとんど書いていません。曲単位でも二時間で書き上げたものもあれば、半年かかったものもあります。スイッチが入れば早い、といったところでしょうか。


---アルバムをリリースしてから、何か変化(周囲でも、ご自身の中でも)はありましたか?
吉田さんのWEB上の文章に「アンダーグラウンドからの脱却」そして「純然たる音楽的なアルバムを製作しようという企図」という言葉があり、とても心に残りました。


吉田:まだ周囲の変化を感じられるほどリリースから時間が経っていないので、いまはアルバムの行方を見守っている感じです。
ただ、レコーディングからジャケット製作、プレスのための資金調達、MV製作を始めとしたプロモーションなど、リリースにまつわる全てを自分たちの手で行ったことは大きな変化でした。今回ほど「自分たちの音楽を今より多くのひとに届けるにはどうするべきか」ということに向き合った時期はありません。

アンダーグラウンドと表現することが適切か分かりませんが、これまで私はどちらかといえば暗い嗜好の一部の人たちに語りかけるような音楽をしてきました。ひとりで弾き語りを始めてからの二年半ほどの間です。しかし、それは良くも悪くも世界観に共感できることが試される音楽でした。より多くのひとに聴いてもらうために新しい話法が必要だと感じていました。そこで、楽曲が持つ本来のメロディと和声の良さを前面に押し出したいと考えたのです。バンドサウンドで楽曲をポピュラー音楽に再構築することが求められました。純然たる音楽的なアルバムの製作というのは、語りかける「歌」から聴かせる「サウンド」への変化を意味しています。その変化が正しかったのか、結論が出るのはもう少し先になるでしょう。


---サウンド面については、メンバーとセッションしながらアレンジするような形態だったのでしょうか?

吉田:リハーサルセッションで大まかなアレンジを作っていきました。各パートのフレーズも基本的にはメンバーが発案したものです。ただし、アルバムでは全11曲を飽きずに聴かせられる仕上がりを求めていたので、レコーディング時に再びアレンジを調整していきました。使う楽器を選び直し、各楽器が出すべき雰囲気というものを細かくディレクションしました。
さらに、今回のアルバムではジャズ、クラシック、ノイズなどのミュージシャンもゲストで10名ほど参加していたので、彼らの演奏が入ることを想定してバンド側のアレンジを引き算していくこともありました。最終的には半年に及ぶレコーディングで全体が構築されていったという感じです。


---『ルーザーズ』はどんな人に聴いてほしいと思われますか?
全体に寂しいですよね。昼間より夜に聴きたくなります。寂しさ、孤独、虚しさ、切なさ、哀しさ、繊細なことば選び・・・。吉田さんがこれらのことばを届けたい人はどんな人たちなんだろう?と思いました。


吉田:簡単に言えば、前向きになれない人たち。その原因が本人にあっても、感情移入できるほどの善人でなくてもいい。理由は問いません。捻くれ者なので自分はオルタナティブな存在でありたいんです。それは映像をやっていた昔も音楽をやっている今も全然変わっていません。誰も肩を持たない奴にこそ肩入れしたい。けれど、肯定もしない。肯定も否定せずに「このままでいいのか」と内側から問い続ける音楽でありたいと思っています。


---ここからはアルバムの曲をピックアップしてお伺いします。

◆2.円山町ラプソディ
---ドラマや映像が眼に浮かぶような切ない曲で、寂しい男女の姿が描かれ、アルバム全体を象徴するような感じを受けました。後半リズムが盛り上がるところにグッときました。

吉田:比較的新しい曲で、ジャズバンド編成を目論んだ夜窓を代表する曲です。後半にスイングするけれど、突き抜けた明るさはなく少し翳りがある。恋人のようで実際には違う男女のアンビバレンスな感情を音像化したいと思いました。アルバムの大きな柱として、孤独な男女が恋に落ち、傷つけ合いながら夜の街に溺れていくというプロットを描きました。「円山町ラプソディ」はその導入の曲と位置付けています。

◆7.愚か者の黄金
---自分が昔、首都圏で働いていた時に時折感じた虚しさを思い出しました。吉田さんはいまも虚しいようなお気持ちを感じることが多いのですか?

