Hiro Yamanakaインタビュー セシル・モンローの思い出 ニール・スタルネイカーの思い出 



ニール・スタルネイカー Neil Stalnaker
1959年生まれ。アメリカ ウェストバージニア出身。
12歳からトランペットを始める。バークリー音楽大学に学び、ワシントンDCを拠点に音楽活動を開始、海軍のセレモニーバンドやコモドアーズのトランペットソリスト等幅広く活躍。
NYでの活動を経て1998年来日し、日本を拠点に活動開始。数多くのアーティストと共演、伊東たけし、小柳ゆき、松山千春、クリヤマコトなどのアルバムに多数参加。
洗足学園音楽大学講師として、トランペットやアンサンブルなど後進の指導にも当たる。
喉頭癌と長く闘いながらも精力的に活動。2020年6月逝去。
画家としても沢山の作品を描き、それらはインスタグラムや彼のサイトで観ることが出来る。
(※Hiro Yamanaka氏からの情報とネットの情報を元に編集部で作成したプロフィールです)

bandcamp
https://neilstalnaker.bandcamp.com/
Instagram
https://www.instagram.com/neil007_improvisations/
ALMO Studio
https://www.almo-studio.com/


ニールさんの思い出を、ゆかりのある方々からお寄せ頂きました。

AYAKI / Brent Nussey / Johnny Todd / Satoko Matsuyama / 冨川政嗣


AYAKI(ピアニスト&キーボーディスト)

『共演を通じて頂いた音楽の贈り物』

私がNeilさんと初めてお会いしたのは8年前。目黒でのスタジオレコーディングの時でした。
喉頭癌で長時間の演奏が難しいとの事。その時、初めてTpの音色を聴いた時、そんな事は微塵も感じさせず、、何というか、言葉に表す事が難しい、何とも言えない衝動にかられたのを今でも鮮明に憶えています。
その時のセッションからまさか、2015年にリリースのDuoアルバム「Reflections」に話が繋がって行く事になろうとは、当時は夢にも想っておりませんでした。
レコーディングは休憩を何回か挟み、とにかく体調を考慮しながら行っていきましたが、それでも最後まで演奏しきっていたNeilさんのお姿は、、崇高というか、、未だにその時に受けた衝撃が忘れられません。。!

その後、不定期ではありましたが、実際に何回かNeilさんのグループのライブに演奏させて頂き、共演時に常に「Ayaki! You have a beautiful sounds, so just relax!!」と、、闘病中であるにも関わらず、優しく声をかけて下さり、、その頃は私自身、音楽的にも精神的にもほとんど余裕がなかったと言う事もあり、非常に嬉しかったのと、「こうして一日一日を大切に生きようと頑張っている人がいるんだな〜、自分ももっと頑張らなくては!!」っと逆に励まされました!

共演を通じて音楽家として一番大切なものは何かを改めて見つめ直し、より深くCreativeに音を探求して行こうと想う様になりました。

Neilさんの想い描く世界観、奏でる音やアプローチの一つ一つが、常に人に対して温かいNeilさんそのものを表現している、、そう改めて感じました。

すぐ側でそういった事を見て聴いて感じる事が出来たのは本当に幸せで、自分にとってかけがえのない宝物です!
Neilさんから頂いた『音の贈り物』、これからも大切にしていきたいです。

AYAKI
2020.12.15


『Reflections』Neil Stalnaker & Ayaki Saito

AYAKI Official Website
http://ayakingkey.com/


Brent Nussey(ベーシスト)

私がニールに最初に出会ったのは、日本に移住して間もない1998年の阿佐ヶ谷ジャズフェスティバルだった。
私たちはそれぞれ別のバンドで演奏していた。彼の演奏は独特なもので、静かでメロディック、そしてたっぷり間をとっていた。しかしマイルス・デイビスやチェット・ベイカーのコピーのようには聞こえず、彼自身のサウンドだった。

その数年後、私たちは週6回、同じギグで一緒に演奏するようになっていた。その時に彼のことをよく知るようになり、彼が喉の癌を患っていたことを知った。米国ウェストバージニア州の医師は、二度とトランペットを演奏することはできないと彼に伝えたそうだ。しかし彼は耳を貸さず、演奏を続ける方法を模索した。そして、あまり高度な技術を必要としない新しい演奏スタイルを創りあげた。また、癌治療の副作用で唾液が出なくなっていたため、常に大きなグラス一杯の水を持ち歩いていた。

癌を患って以来、彼は音楽を演奏することが最も大切な事だと心に決めた。そしてニューヨークに移り住み、その後来日した。
2011年、彼の癌は再発した。手術と化学療法を行い、その後も再発する度に、彼は他の方法を試し病気と闘い続けた。
2016年に私の義妹に癌が見つかった時、彼は私たちを助けるためにできる限りの情報をくれた。そして私の疑問や不安に耳を傾けてくれた。自分も自身の癌と闘っていて辛かっただろうに、本当に親身になってくれた。

