打楽器奏者として活躍著しい會田瑞樹さん。6月にセカンドアルバム『ヴィブラフォンのあるところ』をリリースされた。作曲家の薮田翔一氏、湯浅譲二氏などによるヴィブラフォンのための作品はヴィブラフォンという楽器の魅力や可能性に驚かされる曲ばかりで聴きどころ満載だ。 仙台のご出身で、この8月には仙台にてリサイタルが開催される。 リサイタルを前に帰省なさった會田さんに、アルバムのこと、リサイタルのこと、音楽人生に至るまでたっぷりお話を伺った。 また今回のインタビューには、Cheer Up!みやぎコーディネーターの指揮者 畠山渉も同席して充実した音楽対談となった。會田さんの演奏動画と共にぜひじっくりお楽しみ頂きたい。(2017年6月)
<前編> <後編>
---まずは6月7日リリースのニューアルバム『ヴィブラフォンのあるところ』についてお伺いします。 先日、薮田翔一さんの《Gush 〜Concerto for Vibraphone and Orchestra〜》を初演されたばかりですが、このアルバムには薮田さんのまた別の作品《Billow 2》が収録されているんですね。 會田:はい、《Billow 2》は独奏の作品ですね。 《Gush》のほうはヴィブラフォンとオーケストラのための協奏曲です。 Billow Ⅱ (作曲:薮田翔一) Vibraphone concerto「Gush ~Concerto for Vibraphone and Orchestra~」(作曲:薮田翔一) ---《Gush》の動画を拝見すると、一曲の間に何度もマレットの使い分けをされていて驚きました。 會田:そうですね。一曲の間に何回も替えることもあります。曲によっても変わるので毎回の荷物がマレットだけでスーツケース2個分ぐらいになりますね。100本ぐらい持っていきます。 畠山:何本で1組ですか? 會田:基本、2本1組ですね。4本持つ時は2組使うということです。 ---6本持つ方こともあるのでしょうか? 會田:僕は4本バチですね。ヴィブラフォンですと3オクターブと音域が広くないので、4本バチで間に合っていますね。 ---マリンバを演奏される時は6本ですか? 會田:いや、僕はマリンバの時もあまり6本バチは使いませんね。これは個人差があると思いますが、僕は6本バチはあまり可動がいいと思わないので、4本バチでやっていますね。 あと2本バチを駆使するというのもとても大事だと思っていて。 ヴィブラフォンはジャズ由来の楽器なわけですけど・・・。MJQのミルト・ジャクソン、大好きなヴィブラフォン奏者なんですけど、彼は終生2本バチで演奏し続けていたはずです。 今年、演奏活動を引退すると宣言したゲイリー・バートン、彼がおそらく4本バチを積極的に使い始めたJAZZジャズヴァイビストの一人だと思います。 そういう意味ではJAZZの歴史からも勉強になることが多いですね。 ---ジャズではどのあたりを聴かれますか? 會田:今の話に出たミルト・ジャクソンは大好きだし、ドラムはアート・ブレイキーが本当に好きですね。 本当にこのあたりは勉強になるんですよね。《チュニジアの夜》とかかっこ良くて。 セッションによっても雰囲気が違うのもまたいいですよね。同じ曲でも随分感じが違うなあと思って。そういうところにやっぱり音楽が息づいている。ものすごく勉強になります。 ---1stアルバム『with...』で《ヴィブラフォン独奏のための三章》を書かれた水野修孝さんも幅広い音楽を作曲されていますが、ジャズの曲も作っていらっしゃるそうですね。 會田:水野修孝先生は1970年代にジャズの演奏家と組んで多くのジャズオーケストラのための作品を作曲されました。この《ヴィブラフォン独奏のための三章》は完全にジャズのイディオムがベースになっています。水野先生のそういう作品からもかなり勉強になっていますね。 ---そしてこのニューアルバム『ヴィブラフォンのあるところ』は、前半後半5曲ずつChapterに分かれているんですね。第一章、第二章ということで趣旨を変えているのでしょうか? 會田:そうですね。趣は変わっていると思います。 ChapterⅠの"軌跡"というのは、音がどこに向かっていくか、というような5曲なんですね。 "軌跡"というのは英語でlocusっていうんですけど、5曲目が湯浅譲二先生の《ヴァイブ・ローカス》とう曲で、ヴィブラフォンが描く音の軌跡を示していて。 