吉田:15年近く新宿のバーで過ごしてきて、狂った夜の生活は散々見てきたし経験もしてきました。それがどうしようもなく虚しい時期もありました。「愚か者の黄金」はそんな頃の新宿ゴールデン街のスケッチです。酒場で自身を戯曲化しながら生きる人々の姿を描きました。そういう夜にはもう飽きましたね。

◆8.勝手に呑まれろ/人生
---女性Vocal 松浦湊さんとのデュオが味わい深いですね。松浦さんはどんな方なのですか?

吉田:松浦湊さんはお会いする前から個性的な曲を書くソングライターとして尊敬していましたが、今では下町の酒場で語り合う、よき飲み友だちでもあります。なので、ぜひスナックでデュエットするような曲を一緒にやってみたいと思い「勝手に呑まれろ/人生」を共作しました。すぐに曲のイメージが浮かびましたね。酒好きで破天荒、だけど繊細な面もある湊さんとだからこそ書けた曲です。

---吉田さんの楽曲を他のアーティストが歌ったらどんな感じだろう?と思いました。もう既に曲提供などされているのですか?また楽曲提供もしていきたいというお気持ちはありますか?

吉田:楽曲提供については考えたりもしますが、おそらくはやらないでしょう。感情が揺さぶられる経験が曲を書く必要条件なので、職人的に書くのは向いてないんです。カヴァーしてくれるのは大歓迎ですが。

◆10.飛ばない鳥
---深い歌詞に共感・・・。自分の境遇と照らし合わせながら聴く方も多いのではと思いました。

吉田:新宿ゴールデン街なんかの盛り場には少し変わった若い女の子が年ごとにたくさんやってきます。遊びに来たりアルバイトをしに来たりと理由は様々ですが、時折そういう子たちの話に耳を傾けてきました。個人的に話せば辛いエピソードなんかも出てくる。中には絶望的な話もあって、そんな時は返せる言葉がないんです。青山真治監督の映画『ユリイカ』で役所広司が連続殺人犯の少年に「生きろとは言わん。死なんでくれ」と叫ぶシーンがありますが、心情的には矛盾した感覚です。だけど、そんなことくらいしか言葉にならない。「飛ばない鳥」は、確からしい答えはないけれど死なないでくれ、という気持ちで書きました。頑張れなんて言えないですよ。

◆11.ルーザーズ
---吉田さんの声は音域広くて、声の表情も豊かですよね。
このルーザーズでは、声のやさしさで聴く人をなぐさめている面もあるのではないかと思いました。
吉田さんに人生相談する人も多そう!と勝手に思ってしまいました。


吉田:話を聞くくらいならできますが、人生の解決策は何も持っていませんのでお役には立てないでしょう。声が慰みになるなら越したことはありませんが。日常も音楽もそんなスタンスです。

---吉田さんにとって、都会とは?東京とは?

吉田:ドライだからこそ自由でいられる場所。
その代償としての孤独。
どう折り合いをつけるのかはその人次第。

---「うつむき系のカリスマ」と呼ばれることについてどのようにお感じになっていますか?

吉田:新宿御苑近くのバーの店主が言い始めて、常連の間では冗談みたいになっていますが、あながち的外れでもない言葉だなと思っています。前向きになれない人=うつむき系であれば、そういう人たちに向けた音楽だとも言えますし、実際に「うつむく」という歌詞が自分の曲には多いことにも気づきました。定義づけられることを嫌うアーティストもいますが、どちらかと言うと好意的に受け止めています。カリスマは言い過ぎですけど。


---ここからは、吉田さんの音楽の経歴についてお伺いしたいです。
いつ頃から音楽というものを意識して聴かれるようになったのでしょう?