ニールと最後に一緒に演奏したのは2018年4月。彼の喉には小さなコブ(腫瘍)ができていた。そのため、彼がトランペットで音を出すのは技術的に非常に困難な事だった。彼は少し吹いては、次のフレーズを吹くための体力の回復にかなりの時間を要した。
しかし演奏終了後、彼の病気について何も知らない聴衆の女性が私に言った。「彼の演奏はとても素晴らしかった!今まで聴いた中で最も感動的なパフォーマンスだった」と。それがニールだ。

彼の友人達は、ニールがいかに思慮深く賢明な人物だったかについてよく話す。だが彼の人生は苦難に満ちていた。治療のせいで、鬱に悩まされた時期、浮き沈みが沢山あった。彼は家族の問題を抱えていて、子供達からも遠く離れていた。そして多くの芸術家がそうであるように、金銭の問題も抱えていた。これら全てが彼を彼という賢明な人間にしていたのではないかと私は思う。困難に負けるのではなく、それを糧に成長していたのだ。

ついにニールはトランペットの演奏をやめなくてはならなくなった。彼の喉はもう限界だった。私は彼にギターを弾くよう勧めたが、代わりに彼が見つけたのは絵画だった。彼のビジュアルアートは大成功を収め、自身の展覧会を開催し、オンラインで絵を販売するほどになった。私が理解していなかったこと、それは、彼を駆り立てるもの、モチベーションは音楽に限らないということだった。何かを創りたいという強い欲求だったのだ。

「ニール・スタルネイカーとはどんな人だったか?」
そう尋ねられたら、こう答えよう。彼は、創造すること、それを伝えることへの深く強い願望を抱くアーティストだった。そして、人生のどんな障害にもそれを阻止させないアーティストだった。
彼の音楽を聴けば、または彼の絵を観れば、あなたは人間の創造性へのとても強い衝動を直に体験できることだろう。


I met Neil shortly after moving to Japan, at the Asagaya Jazz Festival in 1998. We were playing in different bands. His playing was unique, it was quiet, melodic and used a good amount of space. But didn’t sound like a copy of Miles Davis or Chet Baker at all, it was his own sound. A couple of years later we played on a steady gig together, 6 nights a week. That was when I got to know him, and I found out that he’d had cancer of the throat. The doctors in West Virginia (USA) told him that he would never play trumpet again. But he wouldn’t listen to them, and found a way to play. He created a new playing style that was less technical, and had a big glass of water with him all the time, because his body couldn’t make saliva, a side-effect of his cancer treatment.

After having cancer, he decided playing music was the most important thing, and moved to New York, and then came to Japan. In 2011, his cancer came back. He did surgery, and chemotherapy, and when it kept coming back, he tried other methods to fight back. When my sister got cancer in 2016, he gave me as much information as he could to try to help us, and he listened to all my questions and worries. It must have been difficult for him, since he was also fighting his own cancer, but he cared so much.

We played together for the last time in April, 2018. He had a small growth on his throat. From a technical standpoint, it was very hard for him to make a sound on the trumpet then. He could only play a little, and had to leave a big space to recover for the next phrase. But after the gig, someone in the audience, who didn’t know anything about his physical problems, told me he was so great, and it was one of the most moving performances she had ever seen. That was Neil.

His friends often talk about how wise he was. But he had his struggles. Because of the medication, he had times of depression, and lots of ups and downs. He had family problems, being so far away from his kids. And like most artists, he had money problems. I think these things made him the wise person he was. Instead of being defeated, he used his problems to grow.

Finally, he had to stop playing trumpet. His throat couldn’t take it anymore. I encouraged him to take up the guitar, but instead he found painting. His visual art became a big success, and he had his own shows, and sold his art online. What I didn’t understand was that it wasn’t specifically just music that motivated him, but a deep desire to create.

So if you ask me “Who was Neil Stalnaker?” I think he was an artist with a deep desire to create and communicate, and who never let any obstacle in his life stop him. When you listen to his music, or look at his paintings, you are directly experiencing the strongest urges of human creativity.







Brent Nussey Official Website
http://www.brentnussey.com/


Johnny Todd(ピアニスト)

ニールは私にとって大切な親友だった。出会ったのは何年も前の六本木でのギグ。気が合ってすぐに互いに絆を感じたんだ。でも、数年間、私がロサンゼルスに戻ったことで、互いの連絡も途絶えてしまった。

そして、日本に戻ってきたときにある連絡が届いた。それは東京・赤坂のジャズ・クラブ“B flat”で、闘病中のニールを支援するための集まりへの案内だった。もちろん私も駆けつけてニールと旧交を温めることができた。それ以降、彼が天国に呼ばれるその時まで、例え一緒に演奏できなくても、顔を合わせて話す日々を続けた。ニールはトランペットを吹けなくなって、画家になった。そう、彼は多くの人々に表現を伝えるためのインスピレーションと驚くべき才能に溢れた親友だった。

Neil was my best friend! We met many years ago on a gig in Roppongi and immediately we felt a bond. I moved back to Los Angeles for several years and we lost contact. When I returned to Japan I received a notice that there was a benefit planned for Neil at B flat jazz club in Tokyo. Of course I went and our close friendship was immediately renewed. From then until the time of his death, if we didn’t have a gig we either met or talked every day. When he could no longer play his trumpet he turned to painting. He was such an amazing talent and an inspiration to so many people.