聴きどころとしては、一見、すごく音が散り散りになっているようなんですけども、作品ごとにどこか一点に集約していく、ゴールを目指しているというような感覚で聴いて頂けると楽しめるんじゃないかと思ってます。 ChapterⅡに入ると、"超越"っていうのは、ほとんどヴィブラフォンを聴いているのか、ヴィブラフォンっていうイメージが壊れていくというか、"こんなこと出来たんですか?"みたいな、どこからこんな音出してるんだろうみたいな、そういうのがかなり多いので、この5曲からそういうものを感じて頂けるんじゃないかなと思い、"超越"と名付けております。 ---2曲目の《Luci serene e chiare》は、後期ルネサンスの作曲家カルロ・ジェズアルドの声楽曲を白藤淳一さんがヴィブラフォンの為に編曲なさったのですね。5声部の声楽曲をヴィブラフォンソロで!という発想に驚きました。これは白藤さんのアイディアですか? 會田:白藤淳一さんとは薮田さんの紹介で出会ったのですが、クラシック音楽への確かな眼差しを持たれている作曲家でもあります。 編曲は、作曲とはまた違って「原曲」があるわけなのですが、深いセンスを問われるものです。 僕も白藤さんもジェズアルドへの興味があり、お互いにヴィブラフォンで出来たら面白いだろうと意見が一致し、此の度の編曲を手がけてくださいました。 ---アルバムの最後は、フランスの作曲家マラン・マレの《夢見る人》を會田さんが編曲。 美しくちょっと寂しく切ない曲ですね。この曲との出会いのきっかけは? 會田さんは編曲なさる時に心がけていることはありますか? 會田:マラン・マレは太陽王ルイ14世にも仕えた音楽家です。国王の庇護のもと、実験的な試みも含めてかなり現代の感覚に近い作曲を手がけていた希有な人物でもあります。何百年も前に生きていた作曲家なのに、とても斬新です。 この作品は真夜中に眠れない日があり、Youtubeでネットサーフィンをしていました。その時に偶然この作品を知り、刹那的な旋律に魅せられたのでした。 編曲は奏者の仕事としても重要な側面の一つだと思っています。ヴィヴァルディなど、バロック期の作品をこれからどんどん編曲していきたいと考えています。やはり、ヴィブラフォンから原曲とは異なる「未聴感」ある編曲が出来るように心がけたいと考えています。 畠山:このアルバムでは、特殊な奏法をしている曲もありますか? 會田:いっぱいありますね。オリジナルなバチを作ってくれと言われたり。 作者がヴィブラフォンを爪で引っ掻いたような音を出したいというので、東急ハンズに行って、ほうきとビーズを買ってきて、1個1個付けて。これは6曲目の《Wolverine》という曲ですね。 爪のジャッ!という音のイメージ。音で表現されていて。 7曲目の《color song Ⅳ》というのは"anti vibrant"というサブタイトルが付いてまして。 vibrantは華やかさだったり輝きというヴィブラフォンの持つ個性に対してアンチって書いてますから、それを拒否するようなイメージ。 畠山:それをあえてヴィブラフォンでやるんですか(笑)。 會田:それをヴィブラフォンでやるわけですね(笑)。 冒頭から音盤を拳で叩いたり、爪や関節などを使って表現しています。 マレットも叩くのではなくて、こする。 まったく、不思議な感覚になることうけあいです。 畠山:打楽器をヴァイオリンの弓でボーイングしたりスーパーボールでこすったりするとかよく聞きますけど、爪っていうのは面白いですね。 ---3曲目の《Music for Vibraphone》(作曲:渡辺俊哉)では、後半ビリビリしたようなノイズにドキッとしたのですが、どうやってこの音を出してるんだろう?と思いました。 またポルタメントというのでしょうか、音程が変わったりしてる箇所もありますよね。 會田:このノイズは「紙」を干渉させています。実に独特のサウンドになりますよね。 ポルタメントも多用しています。音の変化に耳を傾けていくと、浮遊しているような感覚になるのではないでしょうか。 ---打楽器もいろいろな特殊奏法があるんですね。銅鑼をマレットでこする奏法もありますものね。以前、吹奏楽コンクールで《メトセラⅡ》を自由曲でやった時に銅鑼をマレットでこする奏法をやったことがありますが、女の人の声みたいな不思議な音が出てビックリしました。 會田:田中賢先生の曲ですね。僕も《紅炎の鳥》って曲を演奏したことあります。 田中賢さんで思い出したんですが、田中賢さんには僕の師匠の吉原すみれ先生が新作を委嘱してるんですよね。《Echo from South》という曲で、CDも出ています。 