吉田:音楽を聴きはじめたのは遅く、高校生の終わり頃からでした。その反動でしょうか、大学生になってから貪るように色々なジャンルの音楽を聴きはじめました。元々は目に見えない音楽にお金を払うこと自体が理解できなかった。人は変わるものですね。

---学生時代はどんな音楽を聴いていましたか?

吉田:ビートルズから始まって英国・米国のロックをたくさん聴きました。スミスとレディオヘッドには特に熱中していましたね。大学生の頃はHMVやヴァージンメガストアなど大型輸入CDショップが全盛の時代でしたので、名盤と帯に書かれている洋楽CDを片っ端から購入していました。聴けば聴くほどこれまで知らなかった音楽と出会うことができたので、当時は新鮮な刺激で溢れていました。好きな傾向の音楽を聴き続けるのも良いですが、当時の体験からやはり音楽、特にロックは感受性の強い若い人のためにあるものだと思っています。自分の音楽もそういうものになれたらという想いはあります。

---作詞作曲はいつごろから始めましたか?

吉田:18〜19歳くらいからだったと思います。4トラックのテープMTRを手に入れてから本格的に曲をたくさん作り始めました。その後、デジタルの10トラックMTRを購入して、打ち込みドラムやシンセサイザーなどに手を出した時期もあります。27歳くらいまでに未完成のものも合わせて200曲、完成したもので80曲は作ったでしょうか。だけど、わずかな友人を除いてほとんど発表したことはありませんでした。創作自体は好きでも、誰かに聴いてほしいという欲はあまりなかったんですね。

---影響を受けたアーティストや音楽ジャンルはありますか?

吉田:ベースには洋楽ロックの影響があります。一方でクラシックギター独奏をしていたので、クラシック音楽やワールドミュージックにも親しみがありました。30代になってバーに通い出してからは店で流れている昭和のアンダーグラウンド歌謡やジャズ、アシッドフォークと呼ばれるものに接近していきました。大型CDショップでは仕入れることが出来ない音楽だったので新鮮でした。こうした嗜好の変遷を経て、今の自分のスタイルは形作られたのだと思っています。

---吉田さんのプライベートについてもお伺いしたいです。たとえばお好きな本や映画などありましたら教えて頂けますか?

吉田:社会心理学とか現代思想とか、若い頃は小難しい本を色々と読みました。生きている世界をどのように解釈するのか、ということに興味がありましたから。文学だと夏目漱石、三島由紀夫などが好きでした。太宰治にゆかりのあるバーなんかに通っていた時期もありますが、太宰はそれほど好きではありませんでした。あとは取材の仕事でその時々の関連する本をたくさん読みましたね。

映画は、映画学校に通っていた頃は毎日のように観ていました。ほとんど勉強のためという側面が強かったですが。監督で挙げると、スタンリー・キューブリック、マーティン・スコセッシ、大島渚、是枝裕和、青山真治などの作品が好きでした。特に、都会の孤独を描いたスコセッシ監督のアメリカン・ニューシネマ『タクシードライバー』には大きな衝撃を覚えました。今回の「ルーザーズ」のアルバムコンセプトは多分にその影響を受けています。

---自由な時間ができた時はどんなことをされていますか?

吉田:酒場で居合わせた誰かと話すこと。二度と会わないかもしれないし、再び会えればそれはインスタントな友人です。酒場はまさに、さよならだけが人生。であれば、居合わせたその一瞬だけでも孤独を忘れて楽しく過ごせたらと思っています。

---このWEBマガジンの恒例企画なのですが、吉田さんにとってのCheer Up!ミュージックを教えて頂けますか?

吉田:キース・ジャレットの『The Melody at Night, with You』。
慢性疲労症候群から復帰したキース・ジャレットが1999年に発表した「スタンダード・ピアノ・ソロ」を収めたアルバムです。悲しみの中にも温かみのある演奏で、人生最良の時を思い出させてくれる、秋の夜に聴きたくなる一枚。拙作「絵具」はこのアルバムの収録曲『My Wild Irish Rose』からインスピレーションを得て製作されました。個人的にとても思い入れのある作品です。

『The Melody at Night, with You』Keith Jarrett




---今後の展望や「吉田和史×夜窓」についてどんなことをしていきたいかなど教えて頂けますか?

