Hiro Yamanakaインタビュー セシル・モンローの思い出 ニール・スタルネイカーの思い出 セシル・モンロー Cecil Calvin Monroe 1955年8月25日 NY生まれ。ドラマー。 音楽好きの家族に囲まれ育ち、14才でドラムを始める。姉からはRock,R&B,FUSIONなどの影響を受ける。両親からはJAZZを体で感じることを教わった。弟のRon(Rondew Monroe)は後にプロのベーシストになりNYで活躍。 一人で練習することが多かったが、時々ハーレムのジャズモビールでフレデリック・ウェイツ等から教えを受けた。 1978年に来日し、以後日本を拠点に活躍。鈴木良雄(Bass)、浅川マキ(Vo)、越智順子(Vo)、伊藤君子(Vo)、土岐英史(Sax)、本田竹廣(Piano)、近藤等則(Trumpet)など数多くのミュージシャンと共演。様々なユニットやアルバムに多数参加。下町を愛し、すみだジャズフェスティバルにも出演。 2006年初のリーダー作『KICKIN IT』(規格品番:DDCJ-1003)リリース。ボーナストラック以外は全て自身のオリジナルで、RAP,JAZZ,FUNK,ROCKなど様々な要素を取り入れ、長年の経験と彼の持つ多様な音楽性を存分に発揮した作品になっている。 2011年8月27日、千葉県館山で海の事故により逝去。 (※CDは廃盤ですがApple MusicやAmazon Music等のサブスクリプションで聴くことができます) (※Hiro Yamanaka氏からの情報とネットに残っている情報を元に編集部で作成したプロフィールです) セシルさんの思い出を、ゆかりのある方々から寄せて頂きました。 鈴木 良雄 / 秋山 一将 / 大石 学 / 河原 秀夫 / 高瀬 裕 / 布川 俊樹 / 堀越 昭宏 / 古川 初穂 / Yuki Arimasa / 鈴木 良雄(ベーシスト)セシルは優しいスウィートな人。 音は美しく澄んでいてグルーヴは深くて重い。 大好きなドラマーです。 NYから帰って来てあるコンサートを聴きに行き、そこでセシルを聴き楽屋に行ってすぐに俺のバンドに入ってくれないかと頼んだ。 喜んですぐにOKしてくれ、20年以上の永きに渡り共に音楽を造り続けた。 Matsuri、East Bounceや海野雅威とのトリオのCDや一緒に造った沢山のCDがある。 もしセシルが天国に行かなかったら今でも一緒に演奏していると思う。 鈴木 良雄 Official Website https://chin-suzuki.com/ 秋山 一将(ギタリスト)セシルはラブ&ピースの人。 とにかく優しくて繊細、日本人よりも日本人らしい程の奥ゆかしさがありました。 その反面、アメリカ人らしく、イエスノーがはっきりしていましたね。 日本に来た当時を知る先輩によると、「自分はプロではない。決して上手くはない」と言っていたそうですが、勉強して腕に磨きをかけていったのだと思います。 家が近かったので、よく行き来しては朝まで飲み明かしました。 話の内容ですか?音楽の話もしたけれど、それ以外のほうが多かったかな。ジョークのセンスがぴったり合うから、一緒にいて楽しかった。 あの日・・・隅田川花火大会を一緒に観たいと、家族を連れてうちに遊びに来る予定だったのですが、前日に「子供が海に遊びに行きたがっているから、花火大会のほうはキャンセルさせてくれ」と電話がきました。それが彼と話した最後になってしまいました。 この動画は、僕とセシルと清水興とのトリオ「BackseatGentlemen」の演奏です。 セシルのパワフルで、尚且つ繊細なドラミングを聴いてみて下さい。 秋山 一将 Official Website http://www7a.biglobe.ne.jp/~encore/akiyama/ 大石 学(ピアニスト)セシルとは20年以上たくさんのバンド&ライブや録音をしてきました。 今でもセシルがいたら、いいなぁと思う事があります♪ 2011年8月25日。 亡くなる2日前に広島で仕事終わりにやつと、黒霧島を飲んでいました(笑)。最後の言葉が「大石ありがとう」でした。 