田中さんと、すみれ先生のやり取りの中で、すみれ先生が銅鑼をこすったりとか色んな打楽器の奏法を教えたみたいなんです。 その後何年かしてメトセラが出てきた時、すみれ先生が「私が教えたこと全部うまいこと使ったって思った」って仰ってましたね(笑)。 ---會田さんの師匠である吉原すみれさんは、一時期TVにもよく出ていらした著名なパーカッショニストですね。會田さんからみて、どんな方ですか? 會田:僕にとっては憧れの先生でもあるし、先生から教わったことが現在に繋がっていますね。 音に対して厳しく執着されるというか、一音一音紡いでいくことの大切さだったり、作曲家の様々な楽譜の中にある細やかなニュアンスとか、フォルテなのか、フォルテシモなのか。そういう細かなところまで、見落としそうになるところまで厳しく教えて頂いたことは今も自分に生きています。 ---會田さんが武蔵野音大にいらした時に出会われたのでしょうか。 會田:そうですね。僕は元々中学生の時にすみれ先生のCDに出会って、自分はソロの打楽器奏者になりたいと思うようになりました。 武蔵野音大で、すみれ先生が教鞭をとられていることを知った時に、やっぱりこの大学に行くしかないな!と思い、そういう経緯で入学しました。 吉原すみれさん 東京音楽祭スペシャルパフォーマンスゲストとしての演奏(1988) ---吉原すみれさんのご主人は打楽器奏者の山口恭範さんですね。山口さんに教わったりもしていたのでしょうか? 會田:山口先生に教わることはなかったのですが、一緒に飲んだり、やはりご夫婦の共演も多いので舞台裏に手伝いに行ったり。そうすると、どんな楽器を使っているかとか、どんなバチを使っているかとか、スーパーボール奏法にしてもスーパーボールが10種類以上あったりするんですよね。 細部にまでこだわったりしているのは勉強させて頂いてますね。 ---吉原すみれさん、山口恭範さん共に武満徹さんの曲を演奏なさったり、親交も深かったそうですね。武満さんの思い出話なども聞かれましたか? 會田:相当ありましたね。武満さんの曲を演るときはものすごく厳しくて、一度《雨の樹》という曲を演奏したことがあるんですけど、恐ろしいほどの細部までの音へのこだわり。武満さんの物腰というんでしょうか、口調だったり喋る単語だったりに、すみれ先生たちは影響を受けたと仰っていました。 畠山:武満さんの曲は「楽譜」という感じがしませんよね。 會田:そうですよね。ちょっと絵画作品みたいなところがありますね。 畠山:以前、武満さんのオーケストラのスコアを勉強したことがありますが、まず段数が凄い。いろんなパートがあったりして。 それに、1拍目、2拍目とかそういう概念じゃなくて、進んでいってくという感じが凄い完璧だなと思って。 指揮者にとっては本当に難しい(笑)。 會田:山口先生は《ムナーリ・バイ・ムナーリ》という曲をよく演奏されていて、あれは完全に切り絵の絵本というか、世の中には確か3冊しかないのかな?ブルーノ・ムナーリという美術家の絵を武満さんが切り貼りして、絵の色彩から音を生み出していきなさいという。武満さん自らが書き込んだ暗示的な言葉もいくつか書いてあります。やはり武満さんの音楽っていうのは、ちょっと詩人的な要素が強いんだろうなあって僕は思いました。 まだまだ恐れ多くて手を出せないので、まあ何年かした後に取り組むことになるのだろうか?と自分の中で思っていて。ちょっと時間がかかるなあというのが本音です。 僕自身が様々な経験をしなきゃいけないし、作品を演っていかなきゃいけないなあって思います。 ---會田さんは、マリンバ奏者の神谷百子さんにも師事されていたそうですね。 神谷さんはどんな方ですか? 會田:神谷先生は本当に気さくな人なんですけど、マリンバの前にガッと立った時の鋭い集中力だったり、音の出し方というものをものすごく教えて下さって。 2時間ぐらい1音だけを叩き続けたこともありました。そういうレッスンを受けたことがありますね。曲をやるんじゃなくて、何かの曲の冒頭部分だけで2時間ぐらいずーっと稽古つけてもらったことがあって、とても勉強になりましたね。 あれが無かったら、今のヴィブラフォンの音の出し方とかストロークというんですかね、奏法的なものに対してちゃんと目を向けられなかったんじゃないかと思ってます。 すごくチャーミングな方なんですけど、ひとたびレッスンになるとものすごくしっかり教えて下さったので・・・。 