吉田:最初に話したように、夜窓はこれまでのソロで書き溜めた楽曲をポピュラー音楽として完成させるために結成したバンドでした。なので、アルバムという形でこの目的を果たした今、夜窓は新たな存在意義を獲得しなければならない時期に差し掛かっています。バンドによる曲作り、ピアノを取り入れた新たなアンサンブルなど、考えられる選択肢はいくつかあります。いずれにしてもソロとは異なる、バンドならではの存在感を独自に示していくことが大切だと思っています。

ソロで言えば、新たな曲作りをそろそろ始めようかと考えています。バンド活動のプロモーションとは一線を引いて、心の在り様に逆らわずに身の丈にあった歌を書いていく。その原点にもう一度立ち返りたいですね。


---どうもありがとうございました。これからの夜窓、そして吉田さんの作り出す歌の世界を楽しみにしております。




『ルーザーズ』吉田和史×夜窓

1.ニジンスキーの森
2.円山町ラプソディ
3.夜間避行
4.絵具
5.火曜日の夜
6.いつか来た道
7.愚か者の黄金
8.勝手に呑まれろ/人生
9.暗いよろこび
10.飛ばない鳥
11.ルーザーズ


発売日:2017年11月15日
定価:2,500円(税抜)
レーベル:Boccie Records
規格番号:BCR-0001


◆吉田和史プロフィール:



シンガーソングライター。90年代後半よりポップス/ロックを中心としたオリジナル楽曲を作り始め、約8年間で200曲ほどのデモ音源を制作するが、発表することはなくライブ活動も一切行わなかった。00年代後半には音楽から離れてドキュメンタリー映画製作やテレビの報道番組のディレクターとして活動。しかし、その傍らで新宿のバーによく出入りし、客のリクエストに応じてギターを爪弾くことがしばしばあった。期間にして約10年。行きつけの酒場では知る人ぞ知るアンダーグラウンドの音楽に多く触れ、こうした経験が翳りのある新たな音楽性の獲得へと繋がってゆく。
再び音楽を始める端緒となったのは2013年10月、懇意にしていた文壇バーのマダムからお店でのライブを依頼されたことだった。それは早川義夫や森田童子など古い日本のカヴァー曲を中心としたライブであったが、その時に初めてオリジナル曲を人前で発表している。これをきっかけに2014年3月からソロ弾き語りで本格的にライブ活動を開始。ポエトリーリーディングのオープンマイクや歌舞伎町雑居ビルの地下イベントなどで歌い始める。楽曲の多くが都会で打ち捨てられた人々の孤独や悲哀を歌ったものであったため、一部では“うつむき系のカリスマ”と呼ばれて評判を呼ぶようになる。中でも普遍的なメロディを持つバラードの『絵具』は多くの人々に好意的に受け入れられた。
2015年までに二枚のソロアルバム音源をバーで自主録音。2016年にサックスなどを配したジャズ編成のバンド“ 吉田和史×夜窓” を結成してからは初のスタジオレコーディングにも取り組み、2017年10月に1st album『ルーザーズ』を完成させた。なお、2017年4月にはこれまでのポエトリー界隈での活動が評価され、詩人・谷川俊太郎のトリビュートライブに出演。9月には初ライブで楽曲をカヴァーした早川義夫本人との共演も果たしている。


◆吉田和史×夜窓 プロフィール:



(左から):B.前濱雄介 Sax.冨岡峻佑 Vo.G.吉田和史 Dr.高木佑輔

シンガーソングライターの吉田和史が2016年に結成した4人編成のバンド。同年9月に1st single『円山町ラプソディE.P.』を、2017年11月に1st full album『ルーザーズ』をリリース。


吉田和史×夜窓 オフィシャルサイト
http://artist.aremond.net/kazknee




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