Satoko Matsuyama(ALMO Studio/ピアノ講師)

濃縮された時間だった。

共に駆け抜けた年月は、支えるというより自然の流れに身をおいていた。

共通項は多かったが、私たちを1番に繋いだのはピアノが好きなことだった。ピアノで即興したり、ショパンコンクールのライブ配信をYouTubeで見たり、トランペットのDuoをピアノ用にInventionとしてアレンジした譜面が届いた時はその発想に驚いたが、嬉しかった。ニールらしい..

初めて彼のCD ”Reflection”を聴いた時、今までに聴いたジャズとは異なり、風景や心情が目に浮かぶような音楽、音色で、彼の内面と深い精神性を感じた。

徐々に音の背景を知りながら、好きなアートや写真、音楽の話で意気投合するのに言葉の壁はなく、共に制作することは自然の流れで不思議な縁を感じている。本当にたくさんのことをシェアしてくれたことに心から感謝する。

独自の視点で「生」について考え、乗り越え、闘い抜いたニールが最終的に絵で表現した過程、彼自身の変化を全て記憶する。

2017年10月、突然ニールからデジタルアートが携帯に届いた。アートには落書きではない独特のセンスが感じられ、私は大切にファイルに保存していた。その後、アクリル絵の具で様々な素材に描き始め、その生き生きと制作に邁進する姿は見ていて嬉しく、描き続けることは彼自身をポジティブにし、彼の命を高めていた。又、音楽と共に描いた作品には音への感性が溢れ、癌と闘う日々の感情をも表れていた。

トランペットの演奏ができなくても創造し続けられるという思考の切り替えが早く、絵を描くことはImprovisationであり、精神やあらゆる苦悩を生命力に替えた。コンペティションやアートマーケット、個展など目標を持つことで生きる情熱を絶やさない。良いエネルギーを持つ場所や人に関わること、体に良い食事を含め生活が命を高めるのだと実感する。

彼はよく語った。多くのアーティストはスタイルを持ち、同じような作品を描き続けているが、私はスタイルを持たないと。ニールは常に新しいことに挑戦し続けた真のアーティストだった。

強い生命力、創造性と共にその魂の強さ、優しさ、温かさ、そして慈愛心をもつニールは私の中で永遠に生き続ける。
ありがとう。

ALMO Studio
https://www.almo-studio.com/
Painting Works by Neil Stalnaker
https://www.neilstalnaker.org/


冨川政嗣(ドラマー)

Neilと初めて会ったのは確か2004年だったと思う。
2002年に13年住んだNYを離れ東京に帰ってきた自分は、まだ日本人のミュージシャンよりもアメリカ人のミュージシャンとの仕事が多かった。
そんな中でNeilとはすぐに意気投合した。なぜだろう同じ歳だから?ジョークのセンスが同じだから?とにかくふたりはすぐに意気投合!おたがいgigに誘い誘われそして2005年Neilの念願だった自己のグループを結成、初めてのジャパン・ツアーを行った。メンバーはJeff Curry(B)ハクエイ・キム(p)そして自分がドラムス。
いや〜、このツアーは楽しかった。主に西日本を周り、最終日が横浜プロムナード出演だった。

そういえばこの時自分たちの次のグループのドラマーがCecil Monroeで、ステージの入れ替わりの時少し話ができた。
会ったのは初めてだったが自分がNYにいた頃Cecilの弟さん(ベーシスト)とたまに演奏することがあって「兄は日本に住んでてドラマーなんだ」って話してたよと言うと、"Wow! You know my brother!!!"って驚いてた。

Neilはこのツアーのためにホテルギグを長年続けお金を貯めたそうだ。
この時期は確か癌の再発からカムバックした時だったと思う。Neilは治療中でも吹ける限りトランペットを吹いていた。
彼のプレイは、時にマイルス、時にチェット・ベイカー、しかしインプロになると誰でもない、Neil Stalnakerになる!
Neilのプレイには今のミュージシャンが忘れかけてるアートに対するハングリー・スピリッツが強く感じられる。癌との闘いのせいか?いやそれだけではない。彼の人生がそのまま音に反映されているのだ。意図的にできることではない。何より自分に正直でなければ彼のように音は出せない。
自分は同年代のNeilから多くのことを学んだ。会ってる時はとことんふざけあい酒を飲みとことん音楽について語り合った。このツアー以降自分とニールは兄弟のように一緒に演奏し、ツアーをし、いろんなことを語り合った。
Neilお前が逝ってからお前のことについてこうやって書くのは初めてだ。まだまだいろんなこと話したかったよ、、Miss you badly brother.

Masashi

Masashi Tomikawa Drummer OFFICIAL WEBSITE
https://masashitomikawa.com/


ニールさんが「いつかまたこのグループで演奏したい」と言っていたグループ “Yume-Goto"





翻訳協力:Brent Nusseyさんの奥様、Hiro Yamanaka氏




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