大学に入ってから吉原先生と神谷先生のお2人に習えたことが僕にとっての土台になっています。 ---打楽器は設置が大変ですよね。防音しない限りご自宅には置けないでしょうし、どのような場所で練習されているのですか? 會田:音出し可能なアパートに住んでいるんです。 アパートといっても7.5畳で、そこに5オクターブのマリンバと、3オクターブのヴィブラフォンを並べていて、その下で寝ています(笑)。 ---それは凄いですね! 會田:ものすごく狭い場所で暮らしてます。ある意味、音楽室で寝てるような状態ですね。 常に音楽を考えていられるし、セッティングが上手くなりましたね。狭いところで組み立てるわけですから。楽器は自分の手の届く範囲にしか置くことが出来ないから。 大学には大きい部屋があるからついつい雑然と組んでしまいがちなんですけど、かえって今は狭いところで工夫するようになりましたね。 ---會田さんは、ヴィブラフォンとマリンバの演奏が多いイメージがありますが、他の打楽器も一通りされるわけですよね。 會田:そうですね。スネアドラムのソロにも力を入れていますね。 昨年、演奏家仲間とフランスに行ってきたんですけど、その時はスネアドラムのソロの曲をフランスの街でやって、それは凄く評判が良かったですね。日本的なリズムを西洋の感じでミックスしたような作品だったんですが、皆さん、すごく集中して聴かれていたのが印象的で。 スネア一台の魅力というのもこれから掘り出していきたいと思っています。 ---1日の練習時間も相当な量なのでしょうね。 會田:あまり考えてないです(笑)。とことん、やれる限りはやりますね。 ただ自分の調子もあるから、身体と相談しながらというのが大事だと思います。 SPANDA for metalic percussion solo(作曲:山内雅弘) ---初演作品を演奏する機会が多いことでのプレッシャーについてはいかがですか? 會田:初演するというのは、大体作曲家も立ち会われていて、皆さんそれぞれご自分の思い入れを込めて作曲されているので、そういうものを一つ一つ音にしていく責任というものは重大ですよね。 その作品がより良く音楽として立ち上がる為に演奏家は不断の努力を重ねるしかないと思っているので・・・やっぱり頑張らなくてはいけないと思いますよね。 これは演奏家の使命だと思います。 でもそれは、ベートーヴェンを演るにしても、今生きている作曲家を演るにしても同じことだと思うので。演奏家というのは楽譜から何を読み解いていくかっていうことが本当に大事だと思っています。 畠山:作曲家が生きているというのは、奏者にとってすごく幸せなことだと思うんですよ。 リハーサルの中で実際に作曲家に聴いてもらう機会というのがありますよね。 そういった時に「僕はこういう風な想いがあって」とか解釈を聞いた時に、會田さんの演奏と作曲家の想いのところで食い違うこともあると思います。 そういう時に、どういう風に初演まですり合わせていくんですか? 會田:初演の時は僕は作曲家の言うことをきくようにしていて、2回目以降からだんだん僕の方にもちょっとすり寄らせていきながら最終的にいい部分にたどり着くまで、最低でも3回は演奏しないとダメだと思っています。 まだ3回に達していない曲が沢山あるんで、やらなきゃいけないこと沢山あるんですけど・・・。 いろんな方と話していて思うのは、やっぱりある意味作曲家というのも自分の子供のような存在である作品を自分から切り離していくまでっていう時間が結構かかるらしいんです。 自立して親離れしていく状態にまで持っていくには、演奏家がかなり理解して演奏して、それは解釈の部分でのすり合わせはもちろんのことなんですけども、本当に僕らの身体の中に入れ込んでしまうぐらいに演奏するってことは相当大事なんじゃないかな。 それが"始まり"なんだろうなって思います。 畠山:僕がモーツァルトやベートーヴェンなどクラシックの楽譜を勉強する時にいつも言われるのは、「作曲家の意図をくみ取りなさい」っていうことなんですけど、初演をされる方々というのは、そういうチャンスに恵まれているから、羨ましいなあってシンプルに思いました。 會田:結局モーツァルトもそれでいろいろな演奏方法が出てきたわけだから、そういう意味ではいまモーツァルトが生きていたら、自分の作った曲が演奏されているのを聴いてびっくりするのかもしれないし、喜ぶのかもしれないし、分かんないですけど・・・ 畠山:會田さんが演奏された後に、作曲家が楽譜に書き加えるとか、そういうことはあるんですか? 