その日が誕生日だったのをあとから知りました! セシルさんのドラム&ラップを聴ける『Hey Mr. DJ』アオキ マミ&大石学トリオ 大石 学 Official Website https://www.cd-v.net/ohishi/ YouTubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UC__PbRIzdjqBjz51DiIhsEQ 河原 秀夫(ベーシスト)セシルを一言で言えばクール! 内側に熱い物を持ちながら表は冷静。 性格は優しくてちょっとシャイだけど音楽に関してはとても熱い気持ちを持っていて、余計な事を叩かずここぞという所で自分を出す。 共演者にとってとても頼りになり一緒にやってて楽しい人でした。 セシルが一時期何年かニューヨークに帰って、また日本に戻ってきた時に言ってた言葉で印象に残ってるものがあります。 日本で演奏してるとみんなお互いに合わせるけど、ニューヨークではみんなどれだけ離れられるかという所で演奏してる。 なるほどなと思いました。僕もニューヨークに住んでた事がありますが、それが演奏のスリルやスピード感につながるんだなぁと思いました。 海での事故で突然いなくなってしまい、多くのミュージシャンがものすごいショックを受けましたが、彼のあの美しいサウンドはみんなの心の中にずっと残ってると思います。 河原 秀夫 Official Website http://hideokawahara.com/ 高瀬 裕(Jazz Bass Player)セシルと初めて共演したのは、伊藤君子さんの名古屋での仕事だったと思います。先輩ピアニストに色々ダメ出しされていた私を励ましてくれたのを覚えています。。セシルのドラムと同じですね。大きなリズムの器に乗っけていただくような感覚。 亡くなってから暫く経ちますが、こうして音源が世に出る事を嬉しく思います。 高瀬 裕 Official Website http://www.takasehiroshi.com/ YouTubeチャンネル https://www.youtube.com/user/takasehiroshiinfo 布川 俊樹(ギタリスト)セシルの柔らかいグルーヴ感とミュージシャンシップ溢れる温かいプレイは最高にやりやすく、彼とプレイするときはとても自由な気分になれた。 布川 俊樹 Official Website https://toshikinunokawa.jimdofree.com/ 布川 俊樹 JAZZ CHANNEL https://www.youtube.com/user/toshnuno 堀越 昭宏(キーボーディスト/元エスカレーターズ)セシルと僕の最初の共演は、DJ高宮永徹氏のユニットLittle Big Beeがジャズ・ファンク近辺のミュージシャンを集めてレコーディングした曲『Sunshine』だったと思う。この曲に参加したのは僕、セシルの他には、佐藤タイジ氏(ギタリスト/シアターブルック)、isao osada 氏(トランペッター/クラブイベント afrontier オーガナイザー)など、今にして思えば壮々たるメンツだったが、当時はみな若く駆け出しだった。この曲は僕のデビューバンド、エスカレーターズのファーストレコーディングだった『Togetherness』 とともに、クラブ・ジャズ・コンピレーション・アルバム『Jazz Powers』に収録されたが、このときドラムとキーボードは別日にレコーディングされたため、僕とセシルはまだ会っていない。 実際にセシルと会えたのは、エスカレーターズがより強いグルーヴを求めて、黒人ドラマーたちとライブやレコーディングを始めたときに、その一人として彼を呼んだときだったと思う。アルバム『tribe』に収められたボーカル曲『小さくお願い』と僕作曲のインスト曲『Kowloon Odyssey』はセシルによるドラミングの曲だが、両トラックともに他のファンク系の黒人ドラマーたちとは一味違う、ジャズドラマーの彼ならではのプレイが収められている。 覚えているのは、ある冬の遠征ライブで、セシルが「タラスカタラスカスットントン!」と、一つ間違えばドリフの番組に出てきそうなフィルをやって(笑)、あとで録音を聞いてリーダーでベーシストの川西くんと「セシルすごいことやるなぁ」と笑いあったこと。もちろんアメリカ黒人のセシルは日本のコントなど知らなかっただろうし、一瞬のことだったのでオーディエンスには普通にカッコよく聞こえていたはずなのだが、このことは日米文化の差みたいなものを考えるいいキッカケになったような気がする。 あとは、グルーヴについて話し合うのがエスカレーターズの常であったのだが、その中の一つにいくら重く聞こえてもドラムは他の楽器より後ろに行ってはいけないのではないかというのがあって、セシルに聞いてみたら(以下彼との会話は8割英語)「そうだよ。ドラムがアタックで、他の楽器がサステインだから」と明確に答えてくれたこと。 また、エスカレーターズとは別に、僕は当時からアコースティックなジャズをちゃんとやろうと思っていて、セシルに電話してデモ録りをお願いしたときに、当時デビューしたばかりのエリカ・バドゥの話になって、僕が「彼女の声ってビリー・ホリデイに似てると思うんだよねぇ」と言ったら「オレもそう思ってた!」とすぐ返ってきて気が合ったこと。で、そのデモ録りの日に新宿のひなびた小さなスタジオに呼んだら「これぞジャーズ(jazz) !って感じだね」と言ってニヤッとしたこと。アメリカでもそうなのかな?と思ったが、彼が言うのだからきっとそうなのだろう。それはそれで夢も希望もない話なのだが。いや夢も希望も可能性も、音楽の発展性という意味ではたくさんあるわけだが。 ヒップホップ系もやりたいと言う彼に招かれて、郊外の自宅マンションに行ったこともある。中にトレーニングマシンや自転車がおいてあるオシャレな部屋だった。 その後、やはり彼はジャズの世界に戻っていき、エスカレーターズはバート・アダムスという別の黒人ドラマーと行動をともにすることになった。 彼に参加してもらった僕のジャズのデモ音源は、当時の僕のインプロヴィゼイションの出来を僕自身がまだ肯定できず、数カ所に渡した程度で終わってしまって、ずっと彼に申し訳なく思っていた。エスカレーターズのディレクター小川氏が「堀さん、ソロ出してもいいよ。でもジャズなの?今(日本)コロムビアにジャズのレーベルないんだよね」と言っていて僕はとても落胆したのだが、きっとまだ時期が来ていなかったということなのかもしれない。 数年たって、彼の訃報を聞いたときは心底驚いて、とても悲しく思ったのは言うまでもない。信じられなく、現実感がなかったが、もう二度と一緒に音を出せないと思うととても辛かった。 いま僕は、光栄にも黒人ミュージシャンのグリニス・マーティンやアージー・ファインなどに認めてもらい、一緒にプレイさせてもらっている。いまの僕のウデが当時あったなら、セシルとのデモ音源をもっと拡めていけたのに。 『Kowloon Odyssey』での、僕のアウト気味なワウ・クラビに反応する彼の鋭いフィルインと、「ジャーズ!」と言っていたときの彼の笑顔が、今はただまぶしい。あのときより堀越はずいぶん弾けるようになったよ。 頑張るから天国から見ていてくれよ、セシル。 堀越 昭宏 Official Website http://xsjazz.com YouTubeチャンネル https://www.youtube.com/user/xsjazz 古川 初穂(ピアニスト)セシルと2004年の秋、ベースの佐藤慎一くんのレコーディングで一緒にニューヨークに行きました。昨日の事のように思い出します。 彼にとっては里帰りでもあり、空港で出迎えてくれたお父さん、とっても嬉しそうでした。 車で我々のホテルまで送ってくれたのですが、日頃物静かなセシルが能弁だった事を覚えています。 30年以上前、とあるスタジオで会ったのが初対面で、その後もちょこちょこライブでご一緒しましたが、いつ会っても「ハ〜イ!」とあの人懐っこい笑顔で声をかけてくれる本当に優しい人でした。 ごきげんなグルーヴをありがとう!!! 古川 初穂 Official Website https://hatsuhofurukawa.com/ 写真提供:古川初穂さん Yuki Arimasa(ピアニスト)セシルは一緒に演奏すると、いつも心に”Peace”があるのを感じる人でした。 Yuki Arimasa Official Website http://www.yukiarimasa.com/?lang=ja YouTubeチャンネル https://www.youtube.com/user/kabigonbanzaai |