會田:ああ、そういうことはしばしばあります。 畠山:作曲家もちょっと初演の時は不安だったり? 會田:不安もあるし高揚感もあるし様々でしょうね。 音楽って生のものなのでいろいろなことが起きるじゃないですか。そこからまた何が紡げるだろうか?っていう。 一回演ることでまた見えてくるものがあるのは大きいと思うんですよね。 だから僕は、「演った。おしまい」っていうんじゃなくて、初日が出ると、これからじゃあどうしていこうかな?って思うんで、こういうところが出来なかったから、こういうことが出来るんじゃないかなあとか、あるいは作曲家もここの音は書き替えようってなると、僕はそれはいいことだと思ったり、あるいは「いや、そのままでいいでしょう?」って言ったり。 そうやってすり合わせていくことがとても大事なことなんじゃないかなと思ってます。 笑い話ですけど、初演の時は、作曲家が3日前に書き上げるなんてことも中にはあるんです(笑)。 そうすると3日で弾けっていうのは、やってやれないことはないんですけど、こっちの方も理解してないじゃないですか。 3カ月前に渡された曲と3日前に出来た曲なら、3日前に出来た曲は"止まらないで演奏出来て良かったね"みたいになってしまいます。 でも、それでも大事なのは、音になったことによって、作曲家も気付くこともあるし、演奏家も一回初日を出すことで次の自分が何が出来るだろう?みたいなことを考えることが出来るから、やっぱり演奏家は場数を踏んでなんぼみたいなところがあるように思っていて、"現場100回"っていうんでしょうか?そういうのが一番大事なんじゃないかなと思ってますね。 ---納得です。 會田:徒然草にも同じようなことが書いてあって。「能をつかんとする人」(注:徒然草第150段)って題目の部分なんですけど、とにかく下手でもいいから舞台に上がれ、そうしているうちに上手くなっていくから、って兼好法師が書いてるのを高校の時に読んで「ああ、いい言葉だな」ってすごく思ったんですよね。 じゃあ、俺もそうしようって思って。 ちょっと下手でもとにかく何度も舞台に立って、そしり笑われたりすることにはビクビクしないで、舞台に立ち続けるといつの間にかそういうものがつかめるようになってると思うよ、みたいな文章だったんです。 畠山:いい言葉! 會田:それを肝に命じよう、とずっと考えながら舞台に立っているという感じですね。 ---数々の作曲家の作品を演奏されているわけですが委嘱作品がかなりの数ですよね。 會田:委嘱は60曲ぐらいで、初演している曲が140曲ぐらいになっていると思います。 僕からお願いしている曲もあるけれども、作曲家の方からやろうよと言って下さる曲も半分以上ありますね。お互いに共同作業し合っていくということなのかな、と思っています。 ---ご高齢の作曲家との交流も多いですよね。何か印象的なエピソードなどあればお聞かせ頂けますか? 會田:例えば湯浅譲二先生は今回のCDに入っている曲を書いて下さったのが2015年ですが、例によって1週間前に完成しました(笑)。 徹夜で書いたというので、朝に電車に乗って譜面を取りに行きました。 そんなこともありましたし、それもさっきお話した通り初日を出してから何度も演奏して、こうしてCD収録にまでこぎつけたというのが一つのいい例だと思っています。 間宮芳生先生も、立ち合い稽古の時に奥様と一緒に聴いて下さったり、本当に得難い経験だなあと思っています。 年長の先生の様々な経験・・・戦争を経て音楽家として身を立てて行くまでとか、一つ一つの経験談は、僕お酒大好きなんで一緒に飲んだりするといろんなお話が勉強になってますね。 ---若手作曲家では薮田翔一さんの曲を演奏されることが多いのですね。薮田さんはどんな方ですか? 會田:そうですね。最近薮田さんとの仕事がものすごく多いです。 もう8曲ぐらいご一緒してるのかな? 飄々としているんですよね。せかせかもしてるんですけど、なんとなく何かに追われているようにバタバタしている方でもあります。 写真の撮影もお好きで、本番の時にもちろん立ち会って聴いても下さっているんですが、いつの間にか僕の写真を撮ってるんですよね。CDやリサイタルのチラシにもその写真を使っています。 こだわって撮られていて・・・そういう意味でもアーティストだなあと思いますね。 いろんなことが出来て多彩な人で、すごく尊敬しています。 撮影:薮田翔一 Vibraphone solo『祈りの森』より回想曲(作曲:薮田翔一) ⇒後